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               ――5つ星ホテルの最上級スイートルーム。  ……だが俺はこれでも、エウロパ(ヨーロッパ)調ではありながら華美なルネサンス様式のほうではなく、そういったゴテゴテとやり過ぎの印象が無い程度にファンタジーで、ロマンチックな部屋を選んだつもりである。――なぜならお相手が、男のユンファさんであるからだ。    もちろん、俺のジェンダーバイアスといったものが関わりないかといったら否定はしきれないが――もちろん人によることだろうが――まず俺の経験則からいって、まるでおとぎ話に出てくるお城のような、そういった華美なルネサンス様式は、比較的女のほうがロマンチックだと喜んでくれたものであった。…しかし却って華美なルネサンス様式は、一般的な男の感覚でいうと「やり過ぎ」であるし、その場にいるだけでも何か「気恥ずかしい」ようである(但し男でも俺は割と好きなテイストである)。    そしてユンファさんももちろん男である。そのため、恐らくはルネサンス様式系の部屋であると、彼もロマンチックな部屋だと喜ぶよりもまず先に、気後れのほうがまさってしまったことであろう。    しかしかといって……ありがち無難なモダンスタイルのスイート、というのも俺にしてみれば少し不満があった。  もちろんモダンスタイルであっても俺は十分にロマンチックだとは思うし、そのようなスイートルームに何かしら欠点があるだとか、文句があるだとか、決してそういったことではない。    だが今回に限っていえば、モダンスイートであるといささか「特別感」が薄いように思われたのである。  ありがち無難、老若男女誰しもが過ごしやすく、広く受け入れられやすいお洒落で洗練された近代的なデザイン、その上でサービスも充実徹底、広くて何でもあって夜景もよく見えるスイートルーム……決してそれが悪いということではないものの、今回ばかりは、そんな()()()姿()()に入った部屋ではいけない。    俺たちが共に「記念すべき日」を過ごす部屋は、もう一歩幻想的かつロマンチック、もう一歩個性的で、ユンファさんの記憶にも鮮明に残るような、良い意味で、パッと見にも彼の印象に強く残るような部屋であるべきだ。  記念すべき二人の再会の地であり、また記念すべき二人の「初経験」の地を選ぶにおいて、俺にはそういった強い「こだわり」があったのだ。  ただ俺の理想といえるその「こだわり」を踏まえた上でも、ともすればそれより、何よりも重要なポイントが一つあった。    ――それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということである。  いくら俺がセックスをするためにユンファさんを指名したとはいえども――ましてや風俗店のキャストとして俺に指名をされた彼の目的も、いわば客の俺とのセックスというところに帰結するとしても――、だからといっても俺は即物的な、実用的な、合理的な、それこそベッドとシャワールームさえあれば要件(セックス)には事足りるといったような、俺はそうした、「ユンファさんとセックスをする」という基準だけで部屋を選ぶつもりなど毛頭なかった。――セックスをするためだけならばそれこそ、ビジネスホテルであったとしても何ら問題は無いことだろう。  しかし俺はユンファさんに、何よりもまず部屋からして喜んでほしかったのである。――「本当の恋人」としてユンファさんと一晩過ごすというのに、なぜその一晩が「デート」にならないというのか?    すなわち、(できる限り俺の理想も踏まえた上で)あくまでも俺の「恋人」であるユンファさんが喜んで「デート」をしてくださるような、俺はそういったロマンチックな部屋を探し出すべきであった。    さてそれでは、ユンファさんが喜んでくださるような、かつ、崇高なる彼に相応しいランクの部屋とは……。  そこで俺は思い出した。実はリサーチによるとユンファさん、ヤマト人も広く愛するかの有名な、()()()()()()()()()()()()()()を友人と貸し合って、夢中で読んでいたとのことである(それも超長編のその作品をはじめから最終巻まで、発売当日に即購入をするほどのめり込んでいたとか)。    もちろんその「ファンタジー小説」が好きな理由とは人それぞれ違うことだろうが、要するにユンファさんもまた恐らくは、「魔法」といったようなFantasticな「驚き」にワクワクするところがある、と考えてもよいはずであろう。――つまり何かしら「魔法」のような「遊び心」がある部屋ならば、あるいはユンファさんもまた、内に秘めたる少年心を擽られて喜んでくださるかもしれない。    