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                    「…………」   「……、…」  まあ、少しやきもちが妬けないということもないけれどね……俺はユンファさんの肩を抱いたまま「その場所」の真ん前……とはいっても、まずは滝の横の「右端」からと、その「右端」の真ん前で立ち止まる。   「……、……は……――。」   「…………」    ここでちらりと横目に窺えば――「その場所」に俺と向かい合ったユンファさんは厳かな表情で息を飲み、圧倒されて言葉を失っている。俺は優しく掴んでいたユンファさんの肩から、その人の肩甲骨をさらりと撫で…そうして下げた手で、彼の冷えている片手を上からきゅっと握った。――そして俺は、また謹んで目の前に目線を向ける。やはり信仰心とはまた別にして、敬意というものは必要だ。   「…綺麗でしょう…――好きなだけ見ていて構わないよ…。何時間でも…朝が来るまででも…貴方の気が済むまで、好きなだけ此処に居て……」    俺はユンファさんが「この場所」の前に何時間留まろうとも一向構わない。そもそも俺は「この場所」を彼に見せたかったからこそ、この部屋を選んだといってもよいくらいなのである。  今のユンファさんには「ゆるし」が必要だ。  もし時間を忘れるほどにユンファさんが「この場所」に感動し、彼の凍り付いた心が少しでも溶けてくれるというのならば、むしろ俺は念願叶ったりというようですらある。…それこそそのようなユンファさんの反応を「希望」していた俺にとっては、それもまたある意味では一つ――俺の希望()が叶った状況、といってもよいくらいなのである。     「……、…、…」   「……、ふふ…――。」      今ユンファさんは俺の言葉など聞こえてはいないようだ。  彼はそれほどに今、目の前の「光」に魅せられている。  つまり…まあどうやら、俺の「希望」は叶いそうだということ。      今俺たちの目の前にあるもの――この見上げるほどに高く大きな「ステンドグラス」は、信仰心のない俺ですらため息が出そうなほどに美しい、あたかも芸術としか言えないようなものである。      このステンドグラスとその周辺は、この素晴らしい内装の部屋の中でも、ひときわ「特別な造り」になっているといって全く相違ない。  このステンドグラスの近辺においては、それこそ小さな「神殿」とさえいってもよいかもしれないし、少なくともこの周辺が「祭壇」としてつくられているのは、まず間違いないことである。    そしてもちろんこのステンドグラスは、それそのものもとても美しく芸術的なのだが――ステンドグラスの周辺に関してもまた、それだけで見てもとても美しく、うっとりとするような趣きでしつらえられている。    まずこのステンドグラスは、メインの人物が描かれている縦長長方形のものが計5枚あり、その5枚は横並びに配置されている。  なお、そのステンドグラス1枚に1人ずつ描かれている5人の人物とは、もちろん――近頃左耳に十字架をつけているユンファさんが今、この通り言葉を失うほど圧倒されているように――全員、キリスト教に関係のある方々である。    並びとしては向かって右端(滝の横)から「大天使ラファエル」、続いて「大天使ミカエル」――そして中央に「イエス・キリスト」――その人の左に「聖母マリア」、左端(テレビモニター横)は「大天使ガブリエル」といった並びになっている。    そして、中央に位置する「イエス・キリスト」のステンドグラスの高さは、目測で3メートルほどはあろうか。  ――ただ5枚すべてが3メートルもあるわけではなく、大天使たちと聖母マリアを描いているステンドグラスに関しては、およそ高さ2.5メートルほどといったところで、横幅に関しても、中央の「イエス・キリスト」を描いたものよりかは狭い。当然「神(の子)」である「イエス・キリスト」を描いた、中央のステンドグラスが一番大きく目立つ(引き立てられている)造りとなっているのである。  