592 / 689

52

                  「……、…」    穏やかな水の流れる石段の前、見上げるほどに立派なステンドグラス――今は「大天使ラファエル」の前に立ち、それを眺めている俺たち――俺はチラリと横目に、横に立っているユンファさんの様子を窺ってみる。   「……、…、…」   「……、……」    俺はすぐにまた目を前方、ステンドグラスのほうへと戻した。――今にも泣き出しそうな、悲しげな無表情を浮かべているユンファさんの横顔が見えたからだ――彼は、その青褪めた桃色の唇だけをほんの(わず)かに動かして、ステンドグラスの中に描かれている「大天使ラファエル」へ、なんら声もなく語りかけている。    いや、()()()()()といったほうが正しいだろう。  ……要するに今は、俺がユンファさんへ話し掛けることはおろか、その横顔を眺める俺の視線さえ彼の邪魔となるに違いない、ということである。   「……、…、…」   「…………」    だけれど…隣に居る俺にそうして気を遣う必要もなければ、俺の目を(はばか)る必要だってない。  どうせなら俺のことなど気にせず、もっと堂々と祈ってくれたらよいのに――俺はユンファさんが信じている神はもちろん、彼の「祈り」だって決して馬鹿にはしないし、むしろ俺はかねてより彼へ、「貴方は好きなときに、好きなだけ祈っていいんだよ」と、そう言ってあげたいと思っていたくらいなのだ――。    とはいえ……まあ、どのみち俺がいま話し掛けてしまっては、彼の祈りの邪魔をするだけだろう。  俺はできる限り気配を消して、ユンファさんのことは今、そっとしておいてあげよう――。      じゃあ――そろそろ俺も、ステンドグラスの絵を詳しく見ていくとしようか。  ちなみに……この部屋にはそれでなくとも強い光源(照明)が無い、その上に、このステンドグラスはアーチの屋根の下(壁から石段3段ぶん奥まった場所)に設置されている――そのためこのステンドグラス周辺は、この部屋の中でもこと薄暗いのだ。  しかも、そのうえ此処がまるで夜中の大聖堂のような、ほの明るい程度の部屋であっても、また今が夜中であろうが何だろうが、このステンドグラスは今もなお俺たちの目に、その絵の端から端まで、隅々まで鮮明に映っている。    それはなぜかというと、この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。  つまりこのステンドグラスはその5枚とも、内側(ステンドグラス裏)に取り付けられている照明の、その実に再現度の高い朝の陽光(を再現した光)によって、内側から画面全体が明るく照らされている。  すなわち、却ってその(ほこら)の中のような薄暗さが、自ら光を放つこのステンドグラスをより引き立てているさえといってよい。――その薄暗いアーチの下、朝の陽光に透けている色とりどりのステンドグラスは、まるでさまざまな色の煌めく宝石を、朝の、やわらかく透明に澄み渡った光に透かせているかのようである。    なお余談だが、したがってこの部屋は、照明を消してからが「本領発揮」をする――より暗くなったこの部屋にこそ「魔法がかかる」――ともいえることであろう。  夜景の煌めくバルコニーに続くガラス戸をセピア色の遮光カーテンで覆い、ランタンやシャンデリアなど、この部屋の全ての照明を消せば浮かび上がってくることだろう――この煌びやかなステンドグラスの神聖なる色とりどりの光が、ステンドグラス前の石段に点々と置かれたキャンドルライトの小さなやさしい光が、焚き火の柔らかくゆらめく灯りが、岩間から漏れ出るネオンブルーの、その幻想的な光のじわじわとしたおだやかな明滅が、底面からネオンブルーに照らされて揺らめく蓮池の水影が、…そしてプラネタリウムをつければ、たちまち部屋中が神秘的で荘厳なる宇宙へと変わる……。    もちろんステンドグラスを裏から照らす照明を消すこともできるのだが、その前にぜひ、一度は暗闇の中で輝くこの美しいステンドグラスを鑑賞したいものである。