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                     ユリメさんは目の前の灰皿を端に避け、そして今度は目の前に、オムレツの載った丸い皿を据える。  そして彼女は片腕をテーブルにつき、やや身を乗り出しては真剣な顔をして、ソンジュさんを見据えるが――僕の隣で彼は、目線を伏せたまま次々オムレツを口へと運び、澄まし顔だ。 「…お父さんたちに反対されたらどうする、ボク。」   「……あの人たちにこの結婚を許さないなんて、そんなことを言わせるつもりはありません。そもそも、もちろん俺は入念に計画を練り、勝算の見込みがある上でこの結婚を決めています。…」    オムレツを飲み込み、そう取り澄ました様子で答えたソンジュさん。…彼のその顔をしばし真剣な顔をして眺めていたユリメさんは、浅く顔を縦に揺らし、…赤らんではいても真剣な表情で。   「…じゃあなんとかすんのね。アンタが。全部?」   「…ええ。なんとかいたします。俺が。全部。」    どちらもしっかりとした声でそうやり取りしたあと、ユリメさんは「あっそ、わかった」とソンジュさんの意向を呑み込んだように引き下がり――彼女はチラリと僕を見て、苦笑した。   「…いやーごめんねユンファちゃん、お節介ババアがなんだかんだうるせえってんだよな。――ごめん。」    ユリメさんは「ごめん」と繰り返したとき、あまりにも真剣な顔をして僕に謝ってくださったのだ。――すると僕はむしろ慌ててしまう。   「ぁ、いえそんな…そんな。ご心配ありがとうございます、本当に有り難いです」    むしろ僕は、ユリメさんと同じような懸念をしている。  だからこそ、僕はソンジュさんのプロポーズに、素直に頷くことはできないでいるのだ。  僕がペコペコすると、彼女はわざとらしく目を瞠って、うんざりしたふりをする。   「うわめっちゃいい子じゃん…信じらんない、なんでこんなにいい子がコイツなんかと結婚しようと思うわけ?」   「…俺に相応しいから」   「…よく言うよお前ほんと…――まあまあ、うん、でもアンタたちが覚悟して決めてるってんならもう、アタシはこれ以上はなんも言わないからさ。頑張んな。」  正直ソンジュさんには呆れていたが、ユリメさんはここで僕を見るなりニカッと明るい、満面の笑みを浮かべてくれた。――やっぱり、彼女は怖い人なのではない。  確かにサバサバした格好良い女性ではあるが、ユリメさんは一貫して、ソンジュさんのことを、そして僕のことを心配していたが故に、「大丈夫なのか」ということをソンジュさんに問い質していただけであった。  個人的に僕たちの結婚を認められない、というよりユリメさんは、ソンジュさんのご両親には僕たちの結婚は認めてもらえないかもしれない、それでも大丈夫なのか、ちゃんと上手くやれるのか、と――いわば彼女は、ソンジュさんの覚悟を確かめ、僕たちの行く末を心配してくださっていたのだ。    僕は彼女に睨まれたような気がしていたし、嫌そうな顔をされたような気もしたが――恐らくそれは僕のネガティブ思考が故で、むしろ真剣に心配していたためにユリメさんは、ただ怖い顔をしていたというだけのことだったのだろう。  今のユリメさんはニカッと明るく、くしゃりと破顔してはナイフとフォークを手に取り、オムレツを三分の一ほどに切り分けながら、チラチラ僕とオムレツに視線を行き来させつつ。   「…それにしてもアンタカッコいいじゃない? ユンファちゃんって何歳なの?」   「……あ、二十七です…」    するとユリメさんは、目を大きく見開き、驚いた顔をした。     「…ぁあっそう? じゃあ()()()()()()()()なんだ…? いや見えないわー二十七には……」       「……、……、…――え。」    僕はしばらくぽかーーんとしてしまった――しかも、その末に言えたことというのも、信じられないという反問の一文字である。  しかしユリメさんは楽しそうにニコニコしながら、ナイフで切り分けているオムレツを見下ろす。   「…でもうん、アタシもまあ〜ソンジュには年上のほうがちょうどいいと思うわ。年下は合わねえよなぁお前は、ソンジュにはちょっと甘えられる相手のがいいと思う。…いい いい、ちょうどいい。――姉さん女房ならぬ、兄さん亭主、ってか? ブッはははは!」   「……、…、…」    え、…え、…そ、――ソンジュさんって、…()()…?  ユリメさんは自分で言って自分でウケて、爆笑しているが――酔っ払っているようなので、箸が転んでもおかしい状態なんだろう――、僕はゆっくりと、ゆっくり…と、隣のソンジュさんへ振り向いた。  ソンジュさんのそのしゅっとした狼の横顔は、なんら動じたところのない冷静な真顔である。   「…疑問の視線ですね。…言っていませんでしたか? ()()()()()()()()()()()()()()()です。――俺は貴方が生まれた7月19日の、きっかり三年と半年後に生まれました。」   「……、…、…」    い、言われてない。  三年と半年後…――僕は7月の19日生まれだ。  僕は上のほうを見て、少し計算の時間を取る。   「……、え、じゃ、じゃあソンジュさんって…――1月19日生まれの今、二十四歳、…ということですか……」   「はい。」   「…………」    嘘だろ、どうやら彼、本当に僕より三歳年下らしい。  僕は意外な展開に――とはいえ、ソンジュさんと出会ってから()()()()()()しか起こっていないのだが――、呆然と彼の神妙な横顔を眺めている(彼、今はエスカルゴの中身をのせたバゲットに齧り付いてもぐもぐしている)。   