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                 さて、風俗店の利用などこれが初めての俺である。  つまり俺にはユンファさん以外のキャストという比較対象がないのだが、またいわゆる風俗店の常識的な…とでもいうべきか、いわば風俗店のキャストたちにとっての「普通の服装」も、俺にはまるでわかっていないのだが――。    正直に白状をすると俺は、ユンファさんがかなりセクシーな服装で此処に来るのではないか――などと期待半分に考えていた。    まあセクシーなものも含めて種類の多い女の服に比べれば、そもそも外を歩いていて差し支えない男の服とは「余白エロ」のほうが多いとは俺も思うが――ちなみに『DONKEY』は、客側が指定した(店の用意と法に許される限りの)コスチュームを着用したキャストと、いきなりご対面…ということも可能だそうだ(それこそ女装させるも男装させるも可能だそうだ)が、俺は今回ユンファさんに「ナチュラルな恋人」を求めているため、そういった服装指定はしなかった――、としても俺は、彼がもう少し派手な服装で来るかと思っていたのである。    例えばみぞおちまでガッツリと開かれた柄の煩いシャツであるとか、ボタンのない鎖骨の丸見えな緩いシャツであるとか、ぴっちりとしたスキニーパンツであるとか、それこそスウェットパンツであるとか……いわば肉体の魅力を強調はしつつも、男物にして今すぐに脱げるような――下品な言い方をすれば、会って一秒でセックスに至れるような――服装、…要するに俺はユンファさんが、あえての「セックスを彷彿とさせる淫乱っぽい服装」をしてくるのではないかと、密かにイメージしていたのだ。 (きっとユンファさんならばそれらも下品どころか、むしろ格好良いセクシーな男に見えるのだろうが)    ところがユンファさんは、あからさまに淫奔(いんぽん)げな服装で此処へ来たわけではなかった。    白いカッターシャツに、細身の黒いスラックスとベルト、そして革靴…――。  いや、確かにそのカッターシャツの立て襟は何か色男然としている。ましてやその開かれた襟の下は(そもそもがボタンの無い)第三ボタンあたりまで開いており、シャツの襟元は下へ向け谷のように狭まりながらも、ユンファさんの白い胸板の中央までもが覗いている。  またその左耳には十センチないくらいの銀の十字架のピアスが揺れ、その美しい長めの首には、金の南京錠付きの赤い首輪が(はま)ったままだ。    しかしなぜかしらいやらしい印象が無い。  ユンファさんの着ている立て襟の、胸元の覗いた白いカッターシャツに細身の黒いスラックスと、くたびれた革靴、加えて赤い首輪と十字架のピアス……とてもではないのだが、なぜかしらいかにも「風俗店のキャスト的」な服装と思えない。ましてや「性奴隷的な格好」とはもっと思えない。    それはたとえ性奴隷というんじゃなくとも、多少なり多淫(たいん)のふりを要求されるだろう、この風俗店のキャストという仕事に相応しくない服装、というまでのことはないのだが、少なくとも何か、むしろユンファさんには「多淫を強いられている人」というような印象をさえ抱くようだ。    いや、それはまあ実際にそうなのだ。俺もそれはわかっている。  ユンファさんは自身の望みで――マゾヒストの()()()として――ケグリを主人とする性奴隷になったのではない。ましてやこの風俗店勤務に関しても、明らかに犯罪的な他者(モウラ及びケグリ)からの強要によって働かされているのだから、彼とて嫌々やっているところがあるはずだ。  というか嫌々で当たり前である。自分の心身を粉にして働いたがために得られる報酬のその全てを搾取されて、どうしてあの公式サイトのコメントよろしく「このお仕事が大好きです♡」なんて言えるのか。  しかしユンファさんが「強いられた性奴隷」であるとしても、彼からはそれほど「日常的なセックス」の気配を感じ取れない。それはなぜだ?  ……あるいはユンファさんがこの服装にしても、きっちりと「すぐには脱げないように」着こなしているからであろうか?    というのも、ユンファさんはかっちりとベルトを締め、カフスボタンもまた留めている。またカッターシャツ自体の形がただ「色男風」というだけであり、シャツのボタンにしても彼は全て留めている。そしてシャツの裾もきちんとスラックスにしまい込んでいる。――俺は普段からこういった着こなしをしているのでわかるが、このかっちりとした着こなし方であると、脱ぐのには割と時間がかかるのである。    それだからなのか――どうも「性的にだらしない人」というようないやらしい風には見えず、ユンファさんむしろ何か、爽やかな好青年というようにさえ見えるのだ。    いやそれどころか――彼を見てむしろその赤い首輪に、何かしらグロテスクな違和感をさえ覚えてしまうのは、俺だけなのだろうか?    俺の目には明らかなほど、ユンファさんの首に嵌められたその鮮やかな赤の革の首輪は、どうも異質な存在感を放って見える。――それこそ黒と白とわずかな銀というシンプルな色合いの今のユンファさんの服装には、却ってその鮮やかな端の擦れた赤く太い、ゴツゴツとした、まるで犬の首輪のようなそれに自然と目が行くようである。    またその圧倒されそうなほどに存在感のある首輪は、明らかに人の首に巻かれていてよいものではない、そういったような「見てはいけないもの」という「異質さ」がある。――しかし見てはならないという良心の呵責はあれども、あまりにも異質な存在感を放っているが故につい「それが何なのか」を自分の中で納得するまで、何度でも盗み見て観察してしまう…というようなものとも思える。   「……はい、あの…いや僕は本当に大丈夫です……いえっも、申し訳ありませんが、お客様がお待ちですので……は? いやか、帰りません…っ! 何を仰るんですか、というか駐車長いけど大丈夫てすか、…」   「……なるほど」    やはりスタッフの男、ユンファさんに惚れているね…いや、――わかったような気がする。  