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第1話 孤独な鍵番

 王立図書館旧館。それは王城の離れにひっそりと存在する。  王城内に大規模な新館が建てられてからというもの、大半の蔵書は新館に移され、旧館を訪れる人はほとんどいなくなった。いや、ほとんどではない。全くいなくなったと言っても過言ではない。  旧館には、古く利用実績の少ないもの、闇魔術など禁忌とされる蔵書のみが残された。  しかし、少なくなったとはいえ、蔵書は200冊程度残されている。  貴重な資料であることには変わりないので処分するわけにもいかないのだ。  誰も訪れなくなった図書館の電気設備は止められてしまい、少ない魔力で数カ所のランプが灯されている。  そのランプの灯りがゆらりと揺れ、人影を映した。  旧館の鍵を任されている青年だ。  名前はオルビス。  誰も訪れることのない図書館に二十四時間滞在し、司書室にベッドを持ち込み暮らしていた。  オルビスの日課は毎日単調に繰り返される。  午前中は、いつの間にか書架や書物に積もる埃を払い、館内に不審なものが無いか巡回。  それが終わると、数少ない陽の差し込む窓辺に置かれた机で本を読む。  昼は王城の調理場からもらった硬いパンを齧り、午後は筆を取り出し趣味の絵を描く。  夕飯には昼に残したパンをまた齧る。  風呂は面倒なので、自分で清潔魔法をかけて終わり。誰に会うわけでもないのでそれで十分だった。  あとは司書室に置いた硬いベッドに横になるだけ。  新館ができてから十年、毎日その繰り返しだった。  自分の乏しい魔力で照らす灯りは少々暗いが、自分にはそのくらいの方が丁度いいし落ち着く。  オルビスは、静かに暮らせるここは天国だとさえ思っていた。  そんなある日、一人の青年が現れた。  見るからに高貴そうな姿は貴族だろう。  そもそもここは廃れたとはいえ、王城敷地の一角にあるのだ。身分もそれなりでないと入ることは叶わない。 「こんにちは。ちょっと古い資料を探してるんだけど、君が管理人かな?」  彼は人好きのする笑顔を浮かべた。  長い金色の髪を三つ編みにし、肩から胸の方へ流している。上背もあり、手足はスラリと長い。  キラキラとしたオーラが見えるようで眩しかった。  透き通ったブルーの瞳が一層華やかさを引き立て、物腰も柔らかく、気品を感じさせる。  こういう人に皆憧れをもつのだろうな。  暗いこの場所とは相反する輝き。  真に不釣り合いだ。  返事のないことを不審に思ったのだろう。彼が首を傾げる。 「ああ、申し訳ありません。久しぶりの来館者だったので少々驚きまして……管理人のオルビスと申します」 「そうか。ここは随分灯りが少ないようだけど困らない?」 「ええ、私には丁度よいくらいです」  こんなに笑顔が爽やかな人と話したのはいつぶりだろうか。  そもそも、物心ついた頃から人と関わることを避けていたし、十五歳の頃にはもうここに一人で住んでいた。  一応貴族の端くれなので、それなりの教養は教え込まれたけれど、他人と関わるのは苦手だ。  ……できれば早く帰ってほしい。 「どのような資料をお探しですか?」  思考に意識を奪われ変な間が開いてしまったが、オルビスは取り繕うように答える。 「ああ、この国の干ばつや飢饉の記録を」 「干ばつですか?」 「そう、ここ数か月日照りが続いているだろう? 何か良い対策は無いかと思ってね。この国はもう何十年も干ばつなんて起きなかったから、国は何も対策をしていなかったんだ……」  確かに、言われてみればここのところ雨が降っていない。ほとんど外に出ることが無いため意識しなかったが、毎日窓からの明かりで容易に読書ができていた。  しかも、厨房にパンをもらう時もそんなことを調理人が話していた気がする。 「……少々お待ち下さい」  オルビスは頭を下げ書架に向かうと、数冊の本を手にした。 「こちらが干ばつの記録です」 「ありがとう。少しここで見せてもらっても?」 「ええ、構いませんよ」  本音は帰ってほしかったが、一応公共の図書館だ。無下に追い払うことはできない。  彼は資料を手に取り、近くのテーブルにつく。  パラパラと頁をめくる指先は優雅で洗練されていた。  それでいながら男性を思わせる節々、筋肉もしっかりとしているようだ。  男の色気。というものだろうか。  自分が彼の美しい指先に見惚れていたことに気づき、オルビスは慌てて視線を外す。  時刻は昼を過ぎたばかりだ。 「奥におりますので、何かございましたらお声かけください」 「ああ、ありがとう」  オルビスは一礼し、司書室に戻った。  いつもの流れから外れてしまい、小さく息を吐く。  ……絵でも描いて落ち着こう。  オルビスは筆と絵具を取り出し、キャンバスに向かった。  オルビスの趣味は水彩画を描くことだった。  誰に習ったわけでもなく、自分の想いのままに絵を描く。  筆を持っている間は、時間も、独りぼっちである事実も忘れることができるのだ。  キャンバスの中で描かれた龍が空を舞う。  どのくらい経っただろうか、ドアをノックする音にハッとする。  小さな窓を見ると、陽は傾き空は赤く染まり始めていた。 「遅くまで居座って悪かったね。そろそろ戻るよ。まだ調べたいからまた来てもいいかな?」 「はい、ここは王城に関わる方でしたらどなたでも利用できますので」  なんだか冷たい返しになってしまった気もするが、他人と関わることが苦手なオルビスにとってはそう返すのが精一杯だった。  そんなオルビスの態度にも彼は嫌な表情をすることもなく、お礼まで述べて帰っていった。  その後オルビスが吐いた溜息は誰にも聞かれることなく、空気に溶け込んでいったのだった。
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