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                「…なあに、ふあふあちゃん♡」   「……ぁ、その…たと、えば……」    一時停止中の車、幸い今は車通りも少ないが、とはいえそろそろ退かないと邪魔になるかもしれない。――いい加減切り上げないと、とは思いつつ、そう優しい声で反問をしてくださったレディさんに、僕は、   「……、…いえ…すみません、何でも……」    ――僕は結局、前のめりの姿勢からとさ、と。  座席の背もたれに背をあずけ、うつむいた。   「…やっぱり何でもありません、すみません…――もうそろそろ行かなきゃ、迷惑になってしまうから……」    たとえば僕も、レディさんのお力を借りたら。  僕なんかでも、少しだけでも…自分に自信を、持てるようになれるだろうか。…たとえば少しだけでも――ソンジュさんに――本当に魅力的だと、思ってもらえるような。  たとえば…唇、だとか――彼がキスをしてくださるとき、気持ち良いと思ってくれるような唇になれたら。  もっと我儘をいえば、ソンジュさんがキスをしたくなるような、そんな唇に…――なりたかった…が、   「……ふあふあちゃん、遠慮しないでいいんだよぉ? なんでも言って?」   「…あ、いえド忘れしちゃったんです、はは…何を言いたかったのか、もう思い出せなくて、…ごめんなさい……」    仮に、そうなれたところで…――というか、なれるのかもわからないが、僕は、いつまでソンジュさんの側にいられるのかもわからない。――()()()()を打ち明けたら、もしか彼には、今夜中に別れを切り出されるかもしれないのだ。  今夜中にも追い出される可能性のある僕が、明日なんてないかもしれない僕が、――やっぱり豚に真珠、かもしれないしな…意味もない。   「……、ユンファさん…? 言いたいことがあるならば呑み込まず、おっしゃられるべきです。…長くなるようなら、彼女たちを一度家に上げれば済むだけの話ですしね」    見兼ねたソンジュさんが頭を上げ、僕に振り返ってそう神妙にいうが、僕は曖昧に笑って「大丈夫です」と首を横に振った。   「…いや、なあ、あれじゃないか? ほら、人前でいうのはちょーっと恥ずかしい内容とか…――よしユンファさん、あとでおじさんにだけ教えて。…そしたらお嬢に、俺が伝えりゃいいんだからさ」   「…いえ、そういうわけでは……すみません本当に、大丈夫ですから。ありがとうございます」    僕にウィンクをしてそう言ってくださったモグスさん、確かに人前で言うのは、思えば恥ずかしい内容だったかもしれない。――しかしそのお気遣いこそ有り難いが、言う意味もないだろうと僕はそう、…だが。  レディさんが、出し抜けに。   「…ん〜? なんかぁ、でもぉ、たぶんだけどぉ…――まりあ、わかっちゃったかもっ♡」   「…え?」   「……?」    何が、と僕とサトコさんが訝しむ。   「…えへへ…♡ 明日ぁ、楽しみにしててねー…?」   「……?」    含みのある言い方をしたレディさんは、ふっとツインテールの髪をひるがえし――後部座席に座る、僕へと振り返った。彼女はニコニコしている。   「…わんわんちゃんが見惚れちゃうくらい、ふあふあちゃんを、も〜〜っとかわぃくしたげるねっ♡ ――まりあ明日までにぃ、ふあふあちゃん専用の()()()()()()()♡ 作ってきてあげるから♡」   「………、…」   「楽しみしててねぇ♡♡」――そう意気込むレディさんに、僕は唖然とする。  な、なぜ…そう、わかったのか。――なぜ、というのが僕の顔に滲んでいたか、ニヤリ…♡ とした彼女は、ふわっとまた、ツインテールの髪をなびかせて前を向いた。   「…ふあふあちゃん、()()()()()をあなどってるでしょ」   「……、…、…」    いわゆる、女の勘、というやつか。  するとソンジュさん、三角の耳をピコピコッとしては、「いいよ」と一言。   「…好きなだけ作ってきて。――その分の代金は、もちろん俺が全部支払うから。」    ソンジュさんは、僕とモグスさんの足下で伏せながら、至極淡々とそう言うが――しかしレディさんは、「んーん」とそれを断る向きの返事をした。   「…コスメちゃんたちに関してはぁ、まりあ、ふあふあちゃんにプレゼントしたげたいの。――せっかくお友達になれるんだしぃ、それに、ふあふあちゃんのかわい〜恋、応援したげたいだもん。…ね♡ いいよね、おさとうちゃん?」    しかし、レディさんのそれにすかさず反応したのはサトコさんではなく、ソンジュさんであった。   「…いや、駄目だよ、たとえ友人関係であっても、――というかだからこそ、そういう無賃での労働と、それによる品物というのは受け取れな…」    ソンジュさんは何かそうして、レディさんを咎めるようだった――大切にしているご友人だからこそなのだろう――が、それをサトコさんが制するよう、遮る。   「いいの、別に。いいのよも〜、固いなぁソンジュさんは。…今回だけよ今回だけ、あたしだって毎回毎回そんなことレディに許さないし――この子の気持ちなんだからさ…受け取ってあげて。」   「…そだよぉわんわんちゃん。まりあのラブラブコスメ、らぶらぶなまりあの気持ち、ぜひぜひ受け取って♡ 他のお洋服ちゃん代とかは、ちゃんともらうからぁ…」   「……、だけど…」   「…あ、あの、でも僕、…」    僕はそもそも明日、レディさんたちに会えるかどうかさえ怪しいのだ、…それこそ彼女の口振りからすると、そのコスメはオーダーメイド的なものになるんじゃないだろうか。――そうしたらあるいは無駄になってしまうかもしれないし、ましてやプレゼントとはとても恐れ多いと、   「…あの、明日僕、いるかどうk…」   「わかった。じゃあ今回はそういうことでいいよ。――ユンファさんがもっとお美しくなれるコスメか…、明日が楽しみだ。期待しているね。」   「……、…ぁ…ぁ…あの、…」    僕が遠慮したいと申し出る言葉を、はっきりくっきりと遮ったソンジュさんのそれに――彼は僕が言いたかったことを察していたのかどうかは、わからないが――、僕は結局確かなことが言い出せないまま、すかさずサトコさんが。   「…あ〜もうお腹いっぱいよあたしは、()()()()()()()ガンガンよ。…ほらもうあんたたち早く出てって、のぼせちゃうわ。ヤダヤダ、さっさと帰りましょレディ。」    そうなかば苛ついたようで、なかばは祝福めいた笑いを込めているサトコさんのそれに、モグスさんがはははっと声をあげて笑う。 「いやーサトコ、また飲もうな。いつでもモグスおじさんに電話してくれ」   「…やだあたし、冴えないモグスおじさんとしかサシ飲みできないのね……」   「だってまりあ、永遠の十六歳だしぃ、お姫様だからぁ、お酒飲めないんだもぉ〜ん♡」      すると車内に、あたたかい笑い声が溢れた。           

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