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第5章:裏切り編 第7話

 アレクとの関係性が破綻した日から、圭の日常は大きく変わった。  圭が一人で寝室から出ることは一切なくなった。更に明確に言うのであれば、ベッドから降りることがそもそも多くない。  圭の左足には重い鎖が繋がっていた。鎖の先はベッドの脚へと繋がっていて、どんなに叩いても引っ張っても壊れないほど頑丈だった。  付けられてから一日、何とか取ろうと藻掻いた結果、足首と鉄輪の接している肌が擦れて赤くなってしまった。それ以降、鉄輪にはなめした皮の布が施されている。  すぐに対応してくれたし、それなりの思いやりくらいはあるのだとは思う。多分。  しかし、それ以外にも扱いは良いと言えない。  部屋から出られないということは、排泄が最も大きな問題であった。  その問題を解決するために設置されたのが、ベッドの下のトイレ箱だった。  中には臭い消しの魔術の込められた砂が入っており、さながらペット用といったところだ。  排尿であればそこで全て事が足りる。排便を催した時は、ベルを使って圭自身が使用人を呼び、肛門を拭き、砂を替えてもらう。  用を足すという一点においてのみであればそのトイレ箱で十分だった。  だが、人間の尊厳としてみれば全く機能してはいない。  始めはこんな所でできるかと憤っていた。それも差し込みが激しくなり、ベッドで漏らしてしまうという最悪の出来事が脳裏をよぎり出すと些末なことであると考えるようになった。  一週間も経てば、人間はある程度順応する。慣れとは怖いものだと実感した。  そして、もう一つ心を抉るのが食事だった。  拘束初日に暴れて、行為の最中以外は両手の自由すら失った。つまり、圭は一人で食事をすることができない。そのため、決められた時間になると使用人たちが食事を運んできて、介助されながら食べる羽目になった。  それも最初は扱いの酷さに憤慨して、ハンガーストライキまがいのことをしようとした。  しかし、食べてもらえなければ自分たちが折檻を受けると頼み込まれてしまえば、もうどうしようもない。  これ以上、圭は自分の行いで誰かが傷ついたり嫌な思いをしたりするのが嫌だった。だから介護状態に不服ではあるものの、文句を言うこともなくその状態を受け入れていた。  ユルゲンとは全く会っていない。まともに話をできる相手もおらず、ただ夜になればアレクから非道な行為を受けるばかりの生活。  しかし、それも全部ひっくるめて罰だと自分に言い聞かせた。仕方ないこと。悪いのは全て自分なのだからと。何度も何度も繰り返す。嫌になった時。悲しくなった時。その言葉を胸の中で反芻する。そうして行為を受け入れる。  ちょっとずつ、心の中の何かが擦り減っているのを感じながら。そして、その何かから目を逸らし続ける。  気付いたところでどうすることもできないのだから。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「んっ、んんっ、……んっ」  ギャグを噛まされた口の端から唾液が大量に零れ落ち、枕を濡らした。  後孔は器具で塞がれている。ちょうど前立腺に突起物が当たり、直腸の蠕動運動で絶妙に押してくる。  性器からは2度の逐情を果たしていた。それでも意思のない無機物からの責めは終わらない。  朝、起きたら既に性具が挿入されていた。昨夜、眠りに落ちる時にはこんな淫具はなかったから、アレクが寝ている圭に付けたのだろう。  いつ終わるのかも分からない地獄のような快楽の時間。食事すら、この性具を入れられたまま摂らされた。  当然のように使用人は何も言わない。まるで何も圭はされていないとでもいうように、いつも通りベッドの縁に圭を腰かけさせて無言のまま口へと匙を運んでいった。  そしてまたベッドに転がされ、グニグニと体内を押す淫具の激しさに翻弄される。  アレクが戻って来るのは夜。それまで一日中この性具で弄ばれるのだろう。  気が狂いそうだった。  いや、狂ってしまった方が良かったかもしれない。  そうすれば、少なくともこの責め苦でこんなに苦しむことはないのだから。 「随分と気をやったようだな」  フゥフゥと虫の息の中、アレクが寝台へと姿を現した。