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実は僕、今この脱衣場と浴室を眺めることで、現実逃避をしていたのだ。…この脱衣場にたどり着いてすぐ、ニッコリと笑ったソンジュさんは僕に向かってこう言った。
“「…ユンファさんのお体、俺が洗って差し上げますね。…」”
もちろん僕は断った。…自分で洗えます、と。
何より(今は)抱く気もないのに彼、いったい何が目的で僕の体を洗うなんて言い出したのやらまるでわからないのだが、いっそ意味がわからなすぎて不気味…いや、もしかしてそれも恋人らしい行為なのだろうか(しかし僕にしてみれば、ソンジュさんのしてくる行為はことごとく僕がノダガワ家の人々に性奴隷としてしている行為に近しい)。経験がないのがこんなにも悔やまれる日が来るとは…、普通にみんなカップルは、そういうことをしているのか?
すると一旦は引いたソンジュさんだ。…なぜかやけにしゅん…とした顔をしてはいたが(まるで叱られた犬のように)、「わかりました…」と。――ただ、その引き下がったのもタダではなかった。
“「…なら見ていても構わないでしょうか」”
……彼、僕の入浴を見ていたいそうだ。
もう本当に下心ならまだしも、そうじゃなさそうなところが一番意味がわからない。…なぜと聞いたら、いわく「やはり付き合いたてのうちは、ユンファさんと一時も離れていたくないもので」――だそうだ。…そういう、もんなのか…? 風呂…まで…?
まさか…毎日じゃないですよね。――へらへらと笑うしかなかった僕の、この質問に返ってきたソンジュさんの返答は。
“「そりゃあ当たり前でしょう。」”
僕がホッと胸を撫で下ろしたのも、つかの間のことだ。
“「毎日に決まっています。…あぁいえ、見 る の は 毎日じゃありません」”
???
僕の頭に浮かんだ疑問符は、神 の 目 に見えていた。
“「たまには、一緒に入ることもあるかと。」”
ニッコニコで当たり前の論調で、何を言ってるんだこの人。むしろ一緒に入るほうがた ま に なのも恐ろしい。――というわけで…どっちみち僕は、これから毎日ソンジュさんに見られながらシャワーを浴びなければならないらしいのだ。
まあソ ン ジ ュ さ ん に と っ て は 幸い、この浴室は脱衣場から丸見えである。――湯気で曇ってしまえばわからないが、まあそれでも脱衣場に居れば、中はそれなりに見えるのだろう。
とはいえ…いくら僕が(元、あるいは首輪を着けているときだけソンジュさんの)性奴隷で、もはや裸をただ見せるよりも恥ずかしい姿を多くの人に晒してきたような人であるとしても…――さすがに入浴というプライベートな時間は、しかも、このところにしてはやっとゆっくり一人で入れる貴重な時間を、…監視されながらというのはちょっと…やっぱり。
僕はあえて、まだ返答をしていない。
…していないが――ソンジュさんはもう見る気満々で、なんで脱がないの? と聞いてきたわけである。
「――というか、ユンファさん」
「…あ、はい…?」
僕は今洗面台を背に立ち、あらぬ方向を向いていた(ちょうどガラス張りの奥にある風呂椅子あたり)が、僕の正面に立って待っているソンジュさんへ顔を向ければ――ソンジュさんはスラックスのポケットにスマホをしまいつつ、何かいかめしい顔をして僕を見る。
まるで睨むようなその目に怯む僕は、まだ何も言われていないというのにもうごめんなさいと口走りそうだ。そして彼、ムッとしながら。
「…なぜ俺は不要だと言ったのに、日用品を持ってこられたのですか。」
「……あ…あぁ、あの…いえ、さすがにわざわざお借りするのは申し訳ないかと…、…」
と、答えている僕だが、…なぜソンジュさんは、僕があのボストンバッグに衣類を詰め込んできたことを知っているのだろう。――しかし僕がそのことを追求する隙もなく、さらにソンジュさんはムッとして続ける。
「…貸すんじゃありません。プレゼントするのです。歯ブラシなんか、――いや、歯磨き粉はまあ良しとしましょう、お好みのものがあるでしょうから。…ただ俺は、貴重品のみを持ってきてくださいと言ったではないですか。ア レ 、ユンファさんの歯ブラシですよ。」
アレ、とチラリ僕の背後へ視線を転じたソンジュさんはおそらく、洗面台の蛇口の隣に置かれた歯ブラシ立ての、あの二本の歯ブラシのことを見たのだ。
「わざわざユンファさんの、タンザナイトの瞳の色のものをご用意したのに。」
「…あ、そ…ご、ごめんなさい、そうだったん、ですね…、…」
拗ねているようなソンジュさんの言葉に、とっさにうなだれて謝る僕だ。まあたしかに、言いつけに背いたのは僕なのだ。――が…そこまで怒らなくても。
「…………」
うなだれると視界に映る、この薄紫色のスリッパ。
というか…もしかして、じゃあこのスリッパも…?
たしかにこれも僕の瞳の色と同じ、薄紫色だ(しかもスニーカー同様サイズぴったり)。――そしてソンジュさんのスリッパは…彼の瞳の色と同じ淡い水色、…なら歯ブラシも、まさかそういうことか。…あの水色の歯ブラシは、ソンジュさんのものなのかもしれない。
「…………」
いや、カップル、っぽいかもしれない、確かに確かに。お互いの瞳の色のグッズを、お揃いで使う…――なるほど、こういうのが恋人らしいということか。…ことなのか…? 本当か?
「…はぁ…せっかくユンファさんの歯の形に合わせた歯ブラシを特注したのに…、古いものは捨てますからね。――あ、ところで、もしや電動歯ブラシのほうがよろしかったですか?」
「………、…」
そう、いう…問題じゃないだろ、どう考えても。
僕の足のサイズの次は歯。――は…?
「なぜ、…そんなことまで…?」
思わず聞いてしまった僕に、「え…?」ときょとん…としてから、ソンジュさんはにっこりと、穏やかな微笑みをその美しい顔にたたえた。
「……そりゃあ…好きな人のことは、なんだって知っておきたいものではないですか。…」
「…………」
そんなもんなんだろうか…――好きな人の、歯の形まで完全把握したい…ものなんだな、恋人同士って、…へえ、
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