この赤い首輪の「異質さ」を醸し出すグロテスクな存在感は、ユンファさんの生来の育ちの良さを隠し切れていない上品な佇まいによって、より強調されているようなのだ。    彼はそれこそFirst Impressions――本当はFirstではないのだが――エレベーターの中にいたときもそうだった。  背筋の伸びた、姿勢の良い痩せ型の長身から醸し出される、その優美な品の良い雰囲気――姿勢が良いからこそ首も長く見え、よりスタイルも良く見える。…むしろ気高く首を伸ばしているからこそ、この立て襟も下品には見えない。    例の『KAWA's』での彼は、映像によるとどうも胸を引くような姿勢で働いていた。それはその店で働いているとき、薄桃色の乳首やその乳首につけられたピアスが透けてしまうことを恥じての姿勢、といえるだろう。    しかし今のように透けることのないカッターシャツであると、こうして、自然とユンファさんは腰から頭の付け根まで背筋をピンッと真っ直ぐに伸ばし、またその細長い脚にしてもだらしない体勢を取るのではなく、あくまでも自然に足のつま先を開いて、そして両脚は真っ直ぐに伸ばされている。    総じて安物の衣服を身に着けていようが、それであってもユンファさんのその全身から醸し出される「上品な王子様」の甘くも高潔なる匂い……これはアイドルやおとぎ話に出てくるような、いわば作り物の王子様というのではない。    それこそ実際に王家に生まれた子息の殿下の一人、というような自然さであるからこそ、およそ誰しもがその上品な色香を嗅ぎ取ってしまうことであろう――彼は間違ってもわざと気取っているわけではなく、生まれたときからその麗しい気高い姿勢で生きてきたために、意識せずともその凛とした姿勢になってしまうほどそれが身に染み付いている。要するに、この凛とした姿勢こそユンファさんにとっての「自然」なのである――。    これはあのツキシタ夫妻の教育の賜物か――ひいては五条ヲク家の血筋の賜物か――見事なほど、口では物言わずとも、「僕は小さな頃から上流社会に相応しい教育を施されました」とでもその全身で言っているかのような、そういった、まあ王子様とまでは言わないにしても、少なくとも「お上品なお坊ちゃん」というのがユンファさんの全身から滲み出ている。  しかし、であるからこそ下品ともいえる赤い首輪の存在感が違和感となり、チグハグとした上品と下品のそのギャップの(おぞ)ましさが、いっそグロテスクなほどに甚だしいのである。    更に言って――つまり。  今のユンファさんの服装をフラットに見れば、確かに「色っぽい服装」ではないとは言い切れない。…首から胸元の白い肌が見えている以上、何かしら扇情的な要素はあるといえるだろう。  だが、俺は先ほども結局は着る人によって、服というもの自体の印象もまた変わるものだという結論に行き着いていた。例えば元が下品な者が高級なブランドで全身を包もうが、結局は下品なようにしか見えない。いわば猿に烏帽子(えぼし)ということである。    しかしその逆もまた然りといえる。  そもそもユンファさんの容姿が美しい、というのは間違いなくあるのだ――結局彼は飛び抜けてスタイルも良ければ顔も良いため、極度に奇矯な服装でもしない限りは、何を着たって格好良くキマるのであろう――が、何より、彼自身の挙措(きょそ)や醸し出す雰囲気に上品で爽やかな優麗さがあるため、まずこのような「色男風」の服装であっても、何かしらいやらしい印象が無いのである。    それこそ着る人によってはユンファさんのこの格好もまた、「淫奔げないやらしい人」というように見えるかもしれない――例えば街角で見かけたなり、ナンパなどされては堪らないと女たちに避けられるタイプの男、とも見える人はいるだろう――が、そもそもユンファさん自身に、その「ナンパをしそうな多淫の男」らしい要素が一つも無いため、こうしてすっかり「優美な王子様」というように見えるわけだ。      なるほどね――。  それにしても――俺がこうしてじっくりとユンファさんの麗容を観察して驚いたのは、むしろユンファさんのその隠そうにも隠し切れていない気高さであった。    彼はケグリたちにさんざん尊厳を踏み(にじ)られてきただろう。先ほどにも『自分のような者ならチェンジされても何らおかしくはない』と本気で考えていたユンファさんは、今やほとんどその自尊心や誇りを失い、また自己肯定感の無さはもちろん、もはや自己価値や自分の存在価値においても、彼は盲目的なほど「自分」というものを一つ残らず見損なっている。    それこそ精神の調子は肉体にも現れる。  自信の無い人は猫背になりがちだ。自己価値の認められない人の声は小さい。自己肯定感の無い人は人と目を合わせることを怖がる。    しかしいくら無意識的に、生来の習慣的に、といういわば「頭ではなく、体が覚えていること」であったにしても、ユンファさんの全身に纏われている雰囲気はもとより、彼の姿勢にしても誇りに満ちた気高い姿勢のままである。    それはそう――十一年前のあの日から、そればかりは彼、何も変わっていない。  とするとユンファさんの精神は、俺が思っていたよりはまだケグリ共に蝕まれ切ってはいないのかもしれない。  自分のことを「性奴隷」、すなわち「多淫の卑しい者」だとユンファさんが思い込んでいることには間違いがないが、少なくとも彼の魂のほうはいまだ銀色に光り輝く、高潔なる冴えた輝きが保たれたままなのであろう。      そして、ユンファさんのその魂から放たれる銀色の輝きとはまさしく、俺にとっての希望の光なのである。  根こそぎ奪われたのでも、損なわれたのでもない――月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)はただ、()()()()()()()()()、なのだ。……今はまだ、ね。       

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