そして遠目から見ればなお、中央の一番大きな「イエス・キリスト」の左右を、それより少し小さな2人ずつで挟んでいる、「シンメトリーの配置」となっているということがよくわかる。    なお一番大きい「イエス・キリスト」の3メートルはもちろんだが、その他4人の2.5メートルも()()()()()()()()()()ため――このステンドグラス、身長180センチに近いユンファさんや、彼より8センチほど背の高い俺であっても、ステンドグラスの上部を見るには、やや顔を上げでもしなければ見えないのである。    というのも……そうして横並びに配置されている、5枚のステンドグラスの前方には、「浅い3段の石段」が設置されている。なおその石段は、やや粗めのアスファルトのようなザラザラとした質感であり、黒寄りの濃い灰色の石段である。  なおこの3段の石段は、一段一段が浅い「雛壇」のような構造となっている。つまりステンドグラスの底辺に接している一番上の段から、2段、3段と下へゆくにつれて徐々に少しずつ広がってゆく、といったような……この5枚が横に連なるステンドグラスの前方はそうした、浅い3段の階段(石段)が設置されているのだ。  ただしその「石段」は、部屋の床のほうに突き出て設置されているわけではない(ステンドグラスを見ている俺たち側に石段が露出しているわけではない)。このステンドグラスは、部屋の壁からその「浅い石段3段ぶん奥まった場所」に設置されている、といったようなのである。  なお、イメージとしては「壁の中にある(ほこら)」といったところだろうが、それよりももっとエウロパ的な、すなわちキリスト教的な「神殿」か「祭壇」に近い造りである。――つまりこの5枚のステンドグラスだけは、まるで「祭壇」のよう「壁の中」に設置されている、とでもいえばよいだろうか。    そしてこのステンドグラス前の石段は、この石壁の隅から隅まで――テレビモニター側からステンドグラスを挟み、その隣の滝側まで――広がっている、室内池――壁ぞいの床に設置されている楕円形の有田焼、艶のある白磁に藍色で鶴や蓮の花、葡萄(ぶどう)椰子(やし)の木などの和洋折衷な柄が、あたかも「和柄」のように描かれている横長、高さ20センチほどの鉢――ぶん上に設置されている。    というのも、ステンドグラスの底辺からもその石段をまんべんなく濡らすほど、穏やかな川のような水が流れており――ちなみに、その水の流れる石段の上には筒状のキャンドルライトや、蓮の花(精巧な造花)が点々と飾られている。石段に流れている水の層は2センチないほどと実に薄いので、蓮の花の下や、キャンドルの底の周辺に浮かぶゆるやかな流水の水紋が、また何とも美しい――、そして、その石段を流れ落ちる穏やかな水は、その石段の下にある室内池へと流れ着いている。    つまり、ステンドグラス前方に広がる3段の石段、その石段の最下段の、その更に下にあるのは、隣の岩壁から流れている滝の水が行き着く先でもある、高さ20センチの横に長大な室内池ということである。    ここで一旦下からの順序を整理しよう。  一番下は大理石製の、褪せたオレンジと紺のダイヤ模様の床だ。  その床の上には深さおよび高さ20センチほどの、横に長大な楕円形の室内池(金魚が泳ぐ、有田焼の蓮池)がある。  その室内池のやや上に、石段の1段目がある(この石段の前方の辺がちょうど部屋の壁と並列する)。そして1段目から浅く上がって奥まり2段目、更に奥まり3段目と、その浅い3段の石段を上がった先、横並びに5枚のステンドグラスが輝いており、また、そのステンドグラスの底辺からは水が流れ出している……ステンドグラスの底辺に接した1段目から徐々に裾野を広げて2段目、3段目と、その石段をおだやかに流れ落ちる水はもちろん、その下にある室内池へ……といった感じである。    そしてそのような配列であるからこそ、背丈180センチほどの俺たちでさえ、単に3メートルや2.5メートルのものを見上げるよりもより高く、これらのステンドグラスを見上げなければならないのである――つまりステンドグラス自体が3メートルほどある上で、更に、室内池の20センチぶんプラス、浅いとはいえ3段の石段ぶん高い場所に、そのステンドグラスが設置されている、ということだ――。    