圭の性器付近のシーツを見て苦笑している。 「何度イった?」  ギャグを取られて深呼吸した。鼻水が詰まって息苦しかった。 「わ、かんな……も、くる、ひぃ……よぉ……」  涙が大量に溢れ出た。やっとこの地獄から解放されると思い、全身の力が抜ける。 「んぁっ!」  アレクの手が淫具にかかる。ズブズブと引き抜かれ、やっと心の底から安堵できた。  イきすぎた体は倦怠感に塗れていた。塞いでいた物を失い、括約筋がクパクパと開閉を繰り返す。 「全身汗まみれだ。風呂へ入ろうか」  アレクの提案にコクリと小さく頷いた。  入浴はアレクがいつも圭と一緒に風呂へと入る。使用人が圭の体を隅々まで洗うのは嫌らしい。  両手の拘束と左足首の鎖を外された。何も行動を戒めるものがないというのは快適だ。こんな当たり前のことですら今の圭にとっては嬉しいことだった。  丁寧に体を洗われる。大切な宝物を扱うように触れられて、勘違いしてしまいそうになる。  圭が罪人ではなく、アレクから大切に愛されている一人の人間だと。  しかし、その淡い期待はすぐに裏切られることになる。 「少し催してしまったな……ああ、ここに孔があるか」  アレクが萎えた性器を圭の後孔へと宛がった。 「ま、待って? まさか……」  静止の言葉は最後まで口にできなかった。長時間淫具を咥え込んでいた後孔は柔らかい性器でも咥え込む。 「ああ……あっ……」  体内で感じる温かい液体の感触。いつものように粘度のあるものではない。サラサラとした液体が中に充満するのを感じて顔面が蒼白になった。 「引き抜くが、零すなよ?」  コクコクと何度も首肯した。その言葉通りアレクの性器を締め付ける。  引き抜かれていく萎れた男根。圭の心臓が早くなる。  抜けた後、すぐに括約筋を締めた。中にある温かい液体の存在を意識して眉根を寄せた。 「今、ここに俺の尿があるんだな」  アレクに腹を摩られて嫌悪に顔を歪めた。優しく何度も円を描かれる。ゆっくりと。 「中に排尿までされて……今のケイは便器と一緒だ」  嘲るような笑い顔。悔しさで涙が込み上げる。 「うっ……」  差し込みが始まった。出したい。この汚液を早く。 「トイレ……行か、せて……」  残酷な支配者に懇願する。勝手は許されない。彼の許可がなければ、圭には何の自由もないのだ。 「トイレなんて便器に必要ないだろう?」  綺麗にほほ笑まれる。その非道な言葉に青ざめた。 「出したければ出せば良い。幸い、ここは浴場だから、すぐに流してやれる」 「やだ……やだよ……。ねえ、アレク、お願いだから。それだけは……」  昏い笑みのままアレクはそれ以上何も言わない。ただ目を細めている。  フルフルと何度も首を横に振った。しかし、それ以上アレクが言葉を発さないことが答えだった。 「うっ……」  ボロボロと涙が零れ落ちる。こんな非人道的な扱いを受けているというのに、圭の性器は頭を擡げていた。  自分の心と体が解離していることにも腹が立つ。何もできない自分に歯がゆさを感じながらも、差し込みは深くなるばかりだった。 「やだ……お願いだから……見ないで、見ないでよぉ……」  意味のない懇願だと分かりながらも言わずにはいられなかった。アレクは穏やかな目で圭の顔にキスを繰り返す。そして、腹を押されて限界を突破した。 「ああ……」  圭の後孔から黄金色の液体が零れ、排水溝へと流れていく。  自分のじゃないのに。でも、出てくるのは圭自身の体の中。 「うう……」  体内に出された全ての尿を排泄しても、その場から動けなかった。何もする気力が湧かない。  ただただ悲しい。それだけ。  アレクという人物が分からない。何をしたいのか。何を思っているのか。 「大丈夫、きちんと俺が綺麗にしてやるから」  魔石を原動力にしたシャワーで体内を洗われる。入り込んでくるのは適温の湯なのに、心が冷え冷えとして堪らなかった。 「今晩はどんなことをして遊ぼうか。ケイはまたやりたいことはあるか?」  快適な温度の浴槽の中、背後にいるアレクに抱き締められたまま囁かれた。後孔には性器が挿入されている。しっかりと勃起し、圭の中から直腸を広げていた。  首を横に振った。どれも最低で最悪な思い出ばかりだ。もう一度されるなんて冗談ではない。  それ以前に話もしたくなかった。 