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第6章:別れ編 第1話

「ふっ、ふぅ、う……」  布団を嚙みながらバイブを動かす手を速める。中を押し広げる無機質な感触。血の通わないシリコンの表面が直腸を通る度、心の中が冷え込んでいく気がしてならない。  これは自慰なのだからと自分に言い聞かせる。射精さえすれば良い。がむしゃらに性器をしごく。溢れた先走りが圭の手を濡らした。  裏筋を親指の腹で擦る。気持ちが良い。  しかし、連動するようにキュンと後孔の奥が疼いた。もっと弄るべき場所があるだろうと訴える。 (違う……そうじゃない。そこは違う!)  眉間に皺を寄せながらフルフルと首を横に振った。そこは感じるべき場所ではない。男は普通そんな場所で快感など得ないのだ。  それなのに、直腸は注挿させているバイブを喜々として絡みつく。そして、もっと激しく犯されたいと強請(ねだ)るように蠢くのだ。  前立腺をカリ嵩の性器で擦られたい。結腸を思い切り突かれてぶち抜かれたい。S状結腸の奥の壁を性器で打たれ、男の屈強な性器に屈服したい……。 (違う! 違うったら!!)  鼻息が荒くなる。思い出してしまった剛直による快感に期待で疼く腰を止められない。  胸元すらも遊ばれたいと主張する。何にも感じないお飾りだったはずなのに。ピアスを引かれ、胸元の尖りを舐められたい。それだけで得も言われぬ快感に包まれるというのに。  そのどれもがここにはない。あるのは陰茎を模したオモチャだけ。物言わぬオモチャは使用後、圭に空しさばかりをもたらす。  それでも、既に陰茎を弄るだけで快楽を得られなくなってしまった体では、こうして無機物を使用して体を慰めるばかりだった。  心の中に空っ風が吹きすさぶ。  こんなはずじゃなかったのに。こんなことになると分かっていたら……。  ブンブンと首を横に振る。それは考えてはならないことだから。  持て余す体の熱を冷ます方法が分からない。無心になって性器への手淫とバイブの注挿を激しくするも、脳裏に浮かんでくるのは一人の人物。 「んっ」  鈴口から白濁が放たれた。掌で受け止める。ティッシュで拭き取り、バイブを片付けた。  やはり物足りなさに体が疼く。考えてはいけない思いが湧いて来そうだった。急いで布団を頭から被った。  耳の奥で圭の名を呼ぶ声が聞こえる気がする。ブンブンと頭を振ってその幻聴から身を守るように両手で耳を塞いだ。  彼の名を呼んでしまいそうで怖かった。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「うっっっっっっまぁぁぁぁ!!!!!!」  カレーを一口頬張り、頬へと手を添えた。  久しぶりに食べる米。そして母の手料理。そのどちらもがあまりに懐かしすぎて感動する。思わず目に涙が浮かんでいた。 「ちょ、圭、あんたどうしたの? やっぱ病院行ってくるべきだったんじゃないの?」  怪訝な表情で姉が顔を覗き込んでくる。向かいに座る母は今日も穏やかにニコニコ笑う。 「智ちゃん、そんなこと言っちゃ圭ちゃん可哀想よぉ。圭ちゃんはママのご飯大好きだもんね」  何度も力強く首肯した。その間中もカレーを食べる手は止めない。 「屋上から落ちたって聞いた時、もう生きた心地しなかったんだからな? 部下が帰って良いって言ってくれたからすぐに帰れたけど。全く、圭は誰に似てそんなそそっかしくなったんだか」 「絶対パパじゃない? あたしもお兄ちゃんもしっかりしてるもん」 「俺か~? 俺はもうちょっとちゃんとしてると思うけどな~」 「正人、お前、自分が思う程しっかりなんかしてねぇぞ?」 「お父さんまで! 圭はそう思わないよな?」  ウンウンと首を縦に振った。そう言っておけばとりあえずは上手くまとまると経験上知っている。父は上機嫌で圭の頭を撫でる。そんな父子を見ながら、圭の隣に座る姉は顔を顰めていた。 「圭ちゃん、本当に病院寄って来なくて良かったのぉ? ママ、心配しちゃうわよぉ」  スプーンを口に含んだまま圭がギクリと動きを止める。背中を冷や汗が流れ落ちた。 「だ、だぁいじょうぶだって! 俺、こんなに元気いっぱいじゃ~ん!」  マッスルポーズを決めて鼻息を荒くした。食卓を囲む家族全員から疑い混じりの目を向けられる。気付かぬふりをしてカレーを口へと運び続けた。  保健室で目覚めた後、これまでのことが夢だったかと考えた。しかし、夢にするには無理がある。胸元のピアスの感触。ごまかしようがなかった。  保健医からその後聞いたことであるが、屋上から落ちた圭は下にあった木に運よく引っ掛かったらしい。意識を失い、救急車を呼ぶかというところで目が覚めたのだという。  救急車だけは困る。この体を見られたら何を言われるか分からない。絶対にそれだけは嫌だと拒否して祖父に迎えに来てもらった。まだ全然終わっていないというのに文化祭の準備を一人だけ抜けるのは気が引けた。しかし、さすがに屋上から落ちた圭に誰もが同情的で、誰一人として咎める者などいなかった。むしろ早く帰れと半ば強引に追い出された。  家族全員に怪しまれながらもさっさと食事を終えて風呂に入る。いつもなら食後はまったりと家族でテレビを見ながら寛ぐのだが、今日はこれ以上余計な詮索をされたくなくてすぐに自室へと引っ込んだ。  