…もちろん、ユンファさんと二人でね。      さて、では――いよいよ向かって右端から、このステンドグラスに描かれている絵を見ていこう。  なおこのステンドグラスの絵柄としては全て、さながらアルフォンス・ミュシャが描いたかのような、優美な曲線を持った人物とその優雅なる(ひだ)、そして、精巧で見惚れるほど繊細に描かれたモチーフ、といったようである。    さて、右端に位置するのは「大天使ラファエル」だ。  両端の白亜の柱に挟まれた、縦長の長方形におさまる彼の上には、その長方形の上辺に下半分をめり込ませるような形で、「7枚の花びらをもつ花型」のステンドグラスがある――その花は青と緑を基調にしつつも、大変見事な塩梅の配色による、色とりどりのモザイクガラスとなっている――のだが、先にも思う通り、この「大天使ラファエル」とその花の額縁たる白亜のアーチ、そのアーチ上部は、縦長長方形の「大天使ラファエル」を囲うのはもちろん、この花型の上半分をも囲うようなデザインとなっている。  ……つまりこのアーチは、縦長長方形のその直線の上辺に、「7枚の花びらをもつ花型」の上半分が「鶏のトサカ」のようについている形のアーチ、ということだ――なおもちろんこの形のアーチは、中央の「イエス・キリスト」以外の4人共通のものである――。    さてこの「大天使ラファエル」を描いたステンドグラス、基本的な色の基調は花型と同じ、爽やかな青と緑である。  そうした、明度や彩度のさまざまな青と緑の色調の中(特にラファエルの背景がそのような美しいモザイクガラスとなっている)、光輪――円形の360度から放射線状の線が広がる光の表現――を頭の裏に、見る者へ優しく微笑みかけている大天使ラファエルは、一見柔和そうな美男子という印象を抱くものの、しかし、よくよく見ると彼のその顔立ち自体は凛々しい造りである。  輪郭からしてやや顎のしっかりとした男らしい感じであり、殊に目元が大きくもキリリとした切れ長の目で、その目の上の、ミルクティーブラウンの眉もまた太く凛々しい。また彼の肌はやや日に焼けた、オレンジがかった健康的な肌色である。――何となく、海外の甘めのナイスガイといったようなイメージか。  そして彼の髪型はミルクティーブラウンの短髪、額を出し、そうしたスポーツマンのようにヘルシーな印象の髪型に、やさしく引き上げている両頬を淡い朱色にじんわりと染めて、ニカッと笑った口元の白い歯……一応ゲイとして言わせてもらうが、俺は割と好みの男である(もちろんユンファさんの美貌に敵うはずもないけれどね)。    つまりこの大天使ラファエルは、非常に頼もしげかつ優しそうな美男子なのだ。スポーツマン的な好青年というイメージでよいかもしれない。  そして、そのような精悍さのある優しい美男子顔の大天使ラファエルは、サンド色の着物――着物とはいえもちろんヤマトの着物ではなく、いわゆるギリシァ神話の神々が身に着けているような、ドレープの美しいキトンのようなものである(布のたっぷりとしたワンピースに近い衣服だ)。  が、このサンド色の着物はクルーネック、いわゆるTシャツなどに見るような、鎖骨まで覆う浅く緩やかなU型の襟だ。彼の着ている着物はそうしたクルーネックに、腰までは長袖のTシャツ状であるが、腰から下はギリシャ神話の神々が着ているキトンのように、長くゆったりとした、足下に至るまでのスカート状になっている。そして彼は、その太く逞しい腰にはためく緑の腰紐を巻いており、その腰紐には、茶色い革の水筒も一つぶら下げている。    また大天使ラファエルの背中からは、緑がかった茶色(オリーブ色)の羽根が生えている。その大型の鳥のような羽根は、やや肩側(内側)に巻くようにして閉ざし気味である。    そのような服装と羽根のラファエルの、彼の両手は手のひらを表に(とはいえ片手には木の杖を持っている)、脇も少し広げ、彼の上半身はそうして、見る者を受け入れようというポーズを取っている。