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第38話 決戦前夜 急

 日も暮れかけてきたころ、洋館アパート・さくら(かん)では、メンバーのおのおのがそれぞれの形でくつろいでいた。  とはいってもそれは、あくまで「建前上」の話ではあるが。  実際には明日の御前試合のことがあり、みなが姫神壱騎(ひめがみ いっき)とその母・志乃(しの)を気にかけている。  しかしいっぽう、何か気づかいでもすればよいのか、それともそっとしておいたほうがよいのか、考えあぐねていたのだ。  ウツロも同様で、悶々とする気持ちを抑えようと、自室へ向かおうとした。 「ウツロさん」  二階へ上がったところで、姫神志乃(ひめがみ しの)が声をかけてくる。 「志乃さん……」  ウツロは彼女に、研ぎ澄まされた刀剣のような意志を見た。 「愚息がたいへんお世話になったとか。この姫神志乃、謹んでウツロさんに感謝を申し上げます」 「いえ、そのような……」  深々と頭を下げる様子に、彼はたじろいだ。 「息子はずっと、自身を蝕む闇のようなものと戦っていた。しかし、ウツロさんに出会ってから、どうやらそれを払うことに成功したようです。いったいこのお礼を、どう返せばよいのやら……」  父親を無残にも殺害された少年時代。  いったいそれが、どれほどの苦痛であったことか。  そしてどれほど、その苦難に向きあってきたというのか。  それを思うと、ウツロは自身の境遇と重ね合わせ、複雑な胸中であった。 「志乃さん」  ウツロは姿勢を落とし、ひざをついた。 「ウツロさん、おやめください!」  彼は首を縦には降らなかった。 「ご子息・壱騎さんはまれに見る猛者、そしてそれを支えているのは、そのたぐいまれなるもののふの精神であるとお見受けいたします」 「ウツロさん……」 「ご自身と向き合い、幾多の夜を乗り越えて来られた。それがどれほどの困難をともなうものであったか……俺には想像もつきませんし、推し量るのは無礼にあたるというものです」 「……」 「しかしながら志乃さん。それを可能にしたのは、ほかならぬあなたさまのお力。子を思う母の気持ちに勝るものなど、この世には存在しえないでしょう。志乃さんの支えがあったればこそと、この似嵐(にがらし)ウツロ、おそれながら思う次第です」 「ウツロさん、あなたというお方は……」 「明日の御前試合、ゆめゆめくもりなきまなこで見聞させていただきたく思う所存です」  ウツロは立ち上がると、深く一礼をして、部屋のほうへとはけていった。  そのうしろでは、やはり姫神志乃が、涙をぬぐいながらいつまでも頭を下げていたのである。    * 「ウツロ」 「?」  部屋へ入って少したってから、ドアごしに姫神壱騎の声が聞こえた。 「どうぞ」 「失礼するよ」  彼はゆっくりと入室し、ウツロと差し向かいに座った。 「母さんに気をつかってくれてありがとう。俺こそこのお礼を、どう返せばいいのか……」  姫神壱騎はまだどこか、迷っている様子だった。  それを察することができないほど、ウツロは間抜けではない。 「友を助けるのに、理由などいるのでしょうか?」 「……」  彼はあえて、心にかかる言葉を選んだ。 「かっこいいね……もてるわけだよ」 「あなたには負けますよ」  涙ぐむ姫神壱騎、そしては二人はくすくすと笑いあった。 「明日の御前試合、もし仮に、俺の心が曲がりそうになったのなら、ウツロ……遠慮なく俺を切り捨ててほしい」 「……」  凛とした顔つき、彼は本気そのものだ。  ウツロは少し間を置いて語り出す。 「おそれながら壱騎さん、明日の試合、俺が思うに、決して見世物などでは、ましてや殺戮のショーなどではありません。おそらく壱騎さんが、ご自身のお心と向き合えるかどうかの勝負。そしれそれは、森さんにとっても」 「ウツロ……」  姫神壱騎は一度うつむいて、また顔を上げた。 「わかってる、わかってるんだけど……なんだか、こう……まだ、頭の中に黒い雲がかかっているような感じがするんだ。油断するとのみこまれてしまいそうなね。俺はいったい、どうすればいいのか……」  ウツロは目を反らさない。 「壱騎さん、おそらくあなたが断ち切るべきなのは、その雲なのでしょう」  そう言った。  姫神壱騎はハッとする。 「精神論に堕するかもしれませんが、剣士の本懐とは、あるいはそれなのではないのかと思うのです。生意気がすぎますが」 「いや、そのとおりだと、俺も思うよ。すごいよね、君は。雲が一気に晴れてきたよ。なんだか、楽になってきた」 「それはあなたの力なのです、壱騎さん」 「ほめても何も出ないよ?」 「すでにいただいております、かけがえのないものをね」 「……」  姫神壱騎はつくづく思った。  光、光だ……  このウツロという少年は。  この子のようになりたい。  真似るという意味ではなく。  俺は俺にできる形で、自分と向き合っていきたい。  そう思った、心の底から。 「ウツロ」 「はい」 「明日の試合、俺は必ず勝ってみせる。もちろん、自分自身にね」 「確かに承りました。俺も全身全霊で臨ませていただきます」  二人は拳を合わせた。  信用は信頼へと。  太陽が二つ輝いているようであった。  御前試合は、明日――

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