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第6章:別れ編 第4話
週明けの月曜日。放課後、圭たちは他校の女子たちと共にカラオケへとやって来た。圭が元気のないことを気にして、クラスメイトが企画してくれた合コンだった。
あまり乗り気ではなかったが、みんなが気を遣ってくれているのも何となく気付いていたため、断りにくかった。それに、圭を口実にして合コンをしたいという彼女いない歴イコール年齢の男子高校生の素直な欲求も分かっている。
「ねぇ、圭君は何入れる?」
隣に座る女子がデンモクを圭へと見せてきた。2人で1台の電子目次本を見ながら最新ヒット曲のページを検索する。
「真由美ちゃん、圭、結構な音痴だから覚悟した方が良いぜ?」
「なにおう!? 聞けない程じゃねーだろ!?」
「我慢ができる程度のジャイアン」
女子たちが一斉に笑う。ムキになって流行りの曲を入れて歌ってみたが、笑われるばかりだった。ムスリと頬を膨らませてマイクを友人へと手渡した。
「それじゃあ、盛り上がってきたところで、恒例! 王様ゲームタイム~!!」
全員が2曲ずつ歌ったところで、クラスメイトの1人が用意してきたのであろう割り箸を取り出した。全員が1本ずつ引き、王様を決める。
「あたし王様~! じゃあ、3番と5番がチューするー」
圭の向かいに座っていた女子が手を上げて立ち上がった。圭は手元の割り箸の番号を見る。見事に数字の3が記されていた。
「俺、3番」
「え、私5番」
隣に座っていた女子が割り箸を圭へと見せてきた。
「うお~! 圭良いなぁ!」
「俺も真由美ちゃんとチューしてぇ~!」
やんややんやと外野が盛り立ててくる。圭は割り箸片手に戸惑っていた。
「え、こんな感じでチューとかして大丈夫?」
「えーっと、まあ、ここでやらないとノリ悪いし? 私、別にキスは初めてじゃないから良いよ」
少し赤面しながら言われてしまえば断る理由がなくなってしまう。その場にいる全員が「チューゥ、チューゥ」と手を叩きながら囃し立てる。こうなってくると、さすがにしないという選択肢は残されていない。高校生にとって、その場のノリは重要だ。
真由美の両肩を掴み、顔を近づける。チュッと軽く唇が触れるだけのキス。すぐに顔を離した。
小さくて柔らかい唇にドキドキが止まらない。コロンの甘い香りが鼻の奥に残っていた。
王様ゲームは何ターンか続き、時間がきたからと会はお開きになった。
会計をして店の外に出ると、すっかり暗くなってしまっている。一応、少し遅くなる旨はあらかじめ伝えてあるため怒られるということはないだろうが、早く帰るに越したことはない。
「圭君、あのさ、連絡先交換しない?」
隣に座っていた女子が別れ際に話しかけてきた。ゲームでキスをした女の子だ。
「えっと……ごめん。俺、好きな子いるから……」
「えー、なーんだ。結構好みのタイプだったから残念」
少し唇を尖らせるも、真由美はすぐに他の女子たちの所へと行ってしまった。
別に意中の女子などはいないが、こう言えば体良く断れることを知っていた。圭が1人になったところを見計らい、クラスメイトたちが圭の隣を陣取った。
「えー、真由美ちゃん超可愛かったじゃん」
「うん……まあ、可愛いとは思う」
「なんだその煮え切らねー答え! ……え? もしかして、圭、本当に好きな子いんの?」
両側から顔を覗き込まれ、返答に詰まった。
「……どうだろ。いる、かもしれないし、いないかもしんない」
「はぁ? 何だよそれ」
「……俺も分かんない」
圭の心中は複雑だった。
本当に分からないのだ。自分の気持ちが。
毎日、モヤモヤしたものを抱えて過ごしている。
でも、その心のモヤモヤを解決する術を持ち合わせていない。
友人たちと歩きながら話していると、人混みの中から声をかけられた。
「あれ? もしかして、圭子ちゃ……」
「のわーーーーーーーーー!!!!!!」
友人たちを振り払い、目の前の人物の腕を掴む。そして、その場から全速力で駆け出した。
ある程度人気のない場所まで辿り着き、背後を振り返る。
相当走ったというのに男性は息一つ切らしていなかった。
「圭子ちゃんだよね? 何で学ラン着てんの?」
彼にとっては当然の疑問であろう。しかし今の格好が圭にとっては当たり前なのだ。
「内緒にしてください!!」
ほぼ90度の角度になるお辞儀を相手へとした。心臓がバクバクと跳ねる。全力疾走が原因というだけではない。
