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「………――。」
だんだん僕の意識がぼんやりとしてきた。
次にもまた目の前の男性が淡々と、こう言ってくる言葉を頭では理解しているが――うなだれている僕は、指先の一つも、凍り付いたように動かせない。
「…まあとはいえ、ニップルピアスに関してはおしゃれとしてつけている人もいることでしょうからね」
「…………」
今更、助け舟のつもりなのだろうか。
「…ただ…いえ、もちろん私には見 え て い ま せ ん が…――それが貴方のご趣味だというのなら、ずいぶんユンファさんは、大 胆 な 人 なのですね。」
「……、……」
僕は、力の抜けた自分の重たいまぶたをそっと動かして、目の前の、その上品そうな男性をぼんやりと見据えた。…見据えたが、焦点が合わないで、彼がぼやけて見える。
「…ふっ…ユンファさんが今身に着けていらっしゃる服――上は、やけに薄いカッターシャツ一枚でしょう。」
「……、…」
そんなことまで、わかるのか…――失意のあまり何も言えない僕に、そう間を開けず続ける男性は、どうやらその口元に不敵な微笑みを浮かべている。
「…正直、見えているでしょうね。…」
「…………」
そうだ。――見 え て い る 。
「…ニップルピアスの膨らみにしても、あなたの乳首にしても…いえ、さすがに色はわかりませんが、もしそのシャツが白いなら…――ユンファさんの乳首は、うっすらと薄いシャツに透けているはずだ。…まあ色がどうであったとしても、少なくともニップルピアスの膨 ら み は、傍目にもよくわかることでしょう。」
「……、…」
やっぱり見えているんじゃないか。――そう僕が疑ったのも無理はない。
たしかに僕の胸元は透けている。
オメガ男性として生まれた僕の乳首は、元々色素が薄いためにくっきりと見えているわけではないが…――うっすらとながら、小さな桃色の乳首の乳輪が、乳首の先端につけているニップルピアスが、この白く薄い生地のカッターシャツの胸元に透けて見えている。…まして、そのニップルピアスの形はくっきりと浮いてしまっているのだ。
「……、…、…」
僕は自然と、自分の胸元を隠すように少し胸を引いた。
今更もう恥ずかしくなんかないはずなのだが、もういまや人に下卑た目線を胸元や首元に向けられることには慣れているはずなのだが、…どうしてだろう。どうして隠そうという気が起こったのか、自分でもよくわからない。
「…おや。ユンファさんは…猫背ではないはずですがね」
「……、…っ?」
僕のわずかな所作すら見抜かれたとハッとし、僕はとっさ背筋をまっすぐに伸ばした。――しかし、目の前の男性はふっと鼻でそれを笑うと、そのふっくらとした唇の端をキュッとわずかに引き上げる。
「はは、ご趣味のわりに、ずいぶん恥ずかしがりやなんですね。…あなたは歩くときに少し腰を丸めて…いえ、――若干胸を引いて、歩いてらっしゃいましたでしょう。…」
「…、……?」
なぜ、僕の何気ない癖まで――。
「ただ貴方は、育ちはよろしいようだ。…それでも腰は伸びているような、そうした布ずれの音がしました。――ユンファさんは生まれついて、背を伸ばして生活する癖がついてらっしゃるのでしょうね。」
「……、…、…」
“育ち”――そんなことまで、…僕は目を泳がせ、まるで名探偵のようにスルスルと僕の正 体 を見抜いてゆくこの男性を呆然と見据えながら、ただならぬ恐怖を感じている。
その実僕はもう、今や生まれ育った家庭のことを思い出したくはないのだ。――だからこそ恐怖であった。…今に至るまでの過去よりも、僕の、一 年 半 前 の過去を暴かれて自分がそれを耳にするほうが、僕はよっぽど恐ろしいのである。
「…なぜ隠すのです。…ご自分の趣味なんでしょう? 人にそ れ ら を見せつけたいからそんなに薄いシャツを着て、不特定多数の人が訪れるようなカフェなんかで、貴方は働いているのでしょう。」
そう僕に言うこの人は、その実なじるようである。
とはいえ…正直もう、頭がどうしようもなくぼうっとぼやけてしまっている僕には、はい、いいえ以上のことは、声に出して言えなさそうなのだが。
「……、…」
「…ところで」
男性は少し顎を引いた。
僕はまた、腿に置いた自分の両手の甲をぼんやりと眺める。これ以上の追求から逃げたい気持ちがあるからだ。
「…………」
何とか自分の気を逸らしたいのだ。
テーブルの影に隠れた、僕の手の甲には太く青い血管が浮かんでいる。――皮膚が青ざめたような白なので、その手の甲の骨が血管の下で浮かび上がる細い溝に、青っぽい灰色の影がくっきりと浮かんでいる。
「…ユンファさんの体 内 に 入 っ て い る バ イ ブ 、どうやら今は動いていませんね…――。」
「…………」
そうして、また僕の真 実 を一つ暴いた彼は――もしかしたら、僕の罪を問うためにこ の 地 獄 へと訪れた、神様なのかもしれない。…淫蕩 な、淫魔のような僕のことをずっと天界から見ていた、僕にやっと裁きを下そうという、彼はそうした神様なのかもしれないのだ。
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