…では彼の下半身はというと、そのドレープ表現の美しい下半身は、軽く浮かんでいるような形で、楽につま先を立たせている――その茶のサンダルを履いている片足は、足の甲からつま先までが立てられて見えている。なお彼のもう片足は、その片足の裏に重なるようにしてやや隠れ気味である――。    そして最後に、大天使ラファエルの足のつま先からその手のひらの指先ほどまで(つまり画面下から画面半分ほどに至るまで)、オリーブの葉冠状に、青基調で描かれた何匹もの長細い魚が、下から噴き出すようにして描かれている(なお魚はイエス・キリストのみならず、大天使ラファエルの象徴でもある)。    これが右端に位置する「大天使ラファエル」のステンドグラスだ。――ちなみに「大天使ラファエル」のエピソードをざっくりというと、彼は旅人(人間)に扮し、旅するトビアスという青年の道中を守護しながら、トビアスの父の盲目を魚を使った薬で治したり(魚で盲目を治した? と思われるかもしれないが、この辺りの説明は特に長くなるので割愛する)、また、トビアスの妻サラに取り憑いていた悪魔を払うなど、「治療や(特に旅人の)守護、悪魔祓い」といったことに秀でた大天使であるとされている。      そして「大天使ラファエル」の隣には――「大天使ミカエル」が、エネルギッシュな赤と黄色を基調にした縦長長方形の中、自分の頭上に剣を振りかざして立っている。  なお彼の7枚の花びらをもつ花型、そのモザイクガラスもまたやはり、赤と黄色を基調にしている複雑ながらも見事な色合いのものだ。    この大天使ミカエルもまたラファエル同様、その後ろ頭に光輪をもっている――ちなみにこの光輪、仏陀(ぶった)など仏ももっていることが多いが、キリスト教の宗教画におけるところでも、「この人は特別神聖な存在ですよ」というアトリビュートである――。  ……さて、赤錆色のゆるいハンサムな巻き毛を勇ましくたなびかせ、右手に持つ細長い剣を頭上に振りかざしている大天使ミカエルは、やや日に焼けた肌からその顔立ちから、全く精悍な勇ましい美男子といったようである。また彼の目は、己の足下を睨むような伏し目がちだ。  そうして大天使ミカエルは、自分がつま先で踏み付けている「大蛇(悪魔)」を睨み付けているのである。    なお、彼は金の鎧にたっぷりとした赤いマントを纏っているのだが、それにもまして、簡単にいうとこの大天使ミカエルのポーズは、「勇ましく戦っている最中」を表しているといえるだろう。――彼の体は左側が前になるようやや斜めっており、背から生えた黄金の羽根を大きく広げながら、腰辺りに左手(手前にある片手)が来るように肘を曲げている。その左手には天秤を持っている。    また大天使ミカエルの両脚は、こと躍動感あふれるポーズを取っている。奥の脚は走っているかの如く深く膝が曲がり、手前の脚はつよく踏み込むようなつま先立ちである(その足で「大蛇(悪魔)」を踏み付けている)。  つまりこの大天使ミカエルの、その頭上に振りかざされている剣は、彼のつま先に踏みつけられながらも頭をもたげている、その「大蛇(悪魔)」の頭を切り落とそうとしているのである。    これが右から二番目の「大天使ミカエル」のステンドグラスだ。  ……ちなみに「大天使ミカエル」は、「神が一番初めに造られた天使」ともいわれ、しばしば「最も重要な天使」や、「天使長(天使たちの(おさ))」ともいわれる、非常に有名な大天使である。彼は武器を使っての「救済」や、「公平さ、正義」と関わりの深い大天使であるとされ、このように彼が「悪魔(蛇、あるいはドラゴンで描かれることも多い)」を退治している図を描いた絵画も少なくない。――悪を滅ぼす正義のヒーロー……そのようなイメージだろうか?      そして更に、その大天使ミカエルの隣には「イエス・キリスト」――ではあるのだが、彼は一番重要な存在であるからこそ、ぜひ一番最後にしよう。  ということで、一番大きく立派な「イエス・キリスト」の、向かって左隣には――清廉なる青と白を基調にした縦長長方形の画面の中、蓮池の前に美しい「聖母マリア」が佇んでいる。