また、それこそ華美なエウロパ調には多少尻込みのしそうな男のユンファさんであっても、エウロパ調にしたって ちょっとした「魔法」の要素があるともなれば――例の「ファンタジー小説」はそもそもエウロパの作家が書いている作品のため、全くエウロパらしい世界観である――あるいは彼の心の、「ロマンチック」の琴線にも触れるのではないか? とね。    そこで俺は、自分の基準で外せない条件が合う上で、同じエウロパ調でも、いうなればエウロパの格式高い図書館や大聖堂といったような、物静かながら洗練された荘厳な雰囲気のある、ややレトロテイストの部屋を選んだ。  近頃のユンファさんは、その左耳に十字架をつけている。…ともなれば恐らく、荘厳な教会テイストの部屋というだけでも彼は喜んでくれそうに思えたのだが(実は割とそういった部屋は少なくなかった)、但しそればかりではどうもつまらないので、もう少しだけ「遊び心(魔法)」のある部屋を――そうしていささか苦労をしながらも俺が探し出したのが、この「魔法の部屋」だったのである。      俺が「案内するから、この部屋を見て回ろう」と声をかけるとユンファさんは、    「……ぁ、はい…わかりました…、……」    と渋々の様子ながらも笑いつつ、俺の上から退き立ち上がったユンファさんは、床側、タタキの際に踵を揃えて置かれている、ホテル備え付けの茶色いスリッパ――チョコレートブラウンの綿製スリッパ、足の甲には『HOTEL Bellissima TOKYO』と筆記体の立派な金糸刺繍付き――を、黒い靴下を履いた両足に履いた。  そのあと彼は床に置いていた黒革のバックを拾い上げ、肩にかける。   「……じゃあ行こうか…――。」    ユンファさんが上から退くなりすぐ立ち上がっていた俺は、彼がスリッパを履いたことを確認してから、彼の肩を抱き――このスイートルームの中へと共に歩んでゆく。    さあ、イニシャルコストとしては十分ではないだろうか?    格式高い高級ホテルの最上級スイートルーム……そうともなれば此処は、かなり広い部屋である――約70平米、ほとんどファミリー向けマンション一戸全体の広さだ(とはいえ別になっているトイレ、脱衣場、浴室込み)――。  なお基本的な部屋の色調はセピアとクリーム色、だからこそ映える床は紺と褪せたオレンジのタイルを組み合わせた、ダイヤ模様――この床はツルツルとなめらかで硬質な、磨き立てられた光沢はありつつも、美しい煙のような模様がうっすらと入っている、大理石製のものである。    さてエレベータードア――両開き、クリーム色をした大理石風のエレベータードア――から直接部屋の中へと入れる構造のこのスイートルームの、まずは壁から見ていこうか。    山形の屋根の形、山なりにへこんだ勾配(こうばい)天井の高さもさることながら、この部屋のなめらかなクリーム色の壁もまた高く、大変立派である。  この部屋の壁は(バルコニーに面する壁以外)等間隔で、白亜のオジー・アーチ状――シンプルなアーチのてっぺんをツンと尖らせつつ、上部の丸みを帯びた部分をやや内側に弛ませている形のアーチ(アーチの上部が「たまねぎ型」になっているといえばわかりやすいだろうか?)――の細い柱が、なかばばかりクリーム色の壁から露出する形で埋め込まれている。なおそれにはギリシャ柱のように、そのアーチ型に沿う溝が何本か規則的に彫られており、それがとても豪華に見える。    またその白亜の柱の中の壁にはもちろん、やや赤味の強いクリーム色の、なめらかでシンプルな壁紙が貼られている。そして、そのオギー・アーチ状の白い柱の中の壁一つに一つずつ、俺たちの目線よりやや上の壁に取り付けられた金のフックから、金の豪奢なアンティークランタンが吊り下げられている。    その壁に取り付けられているフック、金の(つた)の彫刻が成されたそのフックからぶら下がる、大聖堂にあるような豪奢な飾り付きの金のランタン――玉ねぎのような形の金の屋根に細長いガラス面が六面ある、まるでエウロパの庭園にある東屋(あずまや)(ガゼボ)のような形の、アンティークランタン――の、その透明な六面のガラスの中、中央には、蝋燭(ろうそく)を模した暖色系の優しい光を放つ小さいランプが灯っている。  そしてそのランタンの蝋燭火に近いランプは、蝋燭に似せて作られているために、おだやかな明滅の動きがあるのだ(とはいえ「火のゆらぎ」といった程度の極小さな明滅である)。    すると、クリーム色の壁にかけられているそのランタンの周りは、じんわりと暖色系に明るいものの――そのランプのゆらぎにじわじわと明るんではやや暗くなりを繰り返しながら、時にその光はゆら、ゆらと危うい動きを見せながらも、そのクリーム色の壁に六面のガラスや、金の飾りの繊細で、見事な影をロマンチックに落としている。