「えーっと……、圭子ちゃんって、もしかして男の娘ってやつなのかな?」
返答に窮する。そんな趣味はない。しかし、それでは一昨日の格好の説明をしなければならない。それはもっと困る。言えるはずがない。
僅かな逡巡の後、コクリと小さく頷いた。相手が体の良い勘違いをしてくれているのだ。それに便乗した方が無難だろう。
「そっかぁ。男の娘かぁ」
しみじみとした声で何度も淳一は頷いていた。一方の圭はと言えば、心臓が破裂しそうに痛い。この後の展開が恐ろしかった。
「……うん、全然イける!」
淳一がカッと大きく目を見開いた。圭の手を握る。大きな掌は力強く少し痛かった。圭は僅かに顔を顰める。
「俺やっぱり圭子ちゃんのこと好きだ! 圭子ちゃんが男でも全っ然問題ない!!」
「ええええ……」
「圭子ちゃん! 改めて、俺と付き合ってください!!」
真剣な眼差しでズイと体を寄せられて後ずさる。今まで一度たりとも男性を恋愛相手という目で見たことはない。どんなに淳一がイケメンだろうと全くその気にはなれなかった。
「でも俺、男の人が好きって訳じゃ……」
「……俺も、こんなことは言いたくないんだけどさ、その制服、多分、立川第一だよね?」
ギクリと心臓が跳ねた。どこにでもある学ランだが、この付近で学ランを制服として採用しているのは確かに立川第一高校のみである。
「俺がその学校の子に圭子ちゃんの趣味のこと言っちゃったら、学校生活しづらくならない?」
背中を冷や汗が流れ落ちていった。淳一の顔は真剣だ。嘘偽りではないと分かる。
文化祭ではクラスメイトたちに無理やり着せられたと言えばそんなものだと思われるだろう。
しかし、新宿の一件に関しては違う。誰に強制された訳でもなく、自分の意思で姉の服を着た。これはもう言い訳なんて通用しないし、ごまかしようがない。
「……何が目的ですか?」
「圭子ちゃんが俺と付き合ってくれること」
淳一がにっこりと満面の笑みを浮かべた。悪意のない顔。圭を嵌めようとしている訳ではないと悟る。
「……分かりました。お付き合いします」
長い沈黙の後、渋々ながら承諾した。自分が思っていたよりも重苦しく、落ち込んだ声が出ていて、それに少し驚いた。
「ありがとう! 圭子ちゃんのこと、俺すっげー大切にするから!!」
腕を引いて引き寄せられる。淳一の胸の中にすっぽり収まった。ゾクゾクと背筋を悪寒が走り抜ける。
「あ、あの、ここ、外……」
「大丈夫だよ。誰もいない。それ分かってて圭子ちゃんも俺のことココまで連れて来たんでしょ?」
グゥの音も出ない。その通りだ。そうでなければこんな話できるはずもない。
「嬉しい。一緒に幸せになろうね」
抱き締めてくる腕の力が強い。目の前の男ではない人物を思い出し、下唇を噛んだ。
香りも、体型も、声も。何もかもが違う。見たくなくて目を瞑る。瞼の裏に浮かんだ人物に胸が高鳴った。
腕の力が弱まり、顎を掬われた。淳一の顔が近づいてくる。咄嗟に顔を背けた。
「圭子ちゃん?」
「お付き合いするって決めて、それですぐって、さすがに早いかなって……」
「えー!? 全っっっっっ然早くなんかないよ! 今時、付き合ってすぐHしちゃうなんてのも当たり前なのに」
「でも、そういうの、俺にはまだ早いっていうか……」
「圭子ちゃんって結構身持ち硬いタイプなんだね。でも、そういうのも純情な感じで俺の好み。じゃあ、Hはもっと仲良くなってからにしよっか」
クシャリと髪を撫でられる。苦笑する淳一を見つめながらコクリと小さく頷いた。
「俺も頑張って我慢するけど、代わりにちょっとだけご褒美欲しいな」
「ご褒美って?」
「コレ」
下唇を淳一の右手の親指で左右に行き来される。やはりゾワリと背筋が騒いだ。
「ね、キスだけ。付き合った記念にさ。代わりにこっちは圭子ちゃんが良いよって言ってくれるまで我慢するから」
「ひゃっ!」
淳一の左手が圭の尻を鷲掴んだ。そのまま卑猥な手付きで動かされて思わず淳一の胸を押す。
「わ、分かりました! キスだけ! しましょう!」
「じゃあ、圭子ちゃんの方からしてくれる?」
淳一はパッと両手を離した。不快な行為から解放されてホッと胸を撫で下ろす。
ワクワクした目をしながら見つめられている。自分から提案した手前、これ以上断ることなんてできない。
カラオケ店ではゲームでした程度のことだ。なんてことはない。向こうの世界では、毎日していたことではないか。