「じゃあ、俺がやりたいようにしよう」  ザバリとアレクが立ち上がる。圭と繋がったまま。 「んっ」  もう、入れられたまま移動するのにも慣れてきた。だからと言って、快感を感じなくなったという訳ではないが。アレクが歩く度にあられもなく乱れる姿を見せることは少なくなったと思う。  脱衣所で体を拭かれてゆく。こんなに献身的に尽くしてくれているというのに。これは全部、この後アレクが好きに嬲るためだけの準備でしかない。  いつものように魔法で髪を乾かしてもらえば、体はスッキリと綺麗に整えられた。  どうせ、この後すぐに汚されるというのに。 「ケイは気持ちが良いのと苦しいの、どちらが良い?」  抱き上げられてベッドへと運ばれる。一緒に風呂に入った後はいつもこうだ。圭が自分の脚で歩くことなどない。その内、脚の筋肉が衰えて歩行に支障が出てしまわないかと心配になる。 「……気持ち良いの」  2択を提示されてはいるが、こんなの実質的には1択と同じだ。誰も好んで苦しい思いなんてしたくはない。 「あんなにイっても、まだイき足りないなんて、ケイのココは本当に強欲だ」 「んっ」  ベッドに下ろされ、手淫で性器を弄られる。頭を擡げている陰茎はすぐにトロトロと淫液を零し始めた。透明な液体がアレクの手を濡らす。  気まぐれに性器を弄んだ後、アレクは寝室から出て行った。ホッと安堵の息を吐く。  アレクと一緒にいると緊張感で疲労が溜まる。まるで出会ったばかりの頃のようだ。あの頃も殺されるのではないかという不安と、慣れない性の快感に翻弄されてばかりでいつでも極限まで張り詰めた緊張の糸によって疲弊していた。  ベッドに横になりながら目を伏せる。今日はこれからどんな目に遭うのだろう。考えただけで恐ろしい。  フルリと体を震わせた。体は風呂で温められて寒くはないというのに。  ベッドの端に繋がれている鎖を見た。今、圭の体を拘束するものは存在しない。しかし、逃げようなんて気にはならなかった。どうせ隣の部屋にはアレクがいる。居室を通らねば外へと繋がる場所へは向かえない。  それに、出たところでどこへ行けば良いというのか。胸元で動く度に揺れるピアスのせいで、どこへ逃げようとすぐに居場所など特定されてしまう。自由なんて訪れることはない。  そして、次にまた逃げれば命がないであろうことくらいは分かっている。今こうして生きていられることですら奇跡なのだ。アレクの慈悲に過ぎない。 「何をしていた?」  盥を手にしたアレクがベッドへと戻ってきた。フイと横を向く。 「何にも……」  ぶっきらぼうな声が出た。今日はイきすぎて体力が限界だった。もう媚びる言葉すら思い浮かばない。早く眠りにつきたかった。 「今日は可愛げがないな」  フッと笑いながらアレクは盥の中に浸していた白い布を手にした。中に溜められていた液体はどうやらただの水ではないらしい。布と水面が糸を引く。どうやら、それなりに粘度の高い液体のようだった。 「可愛くないケイを可愛くする遊びをしようか」  アレクが布を広げて圭の性器の先端へと付けた。ヒヤリとした感触に思わずフルリと身を震わす。 「ああああああ!!!」  アレクが布の両端を持ち、擦り出した。摩擦によって敏感な亀頭が悲鳴を上げる。 「どめで……どめ、でぇぇぇぇぇえ!!!!!」  過ぎる快感に涙が迸った。両脚をバタつかせていると、邪魔だとでもいうようにアレクが圭の脚を開いて両肩へと担ぐ。そして再び性器への刺激を再開させた。 「あああああああ!!!!!」  気持ち良すぎて苦しい。止めようと性器へと手を伸ばした。 「ケイ」  低い声。ピタリと体が止まる。ガタガタと身を震わせながら、伸ばした手を引っ込めてシーツを掴んだ。 「ひっ、うぁっ、あああっ!」  ゴシゴシと擦られる亀頭は限界なんて一瞬で超えていた。限界の更に向こう側、行ってはいけない場所に意識が持っていかれそうで、引き留めるのに必死だった。 「ははっ、聞いてはいたが、酷い乱れぶりだ」  至極楽しそうにアレクが笑う。ただの悪魔にしか見えなかった。プシャリプシャリと潮を噴く。それでも止まらない刺激で快感に塗れた死が脳裏をよぎった。 「お、ねが……もう、もうどめ、でよぉぉぉぉ」 「どうしてケイは俺の言うことを聞かないのに、俺はケイの言うことを聞く必要がある?」 「あああああああ!!!!」  