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このカフェ『KAWA's』の店内――壁沿いに一連となって繋がるグレーのソファ、そこに背筋をピンと伸ばして座っているこのホワイトブロンドの上品な紳士は、目が見えないからだろう。…やや顎を引いてはいるが、その顔はほとんど僕のほうを向いている。
「…念のため確認いたしますが」
「…はい」
その口元は無表情だが、彼のそれは慎重な、ややゆっくりとした言葉だった。
僕はこの状況に緊張感を覚え、胸をドキドキさせながら彼のサングラスをかけた目元を見ている。――しかしはたと気付く。僕のこれは人の目を見て話す癖があるためだが、…でも彼は目元を見られたくないのかもしれないと、今目線を下げた。
それで僕は、力なくテーブルに置かれている、自分の青ざめた白い手のひらを、ぼんやりと見る。
「…ユンファさんの手に、何をしても構いませんか」
「……へ…? あ、あの…」
な、何をしても、とは困る。
それこそ最悪な懸念かもしれないが、仮にもナイフで切り付けて構いませんか、なんてことなら、さすがにそれでもいいですよ、と言える度胸は僕にない。
「…ふっ…いえ、セクハラめいたことをするかもしれませんので…しかしそのような誤解をされるのは、私もいささか心外ですから」
「……、…」
この男性は今やけに不敵に笑ったのだが、…僕の手に、セクハラめいたことをする(かもしれない)、とは。――たかが手に、セクハラめいたことって何だ?
あまりよくはわからないが、…まあ、別に痛くないならば何をされたって、もはや別に構わない。――正直、そういうことにはもうすっかり慣れている僕だ。
「…傷付けられるのはさすがに困りますが、…指を切断されるとか、――でないなら、何をしても構いません」
「…おや、穏やかじゃないな。…私がナイフを持ち歩いている男に見えますか」
「あっいえ、そういうことではなく…い、痛いのは、さすがに……」
そりゃあこの上品な紳士のふところから、サッと当たり前のように銀のナイフが取り出されるような、そんな危ないイメージはない。――であっても僕は、何でもという言葉に警戒してしまったのだ。
「…とにかく、痛みがなければ何をしても構わない…というように捉えても、結構ですか?」
「ええ…、どうぞ、お好きにしてください…」
「そうですか。…では、失礼します…――。」
コーヒー色をしたテーブルの上に、手の甲を置くよう差し出した、僕の白い片手を手探りする――象牙色のなめらかな薄い皮膚に覆われた、その大きな両手がテーブルの上でとん、とんと指先で辿り、僕の手に近寄ってくる。
そうしてこの男性の両手が、いよいよ僕の手を捕らえた。すると彼の大きな両手は優しく――まるで、宝物を鑑定する人のように――僕の手をそっと取った。
「……手が、冷たいな…緊張していますか」
「…ええ、少し……」
この紳士はそう僕の片手を取り、片手は僕の手の甲に添え、またもう片手では人差し指のその乾いた指先でなめらかに、僕の手のひらのシワをすーっとなぞってくる。…擽ったいが、それも優しい手つきだからだ。
しかし――サングラスをかけたその目元は手元に向くことはなく、また、真正面に座る僕のほうへと向いているその小さな顔だが、その実彼は僕の顔を見ているようでも、僕が彼の視線を感じることはない。
この男性が盲目である証左のように――僕の対面に座る彼の隣に、視覚障がい者の方が使う白杖がグレーのソファの上、今は小さく折り畳まれて三十センチほどのサイズとなって置かれているのだ。…その白杖の尻に付いた黒い紐の輪っかがソファの座席から下へ垂れ、ソファの丸みを帯びたヘリにしずく型の影を落としている。
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