「目、瞑ってください」
圭の声に淳一が瞳を閉じた。アレク程ではないが、淳一とも20センチ以上身長差がある。淳一の両頬を両手で包んだ。引き寄せるように力を入れる。相手も察したのだろう、圭へと身を屈めてきた。
少し踵を上げ、唇同士を触れさせる。少しカサついた唇。真由美ともアレクとも違う感触に圭は眉根を寄せた。
「触れるだけなんてウブくて可愛い」
ギュッと再び抱き込まれた。喜々とした声で淳一はその後も圭を賛辞する言葉を連ねていたが、全くと言って良いほど頭に入ってこなかった。
胸の中に穴が開いたようだった。その穴から大切にしていた全てが零れ落ち、空っぽになってしまった。ガランとした空洞に、穴からヒューヒューと冷たい空気が入り込む。胸が寒くて仕方がない。こんなに強く抱き込まれているというのに。凍えて凍傷になりそうだ。
「圭子ちゃんの本当の名前、教えてくれるよね? もちろん付き合ってるんだから連絡先も」
淳一の胸の中で頷いた。
もう、どうだって良かった。どうせ自分の中には何もない。失うものなんてないのだから、どうなろうが知ったこっちゃない。
体はカラカラに乾いているはずなのに、なぜか目の奥だけが潤んでいた。
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「んっ……うっ、んんっ!」
ズボズボと後孔にバイブを突きさす。モーター音で家族にバレるのを心配してスイッチは入れなかった。
自分の中にある異物感。シリコン製の滑らかなオモチャが直腸の襞を擦る。
太さや長さは何度も貫かれた怒張に酷似しているが、そこに熱さや浮き出した脈などがない。無機物であるということを圭に知らしめてくる。
「ふっ……ぅっ……」
できうる限り声を落とす。枕を噛んで押し殺した。布団を被っているため漏れることはないだろうが、後孔からは注挿する度に水音も聞こえてくる。
自分で動かさなければただ圧迫感に苦しいだけ。虚しさでいっぱいだった。
結腸に擦り付ける。バイブは店にあったサイズの中で最も大きなものを買ってきたため、結腸の奥まで挿入することができる。抜き方だって散々教えてもらった。彼の長大な性器を全て受け入れるためには結腸の奥まで飲み込まなければならなかったから。
しかし、一人遊びでそんなことをする気にはなれなかった。
もっと奥にある甘美な快楽を体は知っているというのに。欲しいのに、自分ではできない。勇気が出ないのだ。
「アレク……アレク……」
一昨日、彼の名前を呼んでしまってから、自分の中のタガが外れたようだ。その名を口にするだけで直腸が疼いてバイブを締め付ける。
(違う……こんなんじゃ足りない……)
ポロポロと涙が零れる。彼に逢ってから随分と涙脆くなって困る。
あんなに帰って来たかったのに。その願いが叶ったというのに。
考えるのは彼のことばかり。この先が不安になるくらい。
前立腺をバイブの先端で押し、屹立した陰茎を擦り上げた。
「んっ」
鈴口から白濁が飛び出した。イった余韻を感じながら息を整える。
何にも残っていない空虚な胸の中に寒風が吹きすさんでいるような気がしていた。この空しい行為に後悔しか生じない。
(何やってんだろ……俺……)
頭の先まで布団の中に潜り込む。今までだって自慰行為くらいは行ってきた。ただの処理なのだから、終わった後にこんな虚しさを感じたことなんてない。
後孔の奥が寂しく喚く。もっと熱のある物で奥を突かれたい。柔肉を穿ち、熱い飛沫を浴びたい。
そして終わった後、抱き締められてキスをしたい。
そのどれも味わえない現状に体がガッカリしていた。
誰でも良いから寝れば、この気持ちは埋められるだろうか。すぐにフルフルと頭を横に振った。今日、別れ際にされた気持ちの悪いキスを思い出したから。ブルリと身を震わせる。
既に気付いていた。この侘しさを埋めてくれるのがたった一人しかいないことを。
そして、それはきっともう二度と逢えないことも。
何だかドッと疲れが出てきた。射精による疲労も少しはあるが、それ以外の方が大きい。
考えることを放棄する。どうせ考えたところで全て無駄なのだから。
(アレク……)
脳裏に浮かんだ顔は彼が優しかった頃の笑顔。
全て間違って台無しにした自分を責めているような気がして苦しかった。
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