…もちろん聖母マリアの上に輝く花型は、青と白を基調にしたモザイクガラスとなっている。  そしてその花型の下、更に青と白を基調にしたモザイクタイルの中、マリーゴールドや、桃色の薔薇(ダマスクローズ)が美しく散りばめられている画面の中央に佇む聖母マリア、我が子を胸に抱く彼女の足下には、白百合と蓮池――蓮の花や蓮の葉が浮かぶ池――が描かれている。  その蓮池はやはり、どことなく仏教とキリスト教の折衷を見る神聖な趣きである。また向かって右側、聖母マリアの白い着物をまとう左のふくらはぎの隣には、つぶらな瞳でこちらを見ている白い子羊が描かれている(子羊もイエス・キリストの象徴である)。    また、楚々とした美貌の女性である彼女の後ろ頭にも光輪があり、彼女はその頭に青いベール――俯いている彼女の、その膝の裏のやや下まであるその一枚布は、一番下から頭頂部へと向かって、紺から極薄い水色へとグラデーションしてゆく、そのような美しいベール――を被っている。  そして彼女は、白い左側の横顔をこちらへ向けて俯いている――なお彼女の、その美しい慈愛の微笑みを浮かべた横顔は、額中央から始まる黒い前髪が、こめかみを覆うようアーチ型にかかっている――のだが、その彼女の膝下までまっすぐに垂れ下がる青いベールの中、更に下へまっすぐと垂れ下がっている長い黒髪が、彼女のミルク色の美しい横顔を浮かび上がらせている。    ただ、聖母マリアというと絵画的には、青いベールに赤い着物――もちろんヤマトの着物ではなく、長袖にTシャツのようなクルーネック、腰から下のたっぷりとした布には優雅なドレープが刻まれるような、足元までのワンピースのような衣装――というのがいわばオーソドックスではあるのだが、この聖母マリアは青いベールに白い着物を着ており、腰紐もまた水色である。…また彼女の足元はその白い着物の裾、たっぷりと地面に広がるほど長い裾に覆われており、全く見えない。    そして彼女は丁度授乳をする位置と角度で、白いおくるみに包まれた可愛らしい赤子をその胸に抱いている。聖母マリアはその子へ向けて俯き、安らかな表情の横顔で目を伏せ、我が子へ優しげに美しく微笑みかけている――やはり「マリア観音(ハンタマルヤ、慈母観音)」にインスピレーションを受けたとパンフレットにもあった通り、この聖母マリアのステンドグラスにおいてもまた、「マリア観音(ハンタマルヤ、慈母観音)」らしいその慈母(聖母)性が強調されているようだ――。  なお、この聖母マリアの両腕に大切そうにやさしく抱かれている、そのとても可愛らしい赤子――もちろんその子は、赤ん坊の頃のイエス・キリストであろう。  聖母マリアの白魚のような手からあふれるほど、彼女の足下にまでまっすぐ垂れるほどのたっぷりとした、真っ白いおくるみに包まれている彼は――ふくよかなやわらかそうな真っ白い肌をもち、その薔薇色に染まっている豊かな頬をふっくらと幸福げにたゆませ、母マリアと見つめ合いながら微笑み合っている。彼は短くふくよかな片腕を、うつむき加減の母マリアの顔のほうへ伸ばしている。  またそのイエスのおくるみにしても、聖母マリアの青いベールや白い着物にしても、アルフォンス・ミュシャに見るような、絵画的な(ひだ)が何とも優雅で美しい。    これがイエス・キリストの左隣に位置する、「聖母マリア」のステンドグラスである(厳密にいえば「聖母マリアと子イエス」のステンドグラスだが)。  なお、もはや説明も不要ではあろうが、この美しくも、いっそのこと「女性」という性を感じさせないほど清廉なる「聖母マリア」という人は――もちろん母親という存在が必ずしも女というものを捨てる必要などないが、子の目から見れば、母は女ではなく「母」である。誰もがつい彼女の子のような目で彼女を見てしまうのが、この「聖母マリア」という聖女の存在だといえるだろう――、かの救い主イエス・キリストを性交渉無しに身ごもり、処女のまま、その人を世に産み落とした聖女である。  ちなみに、このヤマトでは「聖母マリア」というほうが一般的ではあるが、海外では割と「(聖)処女マリー」というほうが一般的である。      