亀頭から来る刺激で全身が快楽漬けになっていた。体の奥は剛直での悦楽を望んで催促する。ピンと脚が伸びる。体がガクガクと震えて痙攣を起こしていた。 「ちんぽ! ちんぽ入れて!! もう、ちんちん、やらぁ!!」  これ以上やられたら性器が壊れてしまう。どうにかしてこの淫行をやめさせねばならなかった。 「中、いっぱい擦ってよぉ! アレクのちんぽで俺のまんこ、苛めてよぉ!」 「まったく、恥じらいというものはないのか。入れろだの何だのと。ここには雄の象徴を生やしながら、ケイには男としての矜持はないのか」  ブンブンと首を横に振った。もうそんな物どうだって良い。過ぎる刺激で性器を壊されてしまうことに比べれば些細なことだ。 「まんこ、欲しいよぉ! まんこして、あれくぅ!」 「我慢のできない淫乱だ」  嬉しそうに言いながら性器を擦る布を止めてくれた。擦られ過ぎた亀頭がヒリヒリと痛い。その余韻ですらドロリと鈴口から僅かながらの精液が零れ出た。  アレクの滾った性器の先端が後孔へと押し当てられた。ホッとする。もう、これで性器を苛めぬかれることはないだろうという安堵感に包まれる。 「んっ」  ぬぽりと音をさせ、後孔は簡単に剛直を咥え込んだ。朝からずっと淫具でトロトロに溶かされていたため、拒絶などという反応は微塵もない。  むしろ、やっと深々と奥を満たしてくれる存在の登場に歓喜していた。 「柔らかいな。まあ、毎日これだけ貪っていれば当然か。ケイ、知っているか? ケイのココは、もう初めて抱いた頃のような慎ましさなんて忘れてしまっているぞ」 「んんっ」  剛直を奥まで深々と咥え込み、大きく口を開いた括約筋の縁を撫でられた。アレクから顔を背け、心の痛みに顔を歪ませる。  一昨日、手鏡で無理やり見せられた後孔を思い出して胸が苦しくなった。肛門とは本来、中心に向かって窄まっているのが普通だ。それなのに、圭のアナルは縦方向に割れてしまっていた。肛門での性交を繰り返すと自然に形が変わるらしい。その淫らな姿を見た時、悲しくて涙が出た。  愛されて変わったのなら仕方がない。多分、ある程度はこの監禁生活を送る前からなってはいたのだろう。それが肛門への非道な仕打ちの数々によって更に悪化したにすぎない。  きっと以前のアレクなら知っていても言わなかった。今は圭のことを辱めるための言葉ばかりを投げつけ、傷つける。  圭の体には胸元のピアスと右腰の上の焼き印が付けられている。前者はまだ愛の塊と思えたが、後者に関してはただの烙印だ。圭が罪人であり、罪を忘れないために記されたもの。  家紋と共に記されたシルヴァリア帝国の文字による「奴隷」という単語。日本人から見れば見慣れぬ記号の羅列だが、この世界の人が見れば一発で圭が置かれている立場を理解する。  アレクによって作り替えられた淫らな体。もう、二度と元になんて戻れないと言われているようで見る度に悲しくなった。 「んっ、んんっ、んっ」  ズッズッと奥を穿たれる。注挿で体が揺れる。 「ちょっと苦しいこともしてみるか」  抜き差しはそのままにアレクが怖いことを言ってきた。フルフルと首を横に振る。もう十分すぎる程に怖い思いならした。今日、これ以上は絶対に無理だ。  圭と繋がったままアレクはベッドサイドの低いテーブルの引き出しを開ける。中にはゴロゴロと巨大な梁型が転がっていた。 「さすがに俺と同じ大きさだとケイが壊れてしまうから、これくらいにしておくか」  比較的に他と比べたら細身のディルドを取り出す。何をする気か分からず、ただ震えるばかりだった。 「一度やってみたかったんだ。二輪挿しというのだろう? いつもケイのココは俺のでいっぱいだから無理かとも思っていたんだが、一度くらい試してみるのも良いだろう?」  無機質な棒がアレクを咥え込んだままの後孔へと押し当てられた。 「無理……アクレ、絶対無理だよ」 「それを決めるのはケイじゃない。俺だ」 「うっぐぅ……!」  剛直を飲み込んだ後孔の中に肉棒を模した硬いオモチャが挿入り込んできた。あまりの苦しさにアレクの背へと腕を伸ばし、その肌へと爪を立てる。 「う、がぁっ!」  無理矢理ねじ込まれる性具。寝室の中に鉄の匂いがし始めた。 「ああ、切れてしまったか。いけるかと思ったんだが、さすがのケイでも二本はキツかったか。