――何かこれをぼーっと見ているだけでも素敵な時間が過ごせそうだと思うほど、とても神秘的なランタンである。   「綺麗なランタンですね…ずっと見ていられるな……」   「…そうだね…、まあ、貴方の横顔のほうが綺麗だけれど……」   「…………」   (あえなく無視をされたが、それほど夢中になって)ユンファさんもまた、ロマンチックなランタンの明滅に見惚れている。――彼の肩を抱く俺の隣で! いい、大分いい感じだ。  なおこの部屋の照明は、壁に取り付けられたそのいくつもの金のランタンたちと、天井中央からぶら下げられている、大聖堂にあるようなサイズの大きいシャンデリアのみである。まあポイントを強調して照らす照明や、ベッドサイドにはテーブルランプ(ベッドサイドランプ)はあるものの、つまり、この部屋にはフロアランプといったそれらしい照明はないのである。  高い勾配(こうばい)天井――本棟とは隔離されているこの部屋の、山型の屋根に沿って五角(すい)形にへこみ、山の頂の一点(中央)へと向けて五角錐の五つの辺に張り巡らされた黒茶の木枠、面は白の漆喰の天井――の、一番深くへこんでいる中央から吊り下げられている、その立派で荘厳なシャンデリア……。  そのシャンデリアの三段の、頭をもたげた金の蛇のような蝋燭台には、一つの台に三本ずつ細長い蝋燭を模したランプが立てられ、その蝋燭台と蝋燭台の間には、数珠のよう一本の紐状に繋げられたキラキラと煌めくクリスタルがたわみつつ、何重にも連なってかけられている。    すなわちこの部屋を照らしている照明たるものとは、(数は多いとはいえ)金のアンティークランタンの中から放たれる、蝋燭の灯火程度の明かりと、…その大きく立派なシャンデリアから放たれている、無数の蝋燭の光に近い電球色――オレンジかがった、日暮れに近いやさしげな暖色の光――のみ、ともいえるわけだ。  …そうしてこの部屋の照明器具は、かなりムーディな程度の弱い光度のものしかないため、今この部屋は夜ともなればかなりムードのある薄暗さである。ただ薄暗いとはいえ不気味な、妖しげな、陰湿な、といった悍ましいイメージはさほどなく、むしろこの部屋の内装からしても、より荘厳で神聖なる大聖堂の雰囲気に極めて近い。    そしてシャンデリアの真下、その美しい顔を真上へ向けてそれを見上げたユンファさんは、   「……うあぁ……」    と何か引いているような反応をしたが、……あまりにも素敵なので、随分驚いてしまったのであろう。   「…で、デカ、…はは……」   「……、…」    苦笑い……まあこの部屋の見どころは、何もこのシャンデリアのみならずである(むしろシャンデリアは見どころでもなんでもない)。  この部屋は確かに薄暗いのだが、部屋の出入り口のエレベータードアから見て向かいにある、燦爛(さんらん)と輝く夜景の青味と、この部屋の照明の薄ぼんやりとした暖色の混ざるのが、なんともロマンチックなのである。    なお、その夜景輝くバルコニーが見えるシンプルなガラス戸は、二枚組みで計四つ設置されている。――壁一面がほぼそのガラス戸となっており、そのガラス戸自体はとてもシンプルなデザインである。ただもちろんそれだけでは終わらず、その四つのガラス戸には、ベルベットの濃茶のカーテンが八の字となってかかり、まるで美しい夜景の額縁のように、その燦爛とした景色を引き立てている。  ちなみに濃茶のカーテンは左右ともに、金のタッセルによって留められている。    ちなみにそのガラス戸から垣間見える、ウッドデッキの広いバルコニーにも日除けの白いパラソルと、青銅製の椅子が二脚、それを挟んで木製の丸いテーブルが一つある(なおそのテーブルの上にある灰皿には、こんもりと黒いタバコの吸い殻が……)。    そして出入り口から見て、そのガラス戸の左からふたつ目、そこには夜景を見ながら座れるような向きで、二脚のリクライニングチェア――焦げ茶色の(とう)とセピアの革でできた、座りながらのびのびと脚を伸ばして乗せられる一人掛けのソファ――が置かれ、その二脚の間には焦げ茶色の木製の、艶のある猫足の丸いテーブルが置かれている。   「…あとで一緒にこれにかけて、ゆっくり夜景を眺めるのはどう…?」    とリクライニングチェアの背を掴んで俺が誘うと、ユンファさんは窓越しにぼんやりと夜景を眺めながら、「それもいいですね」と心ここに在らずに力なく応じた。         

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