そして「聖母マリア」の左隣――向かって左端に描かれているのは、「大天使ガブリエル」だ。  優しげなオレンジとサーモンピンクを基調にした花型の下、更にそれらの色を基調にしている縦長に収まっている大天使ガブリエルは、正直彼か彼女か――少なくとも、このステンドグラスに描かれている大天使ガブリエルに関しては、美男子とも美女ともつかない。色白、優しげな丸目がちの目が大きく中性的で、非常に柔和な顔立ちの美しい天使である。    その金髪は長く、かの天使の前髪は、こちら側から見て右分けにふっくらと立ち上がり、額の生え際からふんわりと盛り上がっている。そしてことに長いソバージュの金髪は、両肩の上でふっくらとたわみながら、そのままその人の背中側へと流されている。――また、この大天使ガブリエルは全体に「マーメイドライン」といったような、ところどころにくびれと広がりの見える、メリハリのあるラインで描かれている。    なお、それは実際にかの人の肉体にくびれがある、ということではない。  大天使ガブリエルは白百合の花が胸元にくるよう、片手でその花の茎を持っているのだが――ちなみにもう片手は「祝福」を表す、ピースサインの中指と人差し指を閉じあわせたポーズである――その均等な高さの肩にかけられた、ピンクかがったベージュのマントは、かの人の肩、二の腕から肘までは単に、その腕の外側のラインに沿って覆っているものの、ちょうど曲がっている両肘あたりで一度きゅっとくびれる。そして、その肘あたりからかの人の膝上までパニエのよう末広がりに広がって、アシンメトリーの美しいドレープを成している。  また、そのマントを纏う肩の付け根から見える薄桃色をした天使の羽根は、やや内側へ畳まれ気味に、かの人のくびれたマントのマーメイドラインの余白を埋めるよう、その人の上半身を囲っている。  そして、ガブリエルの着ている白い着物自体も、腰骨からふくらはぎにかけておだやかに狭まってゆき、きゅっとくびれたふくらはぎから、またおだやかに足元まで広がってゆくという、マーメイドラインのものとなっている。  ――なお、そうしてくびれているガブリエルの両ふくらはぎ横の、その左右の余白部分に、その余白を埋めるよう白百合のモチーフが、オレンジとサーモンピンクのモザイクタイルの中に描かれている。    これが「大天使ガブリエル」のステンドグラスだ。  ……そう、この柔和な美少年とも美少女ともつかない、非常に美しい中性的な「大天使ガブリエル」は、かの有名な「受胎告知(聖告)」を聖母マリアにした、聖書の中でも特に重要な役割を担っている大天使である。  またさんざん議論されてきた「ヨハネの黙示録」においては、「最後の審判」においてラッパを吹き、神に選ばれた死者を蘇らせる(永遠の生命を与える)のも、この大天使ガブリエルなんだそうだ(なお「マタイによる福音書」にも「最後の審判」に関する記述がある)。――ちなみに、その「最後の審判」では曰く、同性愛者はその際に永遠の生命を与えられるどころか、どうやら地獄に堕とされるらしい。    まあキリスト教が同性愛を忌み嫌っているのも、おそらくは同性愛が神聖視されていたロマ(ローマ)(ギリシァ)への当て付け、嬰児の死去率の高さ故に国のため社会のために子を「産めよ増やせよ」、はたまた疫病の拡散防止と、結局は「その当時の自分たちのため」にそう言ってるだけ、俺はそのような気もするけれど――聖書における男尊女卑や家父長制こそ「神のご意思」といったような記述もまた、結局は、その当時の人々に都合のよい統率を取るための記述だったんじゃないのか――もちろん、それが本当なら俺は地獄行きだ。    まあぜひ見てみたいものだよ、この世以上の地獄があるというのなら……ね。      さて――それではいよいよ。  ……その聖なる人物たち2人ずつに挟まれている、ひと際大きく立派なステンドグラス――中央に位置する、「イエス・キリスト」を見ていこうか。         

ともだちにシェアしよう!