「…本当に…?」   「うん。」   「……、…」    今平然と頷いたソンジュさんの、そのすっと前に細長くなった狼の横顔では正直、年齢を推し図る要素は何もないようである。――だが人間の姿であったときのソンジュさんは、三十代に見えなくもない落ち着いた紳士らしい感じであったし、それこそ癇癪さえ起こさなければ、性格にしてもそのようである。  そりゃあ彼は確かに若々しい美形ではあるが、しかし二十四歳の顔かといわれると、……うぅん。  もちろんソンジュさんは別に、老けているわけではない。彼はとてもおじさんではないし、肌はつるつる、たるみもシワも無いのだが――ただ彼は、二十四歳にしては洗練された、落ち着きのある大人の色気を纏っているような美青年である。    そうして酸いも甘いも知っているような容貌のソンジュさんは、それこそ立ち振る舞いにしたって、二十代前半のそれではないだろう。…と、思ったが。  だいぶ…大人びた、二十四歳だな――。   「……ぉ、同じ…19日生まれだったんですね……」    夏生まれと冬生まれ、対極の季節に生まれていながらも僕たちは、同じ日に生まれたのか。  それもきっかり半年後…運命的、というと何か引っかかるようだが、とにかく不思議な生まれ方だ――っていや、我ながらそこじゃないか。  するとソンジュさんは、バゲットの上にフォークで取り出したエスカルゴの中身を擦り付けつつ、やや顔を傾けてじっくりと頷きつつも。   「そうですよ、運命的でしょう。さすが“運命の…ペア”といったところかな。…しかし、どうやらユンファさんは、俺のことを年上だと勘違いなさっていたようですね。」   「老け顔だもんなぁお前」    そう茶化すような一言を言ったのはモグスさんであるが、ソンジュさんは取り合わずにひょいと眉を上げるだけで、齧りかけのバゲットを口の中に放り込む。  一方のユリメさんは僕を見て、ニヤリ。   「…いや、ユンファちゃんもなかなか二十七には見えないよ? 三十路には見えないくらいキレーな顔してるわアンタ。――イケメンだってよく言われるでしょ」   「え…いいえまさか、そんなことは全然……」    事実だ。  それどころかむしろ僕は、人によってはブスだなんだと言われるくらいである。――いや、およそユリメさんのお世辞だろうが、だからこそ反応に困ってしまう。  するとユリメさんもまた、バゲットにエスカルゴの中身をのせながらそれに目線を落としつつ、訝しげに。   「……えーなんで? えぇ…アンタとコイツが結婚したら、ソンジュはみーんなに、あぁオメー面食いなんだなってヒソヒソされると思うんだけど。――てかアタシがそう思ってるんだけど! あっははは、ほんっとにこの面食いがぁ!」   「…はは…、……」    反応に、困る。  僕は両手に持ち、オムレツに翳したままのナイフとフォークを見下ろして、目をしばたたかせた。  どうもソンジュさん周辺の人たちは――もちろんソンジュさんを始めとしてだが――、やけに僕の容姿を褒めてくださる。  しかしそれというのは正直、僕にはどうも慣れないことなのだ。…そりゃあ月下の両親は僕のことを「可愛い、可愛い」と事あるごとに言って褒め、育ててはくれたが。――親戚たちも「可愛い、イケメンだ、こんなに立派な青年になって…」と、よく集まりなんかでは言ってくれたが(お祖父ちゃんお祖母ちゃんは特に)。  とはいえ…それというのは僕が思うに、親族ならではのいわば、()()()()()()()()()だ。――だからこそそれに関しては困るも何もなく、「はいはい、ありがとう」で済ませられたのである。   「…面食い…正直、その点に関しては否めません。()()()()ですのでね…――しかしのみならず…何もかもが美しい人なのですよ、ユンファさんは。」   「……、…」    まあ、先ほどもご自分で「俺は面食いだ」というようなことを言っていたもんな…なんて、ぼんやりと考える。    しかし、()()()()…?  此処に来たとき、駐車場にて――僕はモグスさんの、あの言葉たちを思い出している。      “「…はははっ…いやぁ〜なるほどね。いやぁなるほど、そういうことかぁ…――なあボク、もしかしてお前、()()()()()()()()()()()って……」”     「…………」      ()()()()――()()()…?      “「ァほんと? いやー私、なぁんかね…いやなーんとなくですぞ。やあーあのお話に出てくる()()()()()()、どーーも()()()()()()()()()()()ような気がしてね……?」”      『夢見の恋人』――僕によく似た、ユメミ。  ソンジュさんによく似た、カナエ。      “「…ユンファさん…“()()()()()”って小説、知ってたりしない? いや結構有名だったでしょう、ねえ、ちょっと前までは。」”      なぜあのときモグスさんは、その話をした…?  僕より三歳年下であるというソンジュさんの職業は、小説家――今、二十四歳であるはずの、小説『夢見の恋人』の作者――pine(パイン)”先生。        ――一目惚れ。       「……、…」    ファンタジー…だろうか。  たまたまだろうか。――これは偶然、なんだろうか。  pine(パイン)――訳すと、松。  松樹(ソンジュ)――。      天才小説作家pine――ホルス()の目を持つ鬼才小説家”。         

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