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いや、さっきまでのわん…――狼の姿は本当に可愛らしかったんだが、…人狼型のほうはというと、どうも…なんだろう、ちゃんと人の面影が残っているというか。
二本足で立っているからか、いや、顔立ちもどことなく人らしさが、わん…違うってだから、狼の姿のときより、この人狼の姿のほうはソンジュさんらしさが残っているというか、やはり幾分先ほどより人らしさを感じるようだ。
「…可愛いなぁユンファさん…――今は随分小さく感じますね、ふクク……」
「…んぐふっ……」
何よりデカ…――良いようにいえば、この二メートル以上の体に抱き締められると、全身をふんわりすっぽり包み込まれているようだ。…178センチの僕が、だ。
しかし、…あえて悪く言えば…――ただ単に抱き締められているだけで、すっかり全身を抱きすくめられ、拘束されているよう…でもある。
「…いや、大きふぎまへんか…?」
ソンジュさんの、そのふかふかの胸板に顔が潰されているせいで、我ながらなんとも間抜けな感じだ。
「…ふふ、それはそれは…ありがとう。…いや男として満たされるよ、好きな人よりも、こんなに体が大きくなれて…――ましてや、愛しいユンファさんのことをこうして、自分の全身で包み込めるのだからね…、貴方も、俺に全身全霊で守られている感じがするでしょう…?」
「…………」
守られ…まあわからんでもない、良く言えばそうだ。良く言えば。――しかし悪く言えば、僕は今呼吸もできていないんだが、守られているどころか今にも殺されそうだ(息ができない)。…せめて後ろ頭を押さえてくる手の力を緩めてはくださらないだろうか。
「…いやしかし、思えば少し残念だな…――散歩はともかく、この一週間はさすがに、ユンファさんと外でデートができないのか…。せっかくデートプランも立てて、高級ディナーも予約していたのだけれどね…、それはやむなくキャンセルするしかなさそうです。ごめんね、それはまたの機会にいたしましょう……」
「…むぐ、…んん゛…」
それは全然いいんだが、むしろ今はどうでもよくすらある、――ぎゅうっとされると苦しい、殺される、やっぱり苦しい、…と僕はソンジュさんの胸板を押し、…離れ。
「…っはぁ、…はぁ…、…はー苦しい゛……」
そうして僕は呼吸を整えつつ、そそくさとソンジュさんの腕の中から抜け出た。――そして背後の、廊下のほうへと後ずさる。
ソンジュさんの顔を見ながら僕は、この玄関のマットを後ろ足で踏み、後ろ向きに、廊下を進んで彼から離れつつも。
「……あの、ところで話は、どこで…?」
「……、随分警戒をするのだね…? 俺が無理やりユンファさんのことを、つがいにするとでも思っているの…?」
「…あ、ご、ごめんなさい、……」
少し心外そうな顔をしたソンジュさんに、僕は今更ハッとした。…はっきりいって悪気も何もなかったのだ――自然とそうしていた、おそらくはオメガの本能的な行動なのだ――が、…僕は自然と、ソンジュさんが視界に映るように離れていた。
どうも彼から、目を離せなかったのだ。
しかし、あまりにも無意識であったために、少し申し訳なくなる。
「…今、ついというか、無意識で……」
「ふふ…、やっぱり、怖いですか…?」
「……、それは…どうでしょう…、……」
ソンジュさんは仕方なさそうに笑うが、…僕は目線を伏せて、どうとも言えなかった。
僕は、今もなおピリピリと疼くものを、自分のうなじに感じている。――だが、怖いというとそれは少し違うような気もするのだ。…怖い、というよりは…なんだろう。
「………、…」
胸がトクトクと高鳴っている。
しくしくとするような僕の下半身――股関節から中の子宮、自身に至るまで。
よくわからない。――ケグリ氏がふざけて、僕のうなじに噛み付いてきたときの僕は、…警戒。恐怖。不愉快。嫌悪。怒り。そのように激しく僕を突き動かすような、そういった感情が僕の全身を支配した。
しかし、実際“狼化”したアルファのソンジュさんに向き合うと、…警戒。――していないわけではない。
恐怖。――ない、とはいえない。むしろある。
不愉快。――それは…うなじが気持ち悪い感覚がするので、わからない。
嫌悪。――それはない。
怒り。――ない。全然ない。
「………、…」
ただ、ケグリ氏がベータだったから、だろうか。
ケグリ氏の側にいたところで――いや、というかむしろ、これまでのどの人の側にいても――僕は別に、オメガ排卵期がきていようがなんだろうが、別に。
今僕のうなじに訪れている、この――チクチク、ピリピリと、微弱な電気を流されているかのようなこの感覚は、経験したことがなかった。
これは…そうだ。
マッサージ器具に、EMS、という微弱な電気を流して、筋肉を収縮させるものがある。――あれはこう…専用のジェルパットを肌にくっつけ、スイッチを入れるとじわじわ痺れるような、ピリピリ、チクチクとするような…もぞもぞとしたような…そういった、独特の感覚がある。
あれの…その、なんともいえない…――気持ち良いような、気持ち悪いような…疼くような、かゆいような…――あのなんともいえない感覚が、今、僕のうなじにあるのだ。――そしてその通り、わずかに嫌な感じもするが、それと同時に、わずか気持ちよさもある、という感じで。
「…俺が怖い? それとも他の、何かがある……?」
「……よく、わからないです……」
わからない。
ただ、ソンジュさんの側にいると、…少なくとも僕のうなじは、微弱な電気が集まってきたかのように、ピリピリ、もぞもぞ、じくじくとしている。――そのような感覚があり、またそこが、とく、とく、と脈打っている感覚もあるのだ。
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