シングルベッドに体を横たえた。目に見えるのはお気に入りの漫画や好きなアーティストのポスター、それに学習机など見慣れた自室の光景。しかし、久しぶりに見るそれらに感動すら覚える。 「戻って……きたんだぁ……」  鼻の奥がツーンとする。零れた独り言は涙声だった。  布団を頭まで被る。誰にも邪魔されずに寝られる喜びに浸りながら泥のように眠った。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  秋の高く澄んだ青空の元、賑やかに文化祭は開幕した。他校からも友人たちが訪れ、圭たちのクラスもそれなりに混雑している。  圭たちのクラスの出し物は「コスプレ喫茶」。特にテーマは設けず、アニメのキャラクターや動物の着ぐるみパジャマなど様々な格好でクラスメイトたちが給仕をしている。  圭は裏方だったが、あまりの役立たなさから早々にクビを宣告された。料理好きな母はあまり台所に圭を入れたがらなかった。そのため、調理関連はからっきしだったのだ。  昨日は同情的だったクラスメイトたちも、元気な圭を見て安心したのか好き放題ダメ出しをしてくる。そして最終的に「役立たず」の烙印を押され、厨房から出されてしまった。 「ええええええーーーーー!! いーやーだー!!!!」  腕で×を作り、全身で拒絶を表す。目の前の友人の手にはミニスカメイド服。 「頼む! 圭でないと、これは絶対に似合わない!!」 「そうだ、そうだ! どうせキッチンはクビになったんだから、圭やることねーじゃねーか!」 「うっせー! そういう問題じゃねーだろ!!」  互いに一歩も譲らない攻防が続いていた。  更なる集客の目玉として、圭にミニスカメイド服を着せて校内を歩かせ、誘客を狙うという算段らしい。いくら女顔とはいえ、だからと言って女装する趣味はない。 「それに、圭、昨日も先に帰ったじゃん。俺らあの後、夜8時までかかって準備したんだぜ?」 「うっ……」  それを言われてしまうと肩身が狭い。 「で、でもさぁ、あれはみんなが帰れって言ったから……」 「あーあ、大変だったな~、準備!」 「本当だよなぁ! 俺、見たい生配信あったけど、疲れて家帰ってすぐ寝ちったもん」 「うう……」  それ以降もいかに大変だったかを力説される。胸がチクチクと痛んだ。  そして最終的に友人たち全員が圭の目の前で土下座したことで、白旗を上げざるを得なかった。 「わーかったよ!! 着りゃ良いんだろ!? 着りゃあよお!!」  友人の手からメイド服を乱雑に奪う。ドシドシと音をさせて着替えスペースへと向かい、制服を脱いだ。  用意されたメイド服は圭の身長にピッタリだった。きっと女性用だったのだろう。それはそれで腹が立つ。膝上20センチのスカートが動くとヒラヒラと舞った。 「うっげぇ……脚、スースーして気持ちわりぃ……」  心もとない足元を見る。元々ムダ毛のない細い脚は女子のようだと言われても文句を言えない。  こんなみっともない姿、本当は誰にも見られたくはない。しかし、ここでこうしていても埒が明かない。意を決して着替えスペースを出た。 「みんな~、おっまた~! 圭子ちゃんだよぉ」  手でハートを作り、ウインクして見せた。野太い声が湧く。  一度やると決めたなら腹を括るまでだ。こういうのは振り切ってやった方が後で良い思い出になるというもの。  クラス名と「コスプレ喫茶」と書かれた看板を渡される。こうなったらやってやろうじゃないか。 「圭、1人集客する毎に10円のバックを出そう!」 「えー、やっりぃ! じゃあ、1000人連れてきたら1万な! おら、テメーら、ついてこい! 圭子様がお通りだぁ!」  看板を持ちながら校内を練り歩く。知った顔を見かけては声をかけ、半ば強引にクラスへと引っ張ってきた。  途中、他校の生徒らしき制服を着た男女に絡まれ、一緒に写真を撮る。可愛いを連呼されて内心は複雑だった。  大きな声を上げながらクラスの宣伝をして歩いた。クスクスと笑い声が聞こえてくるが気にしない。途中、スマホを向けられ、ポーズを決めた。そして撮影代だとほぼ難癖のようなものをつけて無理矢理クラスへと連れて行く。クレームなどは出なかったから、お互い様という考えだろう。  クラスは大いに賑わった。廊下には列ができている。待ち時間の相手役としての役割も忘れない。積極的に話しかけ、客の気を紛らわせる。ある程度相手をしたら、再び校内の客引きへと戻っていく。  始めは嫌々やっていたが、次第に楽しくなっていった。久しぶりに色々な人と話せて純粋に嬉しかった。 「ありがとな~! 友達にも宣伝しといて~」 「可愛いメイドさん、ばいばーい」  他校の女子高生たちが圭へと手を振り去って行く。一緒に撮った写真は記念にとデータを貰った。可愛い女子高生に挟まれながらウインクを決めるメイドが映っている。 「ま、これはこれで思い出かぁ」  可愛い女の子に囲まれるのはやぶさかではない。むしろ嬉しい。  久しぶりに味わう青春の味を堪能する。欲しかった自由を手にして浮かれていた。  圭は知らなかった。この日、撮影された写真が人知れずネットの海に流れることを。素人投稿サイトに書かれたうたい文句は「奇跡の美少女」。手でハートマークを作ってウインクをする圭の姿と共に。

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