さて、今度はステンドグラスを引き立てている、周りのアーチを見ていこう。  まずこの5枚のステンドグラスは、それぞれが白亜のアーチに囲われている(アーチも5つあるということだ)。もちろん小さくて2.5メートルほどの左右2枚ずつと、何より一番大きな中央の3メートルを「囲っている」わけであるから、そのアーチはステンドグラスよりも更に大きい造りとなっている。    ただその5つのアーチの柱は、こちら側から見て一番手前にある石段の上に、まさしく「柱」として設置されている。すなわち「アーチ状」ではなく、この五つにおいてはまさしく「アーチ」なのである。――そのため厳密にいうと、「(前方からステンドグラスを見ると)まるで額縁のよう、アーチに囲われて見える」というのが正しい。    なぜなら、一番手前の石段に設置されているその5つのアーチと、3段の石段を登りきった上に設置されているステンドグラスとでは、そのぶん(石段分)の距離があるためだ。――ちなみに前方から見たとき、5枚それぞれのステンドグラスを区切る縦の直線がちょうど、そのアーチのまっすぐな白亜の柱となる配置である。    要するにあえて引きで見れば、額縁のように、5枚のステンドグラスそれぞれを囲う(囲って見える)アーチがそのようにして、5つ横に並べられているということである。    しかしそれではまだ終わらない。  更に――その5つのアーチ全てを抱え込むようにして囲っているのは、その5つのアーチよりも更に大きい、なかば岩壁に埋め込まれている形の白亜のオギー・アーチなのである。となればもちろん、その「親」ともいえるオギー・アーチは、かなり横に広がっている造りとなっている。  つまり「親アーチ」である、横長にふくらんだオギー・アーチの下に――5枚あるステンドグラスを(前方から見て)囲っている、5つの「子アーチ」がある……といった具合だ。    ちなみにその「子アーチ」の形だが、一番大きなアーチとなっている真ん中の「イエス・キリスト」のステンドグラス以外――「イエス・キリスト」のステンドグラスを囲うアーチは、そのままオギー・アーチである――、すなわち「イエス・キリスト」を挟むようにして左右に2人ずつ並んでいる、3人の大天使と聖母マリアの計4人を囲うアーチにおいては、その上部が「(オギー・アーチの)たまねぎ型」ではなく、「7枚の花びらをもつ花型」の上半分の形に切り抜かれている。  というのも、その4人を描いている縦長の長方形をしたステンドグラスの上に、それぞれ一つずつ、「7枚の花びらをもつ花型」のステンドグラスがあるのである。――そのため大天使3人と聖母マリアのアーチにおいてはそれの上部が、その「花型のステンドグラス」に被らないようにと、その形(花型の上半分の形)になっているのだ。 (なお、その「花」をも含めてステンドグラスを見ようとしたときには、それこそ2.5メートルプラスアルファから更に見上げなければならないということになる)    また、このステンドグラスを囲う5つのアーチの柱にだけは全て、柱の最上部と最下部に、葡萄(ぶどう)と天使の彫刻が装飾されている。  その他その白亜の柱たちには、あの金のアンティークランタンがそれぞれ一つずつ、金のフックからぶら下げられている。――ちなみにキリスト教の「忌み数」である「6」を避けるためか、このステンドグラスを飾る柱の数は「計8本」となっている。  ……つまり「親アーチ」のオギー・アーチの柱を「2本」残した上で、「(五つのステンドグラスを囲う)子アーチ」の柱が「6本」ある――両端の親と子の柱は2本を隙間なく並べている状態であるのと、中の「子アーチ」の柱は隣り合っている柱が1本化されている――ため、「計8本」となるわけだ。 (またこのステンドグラス周りのアーチは「6つ」ではあるが、この部屋の壁にはその他にもアーチが埋め込まれているので、それはそれで「6」を回避しているということになるのであろう)  なおこの「8」という数字はキリスト教において、「イエス・キリストの復活」を意味する縁起の良い数字なんだそうだ。    