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              「………、…」    まあ、おとぎ話的なラッキーに思えなくもない。  いや、まさか別に自分をシンデレラだとか思っちゃいないが(お姫様なんて柄じゃないどころか、そもそも性別も違う)、ましてや、いわばシンデレラストーリーを期待しているわけでもないのだが、――とはいえ、本音としては……性奴隷をやめられるのなら、とは、この際はっきり言って、そういう期待感はある。    つまり僕は、ソンジュさんの家に来いというのに「はい」と言ってもいいような気はしているのだ、それこそさっきまではもしかしたらチャンスかも、という気もしていたわけだが、――ただ、正直まだついていけていないというか、そもそもなぜ、ソンジュさんは何が目的で、というところもまず鮮明ではないわけで(ただひたすら「私の家に来てください」としか言われないのは、怖いといったらそうじゃないか?)、今すぐに決断をしろというのは、…さすがに酷な話である。――というかせめて、目的を教えてからにしてくれ。…いきなり「一緒に帰りましょう」とか言われても、いくら相手が九条ヲク家の人で、かつ僕が言いなりの性奴隷であったとしても、それで警戒しないとでも思っているのか。  というか誰だって警戒はするだろう、そんなこと突然言われたら――いや、犯されるとかそれに関してはもはやお好きにどうぞ、というくらいの度胸がある僕なのだが、それでもまだ、少なくともケグリ氏は確かに、なんだかんだ言っても本当に、僕の両親へ生活費を払ってくれている。    別に僕を犯そうが何しようがもう好きにしていいが、とはいえ本当にソンジュさんが、僕の両親の面倒を見てくれるかどうか…――極論ご主人様が変わる程度の話なら別に、僕はそれはそれで構わないのだが、…その点だけは、両親のことだけは本当に、彼にもしっかり約束はしてほしいのだ。   「…………」   「……わかりました。」    顔を伏せて決めあぐね、内心うんうん言いながら難しい顔をしていたであろう僕に、――にわかにソンジュさんは、低い声でそう言った。…え、何がわかった、と顔を上げる僕は、彼の冷ややかな真顔を見る。    「…なら…私と…いえ、――私と()“契約”をしてください。」   「…へ…? け、契約…? ぁ…、……」    なんの、契約――って、いや。なるほど。  やはりソンジュさんも、僕と“性奴隷契約”を交わしたいということらしい。――そして彼は、感情の感じ取れないひんやりとした硬い声で。 「――まずは一週間。…私の家に来てください。」   「……、…いえ、申し訳ないんですが…」    しかし…――思えば。  ソンジュさん()僕とその“性奴隷契約”を交わしたい、というのならば、まずは、僕のご主人様であるケグリ氏に交渉してもらわなければ困る。   「…それは、…僕の一存では、正直決められ…」   「…チッ…わかりましたそういうことなら、なるほど、ユンファさんはケグリさんになら従うんですね、ふん、ではすぐにケグリさんに相談を持ちかけてみますので、…」    舌打ちをしながらガタッと…怒ったような険しい顔をしたソンジュさんは何か焦ったように早口で、しかも立ち上がりながらそう言った。――ペラペラまくし立てるようであった彼のそれに、僕は圧倒されてポカーンとしている。   「………、…」   「…ケグリさん。マスター…――ケグリさん! ケグリさん!!」    ソンジュさんはキッと厳しい顔をカウンタのほうへと向け、ケグリ氏の名前を怒鳴り声に近く何度も大声で呼ぶ。  ソンジュさんが大きな怒鳴り声で「ケグリさん! マスター!」としばらく叫んでいるうち、この店内のステージ横、――事務所、別個室へと続く扉がガチャリと開いた。    そして、そこから気だるそうな顔をして出てきたケグリ氏は、何かうんざりとした顔をしながらもその短い脚をどこどこと動かし、「なんですか」と声ばかりは真摯に、僕らのほうへと歩いてくる。   「…あ…、」――するとケグリ氏は、サングラスを外して自分を()()()()()ソンジュさんのその顔に、少し驚いた顔をした。    そして、二人の目がかち合った途端――。   「…ケグリさ、ケグ……う゛っ…」    ソンジュさんは鈍く唸ると、口元を片手で覆った。  彼はすぐさま顔を伏せた。――「なんて醜い顔だ…」と嗚咽をこらえながらボソリ、…それがなんと、僕が見るにどうもケグリ氏を傷つけるためにわざとそうしているようではない。  事実ソンジュさんはその顔色をさーっと真っ青にして、じわじわと脂汗を額に浮かべているのだ。――いや、かなり失礼にもほどがあるのだが、…マジでケグリ氏のカエル顔を見て吐きそうなほど気分を悪くしているらしい。   「ぅぷ、…グッ、…ちょっと、失礼……」   「……っお、…は…っ?」    ケグリ氏は驚き半分、いぶかしみ半分の顔でそのギョロ目を見開き、自分を押し退けていったソンジュさんへ振り返る。――ソンジュさんは急ぎ足で、(勝手に)カウンター横からそれの中に入ると、…どうやらシンクの位置を把握していたらしく、――シンクの前に上体を深く倒して。   「…ぅおぇえ゛…――ッ」     「………、…」   「……、……」    ビシャビシャ音が、…は…吐いている。  ソンジュさん、本当に、吐いている。――ケグリ氏の顔が醜すぎて、本気で吐いている。    いや、たしかに僕もその実、ケグリ氏のことは醜いとは思うのだが…――人の顔を見て吐くとは、さすがに過ぎることだ。…なんて、変人だ。…ソンジュさんは、やっぱり変な感性の人である。       

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