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                 そうして『夢見の恋人』で華々しくデビューし、それが見事に大ヒットしたpine先生は、いまだに様々なジャンルの作品を書いて大活躍されている人気小説作家である。  彼が描くジャンルはとても幅広いが、ただ、あの『夢見の恋人』――甘酸っぱい純愛物語――以降は、何かほの暗い話ばかり書いてらっしゃるようにも思う。  例えばどろどろとした人間関係、官能性ある耽美系や、サスペンス、人間心理的な作品、はたまたミステリーものなど…つまり彼は、あの『夢見の恋人』のようなラブロマンスものはそれ以降、もう一切書かれていない。    また、およそ成人されてからは密かに“piña(ピーニャ)”の名義で、官能小説まで書いているとの噂だ(もちろん先生の大ファンとして読んでみたが、かなりエロい)。    いや、しかし()とはいえども、はっきりいってバレバレなのだ。  というのも、『夢見の恋人』では会話文のみという、控えめで初々しく可愛らしさすらある、しっとりと比喩的な表現であった官能シーンだが――piña(ピーニャ)の名義で書かれている官能小説のほうでは、もはやなんら遠慮などなく、いまや先生は、肉感的なエロティックを繊細に描きつつ、また、その情景描写の巧みさから読者の頭の中に浮かび上がってくる、いや、いっそ映像が流れ込んでくるような情景と、その場面の想像のたやすさなど、pine名義のほうで得た技能をそちらでも遺憾なく発揮されている。……ので、結局piña(ピーニャ)名義でも、pine先生なんだとバレバレなのである(もちろん良い意味でだ。()()()()()()()()()()()、といったところだろうか)。    そうして、pine先生は情景描写も巧みではあるのだが、殊に得意とされるのは――登場人物の心理描写や人間関係などを、複雑かつ執拗なまでに丁寧に描くことにも定評がある先生なのだ。  pine先生の作品はどれも感情移入がたやすく、ページを開けばたちまち時間を忘れるほどに没入して、いつの間にやらその作品の虜になっている。  それこそ自分と共通点などない主人公でも、読んでいくうち、いつの間にか感情移入をしているといったように――まさに神技だ――気が付けば自分が主人公になっているかのような、今自分がその場にいてその出来事を経験しているかのような、あるいは主人公の人生を生きて追体験しているかのような…といった感じで、pine先生の作品には、そういった強制的にブラックホールに引き込まれるような、不思議ながらも強烈な魔性の魅力があるのだ。    読めば読者が思わずゾッとするほど、ハッと目が覚めるほど、自分でも気が付かなかったような心理をズバリと言語化されたかのように思え――『自分のことを(えが)いているのか? もしやモデルは自分なんじゃないか? どこかで自分のことを舐め回すように(pine先生が)見ているんじゃないか? 自分はどこかから見られているんじゃないか、外も中も何もかも…?』と、読者が思わず錯覚、錯乱するようなほど正確かつ生々しく、繊細に描かれる人間模様と心理描写に虜となった読者が多いため、彼の作品のせいで()()()()()()すらできたんじゃないか、とさえ、まことしやかに言われているほどだ。    そして、そうしたこともあって読者からは、『まるで自分の心を見透かされたようだ』という声も多いためにpine先生は、世間ではしばしば“ホルス()の目を持つ鬼才小説家”、という異名で呼ばれているのである。         

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