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              「…………」 「…………」    僕の手のひらのシワを指先でなぞり、かと思えば親指と四本の指で僕の手のひらを挟んで、ふにふにと感触を確かめているこの上品そうな紳士――僕は、あまりこの男性の目元を見ないようにと思っている。  目が見えないとはいえ、誰しも視線は感じるものなんじゃないだろうか。…それこそ背中を見られている、ということを直感するのは、僕にもあることだ。  しかしとなると、僕は視線を彷徨わせるほかにない。…人と向かい合うときに、目の見えている僕は、人の目を見てしまう癖が付いているためだ。   「…………」   「…………」    このトレンチコートを羽織った紳士の背後。  グレーのソファ上の壁は抹茶色に、やや褪せた黄色のストライプが入る壁紙だ。  そしてその壁、紳士の頭の後ろあたりには、豪奢な金の額縁に入った縦長の絵――全体的な色合いが赤と肌色と白で構成されている、ポップながらもリアルな絵柄の金髪美女が筒状の赤いボディコンを、その妖艶な体のラインを浮かせて纏い、その大きな胸の谷間をボディコンから覗かせつつ、シナをつけて床に座り、半目の誘うような青い目で絵を見る者を見つめながら、その真っ赤な唇を半開きにしている絵――が掛けられている。    こうしたポップながらもリアルな絵は、その実ソファ席の上の壁に等間隔で、絵の内容はさまざまながらも飾られているものだ。――たとえば、ダルメシアンがお座りしている絵だとか、クラシカルな形の車の絵だとか。   「……なるほど、綺麗な手だ……」   「………、…」    僕の手のひらを今度は、手首のほうから四本指の先ですー…っと、僕の指先のほうへ滑らせている彼。  彼はただ感想をつぶやいただけなのかもしれないが、話しかけられたように思った僕は、ついまた目線を目の前の男性へと戻してしまった。  そうして僕は自然、この美麗な紳士を盗み見るように、ぽうっと眺め始める。   「…………」   「…………」  このうす暗い店内の、僕らの真上にある電球の明かりに照らされた、その整った顔に僕は、ぼんやりと見惚れてしまうのだ――。  サングラスの下にある彼の目は、どんな形をしているのだろう。――それはもちろん、サングラスに隠れていてわからない。…僕が目を凝らしてもかろうじてわかるのは、この男性がその黒茶のグラスの下で、まぶたをぴっちりと閉ざしているということだけだ。    四角いサングラスの上にある、凛々しくスマートな眉になめらかな象牙色の肌、高く整った鼻に、そこだけ可愛らしい少年のようにぷっくりと膨らんで色付く唇は、それでいてどこか妖艶さもある。    無表情でも、こうしてサングラスをかけて、小さな顔の半分を隠していても――いや、サングラスをかけているのも格好良いが――、この人は、やはり物凄い美形だ。   「…………」   「…………」    正直、…この人、めちゃくちゃ格好良い。  なんとなく()()()に似ている、…そうあの子、…彼、僕が大好きな、あの“カナエ”に少し似ている。――ちなみに“カナエ”というのは、僕が大好きな小説に出てくる、アルファの男子高校生である。    いや、こんなに綺麗な人は、なかなかこのカフェに来ないのだ。――だから物珍しさみたいなところもあるし、もちろん、僕が彼に惚れてしまいそうとかそういうことではないが、やっぱり美青年には僕もまた、人並みにはドキドキしてしまうものらしい。   「…………」   「……、…」    でも、失礼だな…と、僕は目線を伏せる。  そもそもこれだけの美形なら絶対恋人、いや、もっと言えば妻か夫さえいるはずのこの人に、赤の他人の僕がそんな色めいた目線をつい向けてしまうだなどと。――いやそもそも、人の顔をジロジロ見るというの自体がもう不躾、かなり失礼にあたる行為に違いない。    ただ、仕方ないところも正直あるだろう。  “カナエ似”のこんなイケメンが、その綺麗で清潔そうな手で優しく、そっと、まるで宝物でも扱っているかのように僕の手へ触れてくるのだ。――しかも、緊張と先ほど水に触れたのとで冷たい僕の手では、その人のあたたかい手がより僕の意識を彼に集中させる。    とはいっても、失礼なものは失礼だ。  僕はなんとなし目線を落としたまま――うす暗い店内、この真四角のコーヒー色したテーブルの上、天井から吊り下げられた三角のカサを被る電球の照明に――僕の白い手のひらと彼の大きく筋張った、男性らしい象牙色の両手が、まるで暖色のスポットライトでも当てられているかのように照らされているのを、ぼんやり眺める。   「…………」   「…………」    会話はない。――気まずいとは思うが、僕は唇を開かない。…話しかける話題もないが、そもそも僕が話しかけるのは、僕の片手をなぜか、とても熱心に触って確かめているこの男性を邪魔をするようでもある。    だから僕はぼんやりと、いま彼に触られている自らの右手を眺めるに留めるのだ。  鷹揚に動くその人の、その薄桃色の大きく細長い爪にはキワにささくれなどもなく、また甘皮の処理までしているのかとても均等に整えられ、その細長い爪の先はきちんと、指先のゆるやかなアーチに沿って短く切り揃えられている。――その浅い爪の間は白く、ゴミも見当たらない。   「…………」   「…………」    ベージュのトレンチコートに黄色味を帯びたグレーのベスト、それから真紅のネクタイ、ホワイトブロンドの髪はオールバック。――そうして身だしなみにかなり気を使っていることがよくわかるこの男性は、その爪先にいたるまでもきちんと整えているらしい。    もしかすると――僕が思うにこの紳士は、上流階級の人かもしれないと思うが、…どうだろうか。    

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