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第39話 地獄

「アクタが兄。ウツロ、お前が弟だ。つまりわしは、お前たちの実の父親ということになるわけだな」  なんだって?  俺とアクタが兄弟で?  アクタが兄さんだって?  へえ、そうなのか。  なんだかおかしいや、あはは。  で、お師匠様(ししょうさま)が?  父さんなんだ。  ふーん、えへへ。  知らなかったな~、びっくりだ。  放心したところから、ウツロの精神はすでに気の触れる寸前にさしかかっていた。  師の口から発せられる言葉のひとつひとつが面白くて仕方がない。  そんな状態だった。 「ウツロ、わしのためなら喜んで魔道(まどう)にでも落ちる。確かにそう言ったな?」  うん、言った。  確かに言ったよ。 「ならばウツロ、アクタと殺し合え」  あれれ。 「アクタ、そいつはもうわしの言うとおりには動けん。人間の世界などというものを味見したからだ」  まあ、そうだね。  確かにね。 「さあ二人とも。生まれてきたその罪を、この世に存在してしまったその罪科(ざいか)(つぐな)うのだ」  そうだよね。  やっぱり間違ってたんだよね、俺は。  俺の存在は――  亡霊(ぼうれい)のようになったアクタが、(あやつ)られるようにふらふらと、ウツロのほうへにじり()る。  大気(たいき)をゆっくりと切り裂いて、その大きな両腕(りょううで)が、ひざまずいている「弟」の首にかかる。 「ウツロ、すまねえ……俺、もう、どうしていいのか、わからねえんだ……」  アクタは謝罪(しゃざい)らしき言葉を口にするが、その顔は幽鬼(ゆうき)のように生命の存在を感じさせない。  あまりの状況に、彼とて精神が錯乱(さくらん)しているのだ。  ウツロはそれに()をかけたようだ。  自分が絶対だと信じてきたものが、すべてまやかしだった。  そしてこの追い打ち。  こんな残酷なことがあってよいのか?  もう彼の理性は、吹き飛ぶ一歩手前だった。  その顔はへらへらとした()みを()かべている。  もう笑うしかない。  それほどまでにウツロは追いつめらたのだ。  ああ、アクタ……  「兄さん」の手が、俺の首に食いこんでくるよ……  苦しい……  けど、気持ちいい……  だって俺は、「兄さん」の手にかかって死ねるんだよ?    幸せだな~。  こんなに幸せで、いいのかな~?  ピタリと、首への圧迫(あっぱく)が止まった。  アクタが本能的に何かを感じ取ったのだ。  それは()しくも、彼が師から徹底的に教えこまれた、危機回避の習性だった。  あれ、どうして?  もう少しで、もう少しで()けそうだったのに……  どうやら気づいていないのはウツロだけのようだ。  似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は森の一角(いっかく)の、桜並木(さくらなみき)隙間(すきま)凝視(ぎょうし)した。 「見物(けんぶつ)したいのなら、見物料(けんぶつりょう)(はら)ってもらおうか?」  一陣(いちじん)のそよ風が森を()でた。  桜の並木も、はげあがった大地も、あるいはウツロたちをも。  ゆっくりと、やさしく包み込むように。  なめるように(はだ)愛撫(あいぶ)する。  そのそよぐ音にまじって、くつくつと笑う女性の声が聞こえる。  森が笑っている――  あやかしが三人を食い殺そうと、舌なめずりをしているかのようだった。 「兄弟どおしを殺し合わせるだなんて、とんだ父親がいたものだね?」  この声はいったい、どこから聞こえてくるのか?  似嵐鏡月は視線を送っていたところに声をかけた。 「『家族』の()(ごと)に口を(はさ)まないでもらおうか? 出てこい」  ぼんやりとしながら、ウツロはそちらに首を回した。  知っている、知っているぞ、この女は(・・・・)―― (『第40話 出現(しゅつげん)』へ続く)

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