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                  「…ソンジュさん…あの、たっぷりお褒めいただいたあとだと、まあ、まあ正直言いにくいんですが。…いや、褒めてもらったことに関してはありがとうございます、ただ」    まあ多分、かなり綺麗だよ美しいよと褒められたんだろうというのはわかっている。…嬉しいという思いをシンプルに抱けないのは、怒っているというのにも相俟って、あまりにも僕がロマンチック耐性がなさすぎるせいで、いまいちしっくり理解しきれていないからだろうが。――いや、はっきり言ってそんなことはどうでもいいのだ。  僕は閉ざしたまぶたを、す…と薄く開け――とりあえずは目線を伏せたまま。   「…勝手に人の服を全部捨てて…、勝手に人のスマホを初期化したことに関して、何か言うことありませんか。」   「ぁあはい、まあ反省はしてます。というかあとでじっくり反省はします。…」    僕がそう低く言うも、反省した様子もない、軽々しい様子でそう返したソンジュさんは、…本当に、あとで反省なんかするのだろうか。――カチンとくるな。今反省できない人が、あとからまさか反省なんかするはずもないだろう。…ましてや彼、わりにわかりやすいのだ。本当に反省しているときはキューンと鳴くのだから。  チラリと見れば…ほら見ろ――反省してしゅんとするどころか、案の定頬を染めてまで嬉しそうな顔をしているのだ、ソンジュさんは。   「うぁ…あぁ…怒っているね、怒っているんだねユンファさん…――ユンファさんもちゃんと生きている人なのだな…、…安心しました。本当に嬉しいです、貴方の感情が、やっとこの目で()()()。…いやぁ、貴方がそんなに冷たい目で俺を見てくるとは……」   「…ああ、ええ。怒ってますからね。」    すぐロマンチックなことを言う人なのは知っているが、それで僕がほだされてナアナアすると思ったら大間違いだ。――人の服勝手に捨てるとか、人のスマホ勝手に初期化ってそれこそ軽犯罪だろ。   「あぁ…ははは、あぁユンファさん、もっと怒って…」   「………、…」    あ、駄目だ、としかし直感する僕である。  僕があえて顔を横へ伏せ、どうしたらいいんだと目を泳がせる理由は、明白だ。   「…あれ、もう終わりですか…? もっと睨みつけてください、もっと俺を冷たく罵ってくれ…、いやなんなら、怒りのままに俺の首へ思いっ切り噛み付いてくださいませんか…? まあ殴られるのも悪くはないんだが、しかし欲を言えば、どうせなら()()()()()()()にしてほしいもので」   「…………」    怒られている人が欲を言うなよ、ていうか()()()()()()()ってなんだよ。…この変t…いや、この変な感性のソンジュさんは、僕の怒りがむしろご褒b…いや、なぜか本気で嬉しいことらしいのだ。   「なぜって…ひいてはそれも()()になるじゃないですか…? ほら俺、感覚なども含めて映像記憶ができ…」   「ソンジュさん…、……」    僕は名前を呼び、何も言わずにただ首を横に振った。いろんな意味でNOと示したのだ。自分の怒りを()()()にされるとは、さすがに癪に障る。――というかどう考えてもそれは、その類まれなる能力の無駄遣いである。    もう諦めよう、むしろ構うほうが喜ばれてイタチごっこになる。  衣類に関してはもうずいぶん新調などしていない、よれよれのパジャマやゴムの伸びた下着、最近まったく着ていないパーカにジーパン、その程度のものだった。――最近着ていないものはもう着ないのだから捨てるべき、とも言うらしいからな。もういいか。  変t……いや、ソンジュさんに構っているほうが僕にとってはマイナスな気さえしてきた。――どうせ新しい服をご用意くださったそうだし、…捨てろと指示したのはソンジュさんである。…ならもう逆に、なんの気後れもなくその服を着させてもらえるじゃないか。    それに…スマホに関しても、初期化されたからといって、別に何が困るなんてこともない。  近頃はノダガワ家の人々か、職場(『DONKEY』)との連絡手段としてしか使っていなかったし。  というのも僕は、もう両親の連絡先も、友人の連絡先も消してしまったのだ。――僕はもう、彼らとは縁を切ったつもりである。  それによくよく考えたら、ケグリ氏の仕組んだGPSと盗聴の何かを、どうにかしなきゃならないからこそ、初期化するしかなかったのかもしれないだろう。    ソンジュさんはここまでうっとりとした声であったものの、唐突におどけたような笑みを含ませ、こう言った。   「…いやぁ、それにしても羨ましいですよ、俺。…」   「……?」    何が、と見ればソンジュさんは、その凛々しい眉をたわめて笑っている。   「ほら、もうご存知でしょうけど、俺、怒ると嫌でも唸ってしまうんです。…正直、あれは抑えようとしても気を抜くと、勝手にね…はは、情けないですが、アルファはみんなそうなんです。――犬みたいでしょう?」   「……、…はは…」    グゥゥと唸ったり、ガルルと威嚇したり、キューンと鳴いたり。――いつか遠吠えでもするんじゃないか、なんて思うと可笑しくて、僕は笑ってしまった。  僕たちは笑顔を向け合いながら、冗談っぽい会話をする。   「犬というか…狼…――もしかして、遠吠えもしますか?」   「…あぁ…“狼化”すると、たまにね。」   「ええ? はは、そうなんですか。本当に?」   「残念ながら、本当なんですよ。」    僕らは笑顔を見合わせ――それから同時に、ははは、と笑いあった。   「…はは、そうなんだ、大変ですね」   「そうなんですよ。アルファも大変なんです」   「本当ですね。ふふ…、…」    あーあ、僕、…結局ほだされて、許してしまった。  そういえば…思えば僕、ソンジュさんに出会ってから、ずいぶん久しぶりに笑ったんじゃないか?    彼が初めて唸ったときもそうだ。――ふふ、と思わずもれた僕の笑みは…本物だった。    笑わなければと、命令されているからと、笑わなければ酷くされるからと、笑ったのではなく――思わず自然ともれた笑いだったからこそ、あれは()()()()()だったのだ。      それに僕は…――なぜか今、怒った。      身勝手だと怒った。――馬鹿にされている、と怒った。         

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