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            「………、…ッ」    それでも…――僕は、いつの間にか悲しくなって、泣いてしまったらしいのだ。  考えている間に目が潤み、つーっと片目から涙が頬を伝った。――よっぽど性奴隷契約なんかより、この“恋人契約”のほうがずっと、残酷な契約である。    僕の恋心を、オモチャするような契約だ。  また僕の心が、誰かのオモチャにされるのだ。――誰かの利益のために、僕の心がもてあそばれるのだ。      誰かの需要のために――僕は供給され、都合よく消費されるのだ。     「……ッ、…ッ」    僕は小さくしゃくりあげているが、…バレたくないとそれを噛み殺し、ワイシャツの袖で頬を、目元をグッグッと強く拭った。――いや、別に。    モウラのときとは違う。――モウラはあたかも本当に、僕と恋人になりたい、あるいは恋人になったような素振りで僕を騙したのだ。  でも、それに比べたらソンジュさんのほうがまだ、潔いくらいだ。――はじめから、本当に恋をするわけではありません、本物の恋人になるわけじゃありません、これは()()()()()()()()です、と、僕は彼から事前に、きちんとそう告げられているのだから。    契約だ。  契約は、契約だ。     「……ユンファさん…」    ソンジュさんが僕の肩に触れ、彼は心配そうに声をかけてきた。泣いているのがバレてしまったらしい。――僕は慌てて顔を伏せたまま、何度も顔を横に振った。   「…っ違うんです、大丈夫ですから…すみません、嫌なことを思い出してしまって、…あの…――“恋人契約”、頑張ります…僕なんかじゃ本当、馬鹿で、…普通の人がわかってることすら何もわかってないので、どうかご指南ください、…」    貴方に慰められたくなんかない。  ソンジュさんだって結局、僕を馬鹿にしているじゃないか。  辛い環境にいる性奴隷のオメガをチヤホヤして優しくすれば、コロッとほだされて、アルファの自分に恋するに違いない。――それをネタにして作品を書いて、僕の気持ちがどうであろうと用無しになったらポイッと、使い終わった道具のように捨てる。  そんな思惑、…正直腹立たしいくらいだ。――馬鹿にしている、オメガの僕を、…僕を、馬鹿にしている。  そう思う権利なんて、言いなりな性奴隷の僕にはないかもしれない。ただケグリ氏に一週間貸し出されただけの、性奴隷の僕は、もてあそばれて当然の存在だとはわかっている。――でも、…僕だって、これでも人なんだ。    体をもてあそばれ、精神も、魂ももてあそばれる存在ではあるが、…もう、別にそれは好きにしたらいい、――でも、信頼、恋心という一番もてあそばれたくない気持ちを、もてあそばれたら、……僕だって、人並みに傷付くんだ。    馬鹿みたい、馬鹿みたいだ、本当に馬鹿だ。  あの青白く光る瞳が見えた夜――あの夜すら、醜く褪せてゆく。……二回目の初体験? そんなもの、あるわけがない。初体験は、一回目だけだ。当たり前のことである。      僕の初体験は――全部あのケグリ氏だ。     「……、…ッ、…ッ」    でも、契約は、契約だ。  ケグリ氏に貸し出された身として僕は、ソンジュさんが求めている需要は、一週間努めて供給するつもりではある。――だが、もうどれほど優しくされようが、尊重されようが、…僕はもう絶対、彼を信じたりなんかしない。       

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