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正直、あの『KAWA's』の地上二階にある居住スペースよりももっと、とてもじゃないが一人で暮らしているとはにわかに信じがたい広さと部屋数なのだが。――それこそこの部屋に一人暮らしです、なんて言われても信じられない。まず持て余すのではないだろうか。
「…ソンジュさんは、此処に、お一人で暮らしているんですか?」
僕は声を張ってソンジュさんへ質問した。
僕は出入り口の時点で、あまりの室内のセレブな広さと内装に圧倒され、固まっていたが――ソンジュさんはというと(自分の家なのだから当然かもしれないが)、平然ともう部屋の中へ先に進んでおり、今は、例の白く長いソファの背の前に立っている。
いつの間にか僕の肩から外したトレンチコートをソファの背もたれへとかけ、ベストも脱いでそこへ、そして今は首元――赤いネクタイを緩めているらしいその横からの立ち姿は、白いワイシャツから腰骨の上あたりで黒いジャストサイズのスラックスとなり、そのすっと痩せている長身が映えて、しみじみとソンジュさんのスタイルの良さが際立っている。
「…いいえ。まさか、この広い家に一人暮らしなわけないでしょう。」
「…やっぱりか…、…」
むしろその返答には安心した僕である。
たとえばご家族と一緒に暮らしているだとか、そうでなければまず説明が付かないこの部屋の広さと部屋数では、よっぽどソンジュさんが一人暮らしをしているほうが不気味なくらいだ。
ただ…――ご家族と暮らしている家に、僕のような性奴隷を連れ込んで何か、支障はないのか。
「…あの…ソンジュさん、もしご家族と暮らしてらっしゃるなら、僕のような……」
「…いえ、家族とは暮らしていません。」
「…では、どなたと」
ソンジュさんは僕に振り返ることもなく、ほどき終えたらしい真紅のネクタイを、ワイシャツの襟元からするりと抜き取りながら。
「半 分 モグスさんと。…」
「…………」
モグスさん――執事と。…しかも半 分 。
「…モグスさんと、半 分 は 共に暮らしています。」
「…ぁ、他には…?」
ていうか、その半 分 ってなんなんだ?
「いませんが。――二人です。俺と、モグスさん。」
「…………」
一人暮らしではないにしても、二人…――この部屋の広さと部屋数で二人なら、ほとんど一人で此処に暮らしているようなものではないか。
「ところで、半 分 って…?」
僕が聞くと、ソンジュさんは真紅のネクタイをまたソファの背もたれへとかけ、腰骨に両手を当てては顔を伏せ気味に。
「……ですから…モグスさんは、この家の下にご自分の家がありましてね。彼は、そこで奥さんと暮らしてらっしゃるのです。――そして半日は、仕事として我が家にいるので、…半 分 です。」
「…………」
それは半分とは言わないような(仕事、つまり出勤しているという格好なら、一緒に暮らしているのラインかどうかはいささか曖昧である)。
つまり――事実上の一人暮らしじゃないか?
なるほど…規格外のお金持ちである。
「…ぁーでも…こんなに広かったら、掃除とか大変では…あ、僕やりましょうか…? 結構慣れているので、せめてお手伝いくらいでも……」
下手に此処でチヤホヤされるよりは、いつもやっているようなこと、つまり家事炊事の強 化 版 をやっていたほうがいくらかマシだ。――何かやっていたほうが精神衛生上いいに決まっている。
「いいえ。三日おきにハウスキーピングの方がいらっしゃると言ったではないですか。…」
「…………」
そうでした。――クリスさんと、ユジョンさん。
ふん、と鼻で笑ったソンジュさんは、ふっと遠くから僕に振り返り、微笑みかけてくる。
「…ユンファさんは、何もなさらなくて結構です。――食事にしても、モグスさんが毎食作ってくださいますからね。――十条家はヲクから没落したのち、我々九条ヲク家の面倒を見る執事や乳母、メイドなんかを生む家となりましたでしょう。…彼は、少年のころからそれらを学んでいらっしゃいます。」
ソンジュさんは言いながら、ついでその体も僕のほうへと向け…そのままスタスタと僕のほうに歩いてくる。
「…ですから、料理にしろ家事にしろ、モグスさんはプロフェッショナルなのですよ。まあこれだけ広い家ですから、モグスさんでも毎日掃除をすることまでは厳しいので、三日おきにハウスキーピングを頼んではいますが。」
「…………」
素人の僕ができることなんかない、ようだ。
まあ下手に何かして、何かを壊してもアレか。――まず僕には、それの弁償なんかできない。…一生身を粉にして働いてもおそらく、まあ無理である。
ソンジュさんは僕のほうへ歩いて来ながら、ひょいっと陽気に肩を竦める。
「…ユンファさんが、この家の雑事の心配などなさらなくてもよいのです。…それが仕事の、モグスさんがいてくださるのですから…――どうぞ貴方はゆったりと羽根を伸ばして、好きにお過ごしくださいね。」
「……、…」
いや、心配なくと言われても…――僕のような庶民が、いきなりソンジュさんのようなお金持ち的にお世話をされる側に立て、存分に…なんて調子で言われても、正直当惑している。――よっぽどそちらのほうが、僕にとっては心配要素なのである。
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