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             な、なぜ…――なぜって、そりゃあ。       「……え、…えっと、別に…僕なら、抵抗しようと思えばできるのに、でも、自分の意思でそうしないんです、――つまり自業自得というか…別に、いちいち気に病むこともないというか…、…」   「…………」    ソンジュさんの薄水色の瞳は、僕を裁こうという人のように鋭く、まっすぐに僕の目を見据えてくる。――緊張から、僕の胃から震えがこみ上げてくる。…が。   「…何より、僕なんかがそれくらいでどうこう言っても、誰も同情なんか…全部、僕が自分で決めたことで、全部自分で受け入れたことで…、自分でそのことを選んだんです…全部、全部僕が悪いんですから…」   「ですから…それは、なぜです? なぜそう思われるのか、私は不思議でなりません。…」    ソンジュさんは僕の太ももにのせた、僕の片手をさらりと取ると、もう片手では頬杖を着いたまま――真剣な眼差しで、僕のことを見てくる。   「…性犯罪は、性犯罪です。それがたとえ、ユンファさんのようにアルファ寄りの、精悍な男性であろうともね。――貴方は事実、性被害を受けた。…相手の力に敵わないお体ではないのかもしれませんが、少なくとも貴方は…精神的な支配をされ、レイプされ、現に性的搾取を受けているではないですか。…」   「…………」    ソンジュさんの淡い水色の瞳は、とてもまっすぐだ。  そして、彼の声もまた――疑いはなく、とてもまっすぐだ。   「…もっとも…力の弱い女性や、オメガ属であるからこそそうした被害に合いやすい、というところは確かに、私も否定できません。――しかし、だからといって…ご自身が受けている性被害を否定なさるのは、さすがに間違いかと。…本来ならば、貴方が受けている性被害は、世の中に取り沙汰されるべきですよ。…」   「………、…」    どうしよう…――どうしよう、僕。  目に、涙が滲んできてしまっているのだ。また泣いてしまう、…また情けなく泣いてしまう。  それに…なんだろう、僕はこの目をどこかで見たような気もするが、――何より…彼のこの、まるでシベリアンハスキーのような美しく意志の強い目に、吸い込まれてしまいそうだ。――僕の魂が、この強い目に吸い込まれて、呑み込まれて…身動きが取れない。   「…私が思うに、その判断基準というのは、その実肉体の問題ではありません。…()()()()()()()()()性犯罪と認められるのではなく、どのような人であっても、()()()()()()もうすでにそれは、性被害を受けたと言って、恥ずかしいことは何もないのです。――たとえば貴方がアルファ属であったとしても、合意なく無理やり犯されたのなら、それは立派なレイプだ。」   「……、……っ」    ソンジュさんの青い目は、とても澄んでいる。  まるで美しい海の水のように、とても澄んでいる。 「…怖くて当たり前なのです。…それは女性であろうと、男性であろうと、何も関係ありません。アルファであろうと、ベータであろうと、オメガであろうと――性犯罪の本質は、何も変わらない。…人が人に対して…歪んだ自分の性欲を向け、加害をした…性犯罪の本質は、いうなればそれだけのことではないですか。」   「……、……」    つ、と…こらえきれなかったあたたかい涙が、僕の頬を伝っていった。――あ、また、…泣いてしまった。  僕の涙を見たからか、ソンジュさんは…ふ、と優しく微笑んで、僕の頬を片手で包み込み――そのあたたかい親指の腹で、僕の頬に伝った涙を拭ってくれた。    ソンジュさんの水色の瞳が、どこか愛おしそうに僕の目を見つめてくる。――なぜ僕なんかを、そんなに優しく、あたたかい目で見つめてくださるのだろう。   「…ユンファさんは、何も悪くありません。――犯罪というのはもちろん、加害者のみが悪いものです。…もちろん以前もお辛かったでしょうが…今もなお、貴方は継続してその被害に合われている。今も…怖く、お辛いんでしょう。」   「………、…っ」    僕、僕は、――こんなに優しいことを言ってもらっても、いいのだろうか。  自分のせいだ。全部自分が悪い。――全部、自分の行いのせいで、僕はこうなっている。   「…っ、…、…ひ、…〜〜っ」    僕は顔を伏せ、自分の両手で顔を隠した。  嗚咽がとまらないのだ。――こんなに優しいことを言われて、…僕はまた、ほだされている。    始めから、誰かに助けなんて求めるつもりはなかった。  誰にも頼らないと決めて、此処に来た。   「…ごめ、なさ…ごめんなさい、泣いてしまって、…」    今だって、僕は誰かに助けを求めるつもりはない。   「…何をおっしゃるのです。――貴方はいくらでも泣いていいんですよ、ユンファさん…」    立ち上がったソンジュさんは、横から僕の体を抱き締めてくださった。――甘くて良い匂い、あたたかく優しい腕、僕の肩に当たる彼の胸板。  優しく大きな手が、僕の頭の側面を撫でてくれる。   「貴方は泣いていい。…誰だってユンファさんと同じ目に合ったら、精神を病みます。――悲しくて、悔しくて、つらくて…泣きます。私だってきっと、泣きますよ。」   「……っ、……っ」   「…それに、たとえ男性であろうとも、泣いてよいのです。――みんな同じですよ、みんな感情を持ち合わせた()なのですから…、男だからといって、自分が置かれた苦境にただひたすら耐えねばならないわけはなく、男だからと、悲しまないわけもありません……」    僕の震え、強ばったこめかみに、ソンジュさんの優しく低い声が響く。――なんて優しい人なんだろう。   「…それに、そう隠さずとも…ユンファさんは、泣き顔もお美しいのに。ふふふ……」   「…ック…、…〜〜ッ」    助けてなんて、僕は誰にも言うつもりはない。        それなのに…――どうして僕は、救いを求めて神様に毎晩、祈りを捧げていた…?           

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