ちなみにこれもまた、単なる余談なのだけれど……ステンドグラスにはキリスト教の人物を描いている上、この部屋の内装は明らかにエウロパ的(エウロパの大聖堂的)だというのに、その部屋の中でこの有田焼の蓮池というのは何か、「仏教的」な風情とも思えやしないだろうか?    まず、この部屋のコンセプトの話からするが――実はこの部屋のコンセプトは「ハネムーン」……つまり神の御前で愛を誓ったあとの「ふうふ」が、神のご加護のもとで「初夜」を過ごす、というような想定で作られている部屋なのである(なお、もちろんホテル側はそこまで「直接的」な謳い文句を掲げているわけではないが、まあ要するに「そういうこと」なのだよ)。    ただもしかするとこの装いでは、ある程度の人はクリスチャンの多い、外国人向けの部屋というようにも思えるかもしれない。  しかしヤマト人は、たとえクリスチャンでなくとも「教会式」の挙式を挙げる人が多いだろう。それに合わせてのことと思われる(というか、むしろ本物のクリスチャンほど萎縮して、この部屋では「初夜」など心地良く過ごせないのではないか? いくら天蓋があるとはいえね……)。    あと何より、そもそもこの部屋の設計をしたのが、クリスチャンのイタリィ(イタリア)人なのだ――が、彼はホテル側の注文である「結婚式場のようにロマンチックで、遊び心のある部屋(ハネムーンにピッタリの部屋)」というのをもとに、この部屋をデザインしてゆくにつれ、こう考えたそうだ(パンフレットに載っていた)。    それこそ結婚式場といえば「教会」だ。  しかし、海外では主流の宗教であるキリスト教ではあるものの(世界的に見てヤマト人のクリスチャンは少ないほうである)、だからこそキリスト教を全面に押し出したエウロパ的な部屋にしてしまうと、どうしてもヤマト人には馴染みのない雰囲気――ひいては、宿泊を目的とした部屋だというのに、どうも「落ち着かない部屋」といった雰囲気にもなってしまう。    そこでそのデザイナーは、昔のヤマトにおける隠れキリシタンたちが崇拝対象としていた「マリア観音(ハンタマルヤ)」――仏教の慈母観音(観世音菩薩)とキリスト教の聖母マリアが融合した存在――にインスピレーションを受け、このエウロパ的な部屋に蓮池(有田焼、蓮の花や蓮の葉、金魚)といった何か仏教的な、和風的な趣きを加えた、のだそうである。    まあ外国人が想像する「ヤマト的な趣き(ヤマト人にも馴染みのある、ヤマト人が落ち着く趣き)」というのが、わかりやすく言うと、こういった「仏教的」なものであったということであろう。    そういったわけで、この部屋をデザインしたデザイナーとしては、キリスト教的な装いの部屋にも、ヤマト人にも馴染みのある蓮池や金魚といった趣きをプラスすることで(ヤマト人にも馴染みの深い侘び寂び的な要素を加えることで)、要約すると、ヤマト人の宿泊客にも「凄くロマンチックで綺麗なのに厳かで、まるでお寺のように落ち着く部屋(キリスト教版)」という印象を持ってもらいたい、とのことだ。    つまりこの蓮池、一応はこの部屋をデザインしたデザイナーの、ヤマト人へ向けた心遣いなんだそうである。  ……とはいえ、これほど惜しげもなくエウロパ調を押し出した装いの部屋に、取ってつけたような蓮池を設置したところで……といったような気も、俺はしなくもないのだけれど(いや、むしろ気に入っているくらいとても素敵だとは思っているのだが)。――まあこのヤマト、大多数がクリスチャンでもないのに「教会式」の挙式が主権を握っているような国である。    よくも悪くも宗教というものに無頓着なヤマト人は、言うほどそういったことを気にしてはいない(むしろ「ヤマトの人たち落ち着かないかな?」と考えたデザイナーのほうが、よっぽどきちんと人の宗教観を重んじて考えている)。恐らく多くのヤマト人は、デザイナーのそうした心遣いも「なんだかよくわからないけど有り難いなぁ」といったくらいのものであろうし、およそ俺のような捻くれた人以外は、大してツッコむような人もいないことだろう。         

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