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               ちなみにその“オメガ排卵期”というのは、個人差はあるが、だいたい約一週間程度続くもので、他の種族にとって大概は迷惑なものとされている。――それは、オメガ排卵期を迎えたオメガからは、本人にはどうしようもないレベルで強いフェロモンの香りがしてしまうからだ。  ただこの男性の言うとおり、僕らオメガにとってそのオメガ排卵期は、オメガの全身の細胞をクレンズするなど、オメガの体を定期的に健康にするものでもあるのだ。   「……いやぁ…、そ、そんなことが、手を触っただけで…?」    いや、それにしたって僕の手に触れただけで()()がわかるはずがない…――オメガ排卵期の周期まで、…さすがにデリカシーがないような気が、いや、しかし思えば、僕はこのカフェ『KAWA's』で働き始めてからというもの、この人よりもデリカシーのカケラもないことを言われてされる日々を送ってはいるのだが。――それに比べればだんだん、むしろ可愛いほうか、とさえ思えてきた。   「…手というのは、誰しもが日常的に…体の中でも、とくによく使う部位でしょう。…ましてやユンファさんは、右手…すなわち利き手を、私に()()()くださいました。――すると、手には癖が表れるのですよ。…よく使う手というのは一番、その人の癖や日常的に何をしているのか…それが顕著に表れますから。」   「…はあ…、…」    目を凝らして見ても、うっすらと上にある電球の光に透けているその黒茶のレンズの奥で、やはりこの男性は、しっかりとそのまぶたを閉ざしている。――しかしあまりのことに、僕は彼の目が見えているような気さえしたのだ。    そして彼は相変わらずの淡々と冷静な調子で、「それから」と続けてゆく。   「…ユンファさんは、日常的に勃起した硬い男性器を握り、その手でよく扱いてらっしゃる。ということに関しましては……」   「……、…」    僕はドキリと心臓が痛み、まるて罪を暴かれる罪人のような気分で、うつむいた。――しかし容赦なく、男性は淡々と続けてゆく。   「…いやしかし、テクニックもおありなようだ。…かなり慣れていらっしゃいますね。――というのも、そのような形に、少しですが、擦れて皮膚が荒れていました。…」   「…………」   「更に言って…握り慣れているとはいえ、どうも()()()男性器というようではなかった…――つまりユンファさんが日常的に握ってらっしゃるのは、()()()()()の男性器でしょう。…決まった形に荒れているわけではなく、その()()はぼんやりとしていましたから」   「………、…」    残酷なほどに僕の真実を暴いてゆくこの男性は、本当にそんなことが、僕の手に触れただけでわかったのだろうか。  何者なのだろう、この男性――というか、僕の()()()()()()を知って、いったいなんの意味があるのだろう。   「……、…?」    僕が今見下ろしたこの白い右手は、見た目には少しも荒れている様子はなく、たしかに水仕事などで乾燥気味ではあるものの、まさか男性器を握り慣れている、なんて()()は、どこをどう見たって、たとえ自分でどう触っても、正直少しもわからない。    自分ではまったくわからない、いやきっと、この目の前の男性以外の人は誰もこの手に触れただけではそんなことわからないだろうが、ただ――自分でもよくわかっているのは、僕が男性器を握り慣れているというのがたしかに、()()であるということだ。  それが本当のことだと裏付ける、僕の頭の中にある過去のただれた記憶によって僕は、それが本当のことだとよくわかっているのである。   「……、…」    ため息をつきたい気分だ。――僕はまるで、自分のただれた過去をすべて、この男性に見透かされたような気分になってきた。  それも、僕が好きな“カナエ似”の人にこんな後ろめたいことを暴かれてしまっては、よっぽど裸を不特定多数に見せるよりも恥ずかしいと、いま僕の頬や耳は熱い。    しかし彼は――僕のその()()を口にしていながらも、軽蔑や好奇の感情をその口元にも、声にも出さないで、やはり淡々と。   「まあ…しかし、貴方はおそらく、()()か、あるいは()()()でその行為をなさっているのでしょう。…つまり、ユンファさんは無理やり誰かにそれをやらされているか、金銭を得るために()()としてやっているか…ということです。…」   「…………」    この男性がそれを言った途端、僕の背中に刺さるような視線を感じた。――カウンターの中で黙り込みながらも、僕らのことを見守っていた、この店のマスターであるケグリ氏の視線だろう。  しかし、その威圧するような視線の気配はもしかするならば、この目の見えない男性は気が付いていないのかもしれない。――彼は続ける。…淡々と、探偵のように続ける。   「…そう、どうもユンファさんの手は、男性器への奉仕を強要されているような手でした…――その実、ただのご趣味でやられているにしては、ずいぶん右手を酷使なさっているようで、手首も少し熱を持っていましたし…、それに…」   「…………」    僕は、そこで言葉をとめた男性をいぶかしんで顔を上げた。――すると彼は、あたかも僕が自分に視線を向けることを待っていたかのように。    その手が彼自身の首元――白いワイシャツの襟や真紅のネクタイがあるそこへとおもむろに向かい、そして男性は、そのネクタイをとんとん、と整った人差し指の先で軽く叩いて、示した。     「…先ほどユンファさんが首をすっと動かしたとき、実は()()()()のです。」        

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