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早朝五時――夢の終わりを告げる、けたたましいアラームの音で目を覚ましたときも、僕はぼんやりしていた。
アラームの音は僕の心臓を痛いほどドクドク荒立てた。…その機械音に、僕は現実を告げられた。
それでも僕は、アラームを止めると途端に、ふんわりと穏やかな気持ちになって、ぼーっとした。
本当に、幸せな夢を見ていただけなんじゃないかとさえ思った。――僕を抱いたあと、カナイさんは僕のことをその腕の中に閉じ込めて、ずっと僕の頭を撫で、眠っていいよ、と優しく囁いてくれた。
僕は彼の腕に包み込まれて、甘えて眠ってしまった。
そして、僕がカナイさんと眠っていたベッドで目を覚ましたころにはもう、僕の隣からはこつ然と、夢幻のようにカナイさんはいなくなっていた。――しかし、それがより、彼が夢のような存在であったという神秘的な印象を、僕に与えた。
彼が眠っていたベッド――僕の隣にぽっかりとあいたそのスペースに、僕はそっと顔をうずめてみた。
冷たく白いシーツには残り香が、彼の甘い匂いが、まだ少しだけあった。…良い匂い、だった。
その人の体臭の甘さに、ほんのりとマリン調の、甘い香水の匂いがシーツに移り、残っていたのだ。
夢じゃ、なかったんだ。
あんなに素敵で優しい人が――僕を、僕なんかを…本当に、ああやって…宝物のように抱いてくれたんだ。
わかっている――まさかお客様の彼が、本当に僕を愛していないことなど。…カナイさんにとって僕は、ただのキャストであると。…僕は本当にわかっている。
いや、わかっているわかっていると、そうして割り切っているつもりだったが…――僕は正直、その実きっと、ほとんどわかっていないのだ。
なぜなら、いまだに、たまに――つらくなって、死にたくなって、…どうしようもなくなると。
『昨日はありがとう。最高の夜だったよ。
また必ずお会いしましょう。愛してる。』
持ち帰ったこの手紙を見て、思うからだ。
また来てくれないだろうか…――また僕を、指名してくれないだろうか。
貴方は、ほかの人を、抱いているのかな。
ああやって、ほかの人のことも優しく…抱いているのかな。…僕以外のキャストをリピートしているのか。僕以外の気に入ったキャストができたんだろうか。
あるいは僕がキスマークを残したせいで、本物の恋人に責められて、もう遊びはやめたかな。…恋人を、恋人だけを…ああやって、優しく抱いているんだろうな。「好きだよ」とあの低く艶っぽい声で、いや、いっそもっと素晴らしい声で、本物の愛の言葉を、その恋人にだけ囁いているんだろうな。
そう思うと切なくて、胸がモヤモヤした。――いや、やきもちなんて妬いていい立場じゃない。…それくらいは、さすがに、本当にわかっている。…僕はキャストで、彼はたった一度僕を指名しただけのお客様だ。
でも、もう一度、貴方に会えたらな…――あともう一度だけ、貴方に会えたら…会えたら、いいのにな。…会いたいなんて思っちゃいけないが、でも、…僕はどうしても、貴方のことが忘れられなくて。
叶うなら…またああやって、優しく頭を撫でてほしい。また貴方の腕の中に、僕を閉じ込めてほしい。嘘でいいから、僕のことを騙しきってくれたらそれでいいから、また「好きだよ、ユンファさん」と言ってほしい。今度こそまっすぐ見つめたい、貴方の綺麗な青い目を。――それに、今度こそ僕が、カナイさんを気持ち良くしてあげたい。
此処で頑張っていれば、また貴方は来てくれるだろうか。――いつかまた、会えるだろうか。
無駄で、つらいだけだと思っていた――でも、カナイさんを想うと僕は、『DONKEY』で頑張ろうと思えた。
また、会えますようにと。
彼が僕に置き手紙で、必ずまた会いましょう、愛してる、と言ってくれたその言葉を、僕はまだどこかで信じていたのだ――。
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