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ソンジュさんは後ろから両腕で僕のことを抱き締めると、僕の耳元でやさしげに、こう甘ったるく囁いてくる。
「…ねえユンファ、今ならまだ間に合うよ…――今ならまだ俺は、貴方に優しくしてあげられるんだ……」
「……は…、…は…――。」
やさ、しく…――。
優しく…優しいソンジュさんに――うなだれている僕の視界に、彼の姿はない。…しかしもうすっかり覚えてしまった、美しく優しい光を灯すソンジュさんの淡い水色の瞳に、僕は自分のその記憶に魅了されている。
僕の記憶の中の、その水色の瞳を見つめてしまう――愛を乞うように――すると僕は、その水色に堕ちてゆく。
幻が浮かんでくる。透き通った水色の海は波打ち動くたびに柔らかく艶めき、僕はその海にふくらはぎの下あたりまで足を浸していた。…波状の影が浮かぶ自分の白い足の甲、白く細かい砂を踏んで、足の指を軽く丸めて砂を掴む。…砂は少しもったりとして粘土質だが、とても柔らかい。魚などはいない。
キラ、キラと陽の光に照らされて、時折光る透き通った水色は優しく、さわやかで、美しい――僕の目の裏に浮かんだその淡い水色が、キラ、キラ、と優しく誘うように光る。
優しく揺らぎながら艶めくその美しい水色を、僕は見つめている。
「…お願いします、ユンファさん…――俺のつがいに、なってください……」
ソンジュさんが発した“つがい”という言葉に、僕の腰がピクンと小さく揺れた。
「……ごめ…なさい……」
しかし、僕はもはやもうそれしか言えず、それも喉奥からでは、かなり小さかった。
どうしてだろう、どうしてだろうか、――涙が出てくるのだ。…切ない気持ちになって、泣きそうになるのだ。
「…っ、ごめんなさい、……っ」
つがい…――ソンジュさんの、つがい。
どうしてだろう…――ごめんなさい――僕はあまりにも切なくなって、ひ、ひ、と小さくしゃくり上げている。
「…して、ください、…――。」
ほろ、と涙が片目からこぼれ落ちていった。
なれない。――ごめんなさい。
貴方のつがいになんか、僕がなれるはずもない。
ソンジュさんの、九条ヲク家の人であるソンジュさんのつがいになんか――僕なんかが、なってはいけない。
認められるはずがない。ましてやオメガである僕にとっては、一生に一度のシステムなのだ。そんな人生で一度きりのことを、今よく考えもせず決めていいはずがない。
それは愚かなことだ。
好きだからとか、恋をしているからとか、ただそういった感情を優先して、つがいになんてなれるはずがない。
僕なんかがソンジュさんのつがいに、なっていいはずがないのだ。
――ごめんなさい。
「…っ貴方の、つがいに、…してく、――…?」
僕、僕なに、――泣きながら何を言って、
僕は今、自分でしゃべっている感覚がなかった。
「ち、違う、違うなぜ、…なぜだ、…違う、…っ」
まさか、違う、なぜ僕は…――そんな軽率に、アルファのつがいになることを求めるほど、僕はそこまでの馬鹿じゃない。――どれほどソンジュさんが素敵な人であったとしても、どれほどに僕が彼のことを愛していたとしても、いくらなんでもさすがに、さすがに僕は、一時の刹那的感情でこんなことを言うほど馬鹿じゃないはずなのだ、それなのにおかしい。――全くおかしい、どうかしてる、
僕はどうかしてしまったようだ。
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