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                    ユンファさんは堂々巡りの会話にイライラとしはじめ、狭い範囲をうろ、うろとしていたが、一体何の図り合わせやら――彼は焦慮の目を伏せてはいるが、俺にその正面顔を向ける向きとなった。…但し顎を引いてやや下へ向けられているユンファさんのその表情は、あきらかに苛立って見える。   「……いや、ですから本当に、本当にご心配には及びません、さっきもただ擽られただけで……っだ、だからなぜ僕がそんな嘘をつくと思うんですか、…ほんともういい加減にしてくださいよ、正直困ります、お客様がもうかなりお待ちになられているんですから、…」   「……んふふ…、……」    俺は胸の下に添えた片腕に、もう片腕の肘を立てては仮面の頬に人差し指を添え、くいと少し顔を傾ける。この状況、傍観している分にはどうも面白いのである。――もはや明らかにお節介というのをさえ越えている――この調子でいくとユンファさん、あるいはこの電話中に、スタッフの男からの「熱烈電撃告白」を受けてしまうのではないか?    なお、俺がこうして思いがけない恋敵の出現にもそれを面白がれる余裕がある一番の理由は、言うまでもなくそもそも、所詮スタッフの男など俺にとっては取るに足らない相手だからである。  ――またその他にも、まず俺のほうがユンファさんの近くに居るということと、あくまでも客としてではあるが、彼が(かば)うようにして気遣っているのは俺、むしろ彼がしつこいと敵視しはじめているのは向こうの相手、俺たちは「今夜プレイをする」ということで意見が一致しているある種の仲間であるが、一方それに反対しているスタッフのほうはいわば俺たちにとっての「共通の敵」、ましてや何か、電話向こうの相手よりか今をこの場で共有している俺のほうが、まだ彼を内輪に引き込めているといったような、これは、そうしたユンファさんに対する一体感に近い親近感と、そしてスタッフに対する優越感が俺にあるからこその余裕だ。   「…んん゛…っんだぁ、かぁ、らぁ…っ! 僕は本当に全然大丈夫です、本当に酷いことなんか何もされていません、……いやもう、…っなら上に上がってこられてはどうですか、僕は事実ピンピンしてますし、まだ何も脱いでさえいませんから、本当に…!」   「…ふふ……」    今にも牙を剥きそうな我が銀狼(ぎんろう)に、俺は仮面の下で片眉をひょいと上げた。  …お顔も知らないあなたに僭越ながら。まあ残念ですけれど、あなたの恋が実ることなど決して有り得ないのですよ――お気の毒に――なぜならいずれは必ず、俺のこの愛を肥料にして、桃の果実のようにたくさんたくさん蜜もたっぷりと、月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)という麗しい果樹に豊かに甘く実るのは、間違いなく俺の恋のほうであるからです。   「……はぁ…これじゃ(らち)が明かない…もういい加減にしてくれよ、…いやもういいです、事務所に直接電話しますから、……はあ…っ? ………」   「…………」    よほどキャストであるユンファさんのほうがクレーマーのようなセリフを言い始めたね。  ただ、むしろ俺のほうこそなかば楽しく、こうして呑気にこの状況を(ひいてはユンファさんの「闘い」を)傍観するだけの余裕があるものの、思いがけず長引いている通話に焦慮が募るユンファさんは、チラリと上目遣いに俺へ、非常に申し訳なさそうな曇った目を向けてくる。――まだ電話口でああだこうだ(事務所に電話しても同じことですよ、お客様とのプレイの可否の決定権は自分たちスタッフにも…など)と言っているスタッフを無視しつつ――のみならず彼の唇は「ごめんなさい」と声もなく動き、彼は待たせている客の俺が苛立っていやしないか、ひいてはこれのせいで俺に怒られやしないかと心配して怯えている。   「俺は大丈夫だよ、気にしないで…さっきは俺も悪かったのだし、焦らなくていいからね」    俺はいやに優しい声色でそう彼を許した。  まあたかだか「業務連絡」の電話にこれほどの時間をかけられては(それも本来ならすぐプレイに至りたいだろう客は蚊帳の外で、従業員同士が揉めはじめていては)確かに、それこそ普通の客であれば「何してんだよ、電話長いんだよ」と()()()()()()()()()()といったところではあろうが、むしろスタッフの男のそのしつこさは、今の俺にしてみれば大変都合がよいくらいなのである。  それはもちろん、俺が約十一年前に一目惚れをした月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)の美しいお顔をひっそりじっくりたっぷりと眺めるに、俺にとっては(鑑賞時間延長的な意味合いで)非常に都合がよろしい展開が今まさに起こっている、という具合であるからだ。    ――これも天のお取り計らいですね。感謝いたします。    そうした俺の悠長な態度はユンファさんの目に、どうも「寛大な優しいお客様」というように見えたらしい。  するとユンファさんは俺の「仏のような寛大な態度」に安堵し、感激し、感謝し、ぱあっと雲間から差し込む陽光に照らされているかのような笑みを浮かべ、「ありがとうございます、本当にごめんなさい」と俺にペコペコしてくる。  俺は「いいよいいよ」と仏の如く片手のひらを彼へ見せながら、うんうんと寛恕(かんじょ)の心らしい態度で頷きつつも、仮面の下ではニヤリとしているばかりか、自分の腰の裏で「fingers crossed」――人差し指と中指の先をクロスさせて「我が男神よ、我の嘘と罪とを(ゆる)(たま)え」と気休めの十字架――を作ってはいるのだが。    ――もちろんユンファさんの目には、俺の仮面に空いた切れ長目の穴から見える、「情け深い微笑み」を浮かべているかのような、そういった俺の目元ばかりが見えていることであろう。    安心とそして俺の「許し」に気力を取り戻したユンファさんは、いよいよ『もうさっさと終わりにしてやるからな』と、先ほどより勇み意気込んでキリッとした目元を、ふっと伏し目に戻した。   「……とにかく、僕は今夜このままお客様とプレイをするつもりですから。本当にお優しい方なんです、全くご心配には及びません。……」   「……ふふ…、……」    またしても好機である。  スタッフよ、残念ながらしつこい男は嫌われるものだよ。何ならあなたはもう既に、ユンファさんに(なか)ば嫌われかけている。…だけれどむしろ、あなたのしつこさは今のところ俺にとっては好都合、ありがとう。ということで、まんまとあなたを利用させてもらいましょう……さあ今のうちに、しっかり、たっぷり、じっくりと鑑賞させてもらおうか。        ユンファさんの、その美しいお顔を――ね。           

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