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              「………、…、…」    どうして…――どうして、どうして…、どうしてなんだ…、……飲めない。  水が、飲めない。――水さえ飲めない。…泣きそうになるくらい、怖い。   「……ユンファさん…、大丈夫…」   「……、…っ」    僕ははっと、隣のソンジュさんに振り返った。  彼はペットボトルを握っている僕の手、震えている手に、片手を重ね――優しく微笑んでくれる。   「…大丈夫だよ、ユンファさん…、飲んでいいんだ。俺は絶対に怒らない…――勝手に水を飲むな、とか、飲んだあとに何飲んでいるんだ、なんて…まさか。そんな理不尽なことで、俺は怒ったりしないよ……」   「…………」    ソンジュさんは柔らかく目を細め、優しい声で「約束するよ」と。――いちごミルクのペットボトルをテーブルに置き、…僕の片手を取った。  そして彼は、震えている僕の手――小指に、自分の長い小指を絡めて。   「…さあ、約束しましょうか…? ユンファさんが何をしても、俺は貴方を責めません。…でも…もし、もし俺がこの約束を破ったら、…そうだな…ユンファさんは、俺に何をしてほしいですか…?」    ふふ、とイタズラっ子のように目を細めて笑う、ソンジュさん――を、ぼうっと見ている僕は、…顔を横に振った。「何もしなくていいんです…」と。  僕がこう言ったのは、さっきのように、ソンジュさんには何も求めることなんかない、と冷ややかな感情でそう言ったんじゃなかった。――ただ…嬉しかったのだ。  ソンジュさんのその優しさが、本当に嬉しかった。   「……そうですか…? んん、じゃあ…もし俺が約束を破ったら…――ユンファさんに、一週間触れてはならない…なんて、どうです。」   「……はは…罰則になりますか、それじゃあまり…」   「何をおっしゃる…、大変な罰ですよ。俺にとってはね…、なんなら、死ぬよりも辛いことだ。」    明らかにオーバーだが、…目を丸くしてそう言うソンジュさんに、はは、と気持ちが和んでまた笑えた僕は、「じゃあそれで」と頷いた。――一週間…となると、この“恋人契約”中は触れられないのだから、まあ確かにそれなりな罰か、とも思い直す――すると優しく微笑んだソンジュさんも、うんと頷いた。   「……じゃあお水、飲んでみましょうか。…頑張って」   「……はい…、…」    ただ、やっぱり…持っているペットボトルに向き合うと、違和感を覚える。抵抗を感じる。…罪悪感を、覚える。――でも、僕は覚悟を決める。  震えている僕の手に、あたたかい手を重ねて――「今日は一緒に」と、サポートをしてくれるソンジュさん…、僕はそれが本当に心強く思い、…自分の口元へと、ソンジュさんと共に、ペットボトルの口を持っていく。    僕はぎゅっと目を瞑り――グッと唇に、その固い口を押し付けた。…ソンジュさんはゆっくりとペットボトルを傾けて、…すると、僕の口の中に流れ込んでくる水。  ソンジュさんは一口分で、ペットボトルの口を離した。   「……、…、……」    口の中に溜まった水に、躊躇う。  飲んで、いいの、…本当に飲んでいいのか、駄目、怒られる、殴られ、…――「大丈夫だから…飲んで、飲み込んで、ユンファさん」…――ソンジュさんのその言葉にハッとし、僕はゴクリ、と。…飲み込んだ。     「……っは…、…」      飲ん、…じゃった……――。     「……はは、あぁよかった、飲めましたね? よかった、本当によかった…頑張りましたね、ユンファさん」   「……っ?」    隣からぐいっと抱き寄せられ、僕よりもよっぽど嬉しそうな明るい声を出したソンジュさんが、…僕の横の髪をなでなでとして褒めてくれる。  僕は、…それが、嬉しくて――目元が熱い。   「……はは、よし。じゃあもう一口飲んでみましょうか? まあ、もし大丈夫そうなら…ごくごく、と。ね…?」   「……はい…、…」    まるで魔法だ…――魔法使いだ、彼。  僕…ソンジュさんの側にいられたら――()()が、解けるのかもしれない。           

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