巷では咥えられる女郎もいると聞いていたからケイならいけるかと思ったが。……まあ、安心して良い。傷なら俺がいくらでも治してやる。だが、どうせ今治してもまたすぐに切れてしまうから、終わるまでは我慢しろ」 「うぁっ! ぁっ、ああっ!」  オモチャを奥深くまで強引にねじ込んだ後、アレクが腰を振り始めた。  圭の頭の中が真っ赤に染まる。痛みと快感に苛まれ、虫の息だった。 「せっかくだ。こっちにも挿れてみるか」 「ひっ!」  すっかり萎えた性器を握られて体が竦んだ。尿道を犯された棒を思い出してガタガタと全身が震える。アレクはその震えすらも「気持ちが良い」と言いながら目をそばめていた。  長い長い夜の淫らで常軌を逸した行為。空が白み始める頃まで続き、ひっきりなしに圭の啼く声が響いていた。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「マリア!!」  久しぶりに会えた愛しい人。その姿を認識した瞬間、抱き付いていた。 『今日は随分と情熱的だな』  揶揄するような言葉だったが、それすらも嬉しくギュッと抱き締める。 『ケイ?』  訝しむような声がする。その声が体に染み入ってきて涙腺が緩んだ。  一度緩んでしまえば、戻すことは容易でない。溢れた涙がマリアの豊満な胸元を濡らした。 「まりあ……まりあぁ……俺、もう嫌だよ……。帰りたい。家に、帰りたいよぉ!!」  ワンワンと号泣しながら叫んだ。マリアの細く長い指が圭の髪を梳く。 『そんなにかい?』  コクコクと何度も首肯を繰り返した。  心も体もボロボロだった。自分の中の限界なんてとっくの昔に超えている。それでも何とか自分を鼓舞し、時に騙しながら過ごしてきた。  それがアレクや関係する者以外と会ったことで決壊してしまった。 「家に帰りたいって、そんなにダメなことかよ! 知らない内にここにいて、友達にも家族にも会えなくて! 外だってほとんど出してもらえねーし、ただ毎日セックスばっかさせられて……そんなの、もう無理だよ!!」  立っていられなくなり、その場にへたり込んだ。もう立ち上がれる気がしなかった。そもそも、気力自体が残っていない。前すら向けなかった。俯いたまま、見えるのは美しく編まれた絨毯の模様。それも涙で滲んでいた。 「大っ嫌いだ! アレクなんて! もう二度と会いたくない!!」  腹の底から叫んだ。こんな間近で大声を出されてマリアも嫌だっただろう。しかし、そんなこと慮る余裕など圭には一切残っていなかった。  マリアは膝をつき、圭を抱きすくめた。 『ケイ……もう、無理かい?』  ゆっくりと大きく頷いた。何度も思ってきた。これ以上は「安達圭」という存在が壊れてしまう。……いや、もう壊れかけていた。 『そうか……ダメか……』  落胆した声。圭の想像以上に沈んだ声音に、頭を起こしかけた。  スッとマリアの手が圭の目の上に添えられる。 『おやすみ、ケイ。もう、苦しみも悲しみも……きっとないから』  意識が遠のき始める。浮遊感に身を委ね、瞼を閉じた。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  目を覚ました時、見上げた先にあったのは明かりの灯っていない蛍光灯だった。  何度か緩慢な動作で瞬きを繰り返す。そして、ハッと目をかっ開いた。  見慣れてしまった天蓋ではない。それに、こんな現代的な蛍光灯、あの世界にあるはずがない。  窓の方へと顔を向ける。カーテンの隙間から見える外には、文化祭の準備をする生徒たちの姿。上半身を起こして窓へと飛びついた。見慣れた制服。楽しそうな笑顔。 「戻って……来た?」  ベッドの下にあった自分の名前が書かれた上履きを乱雑に履く。踵を潰しながらベッドの周りを囲んでいたカーテンを開いた。 「おっ、目ぇ覚めたかい? 全く、悪運の強い子だね~。頭とか、痛い所ないか?」  白衣を纏い、今日も気だるげな保健医が椅子に座ったまま圭の方へと振り返った。その姿を見た瞬間、ヘナヘナと脚から力が抜ける。 「え、ちょ、やば、やっぱどっか打ってたか? おい、大丈夫か!?」  近寄ってきた保健医からは、あの世界では嗅いだことのない消毒液の匂いがした。
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