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第6章:別れ編 第5話
「うわっ……」
起床してスマホを確認した瞬間、ドン引いた。
ラインの未読メッセージの数は50近い。そのほとんどが同一人物によるものである。
昨夜、一人遊びに興じる直前まであれ程やり取りをしたというのに。最後はきちんと「もう寝ます」と打ってから通知を切った。
それなのに、どうして返信を返してくれないのかという催促や結果的に不在着信となった着信の数に恐ろしさすら感じる。
とりあえず起床の挨拶と、返信できなかったことへの謝罪を打った。すると、ものの数秒で返信が来て驚く。
「……これ、もしかして毎朝続くのか?」
ポンッポンッと増えていくメッセージ。圭を可愛いと讃える言葉や、今日の予定などを聞いてくる。
正直、朝からスマホに時間を取られるのは苦手だった。そこまで朝早く起きている訳でもないため、準備に支障が出る。
手短に返してスマホの電源を切った。これ以上時間を浪費して遅刻する訳にはいかない。
既に階下からは母が朝食を催促する声が聞こえてきている。圭は急いでパジャマを脱いで制服へと着替えた。
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『ねぇ、圭ちゃん、どうして返信くれなかったの!?』
「すみません、授業中だったんで……」
『でもさぁ、休み時間とかに返信できるでしょ?』
責めてくる口調で言い募られて辟易する。
学校へ向かう直前に電源を入れ直すと、やはり大量のメッセージが送付されていた。中身を確認する時間すら惜しく、昼休みまで放っておいたのだ。メッセージの時間を見ると、授業中でもお構いなしに送られていた。
「移動教室とか体育の着替えとかもあったんで、見られませんでした」
『も~! 俺、心配になっちゃうじゃん! 圭ちゃん可愛いんだから、ちゃんとそういうの自覚して行動して! 彼氏に心配かけるの良くないよ!』
「……ごめんなさい」
一方的にまくしたてられるように怒られて萎縮する。
移動教室は違う校舎まで向かわねばならないし、体育の着替えは教室でできない。他の男子は教室内で着替えているが、圭は上半身を衆目に晒すことができないから、トイレの個室で一人着替えていた。そのため、他の男子よりも時間がかかる。
自分のことばかりで人の言うことを聞いてくれない相手に嫌気がさした。ここで「別れたい」と言えればどんなに楽だろうか。
しかし、圭にその権限は持ち合わせていない。
『ちゃんと反省してる?』
「うん」
『じゃあ、後で圭ちゃんの写真送ってね。それで今日は許してあげる』
「それはちょっと……」
『えー!? 圭ちゃん、ちょっと我が儘すぎじゃね?』
さすがにこれにはカチンときた。文句の一つも言ってやろうと口を開きかけるも、グッと喉奥で押し留める。圧倒的に立場が弱いのは圭の方なのだ。相手の機嫌を損ねて秘密をバラされても困る。
「……ごめん、なさい」
『なーんか謝ったら何でも許されると思われてるみたいで嫌だけど、これも惚れた弱みだし特別に許してあげる。優しい彼氏にちゃんと感謝してよね?』
「はい……」
平常心と何度も心の中で自分に言い聞かせた。もう何度自分へと暗示のように唱え続けたか分からない。最初はイライラするばかりだったが、もう今は心が疲弊するのを感じていた。どうせ何も残っていない胸の内にストレスばかりが募っていく。
『ね、じゃあさ、好きって言ってよ。今』
「……好きです」
『えー、もっと感情込めて!』
「淳一のことが、好き」
『あ~! もう、俺も大好き!! 圭ちゃん可愛いなぁ!』
電話口でテンションを上げられて思わず耳からスマホを離してしまった。いつまで相手をしなければならないのだろうか。まだ弁当も食べていない。あまりにも勝手すぎる相手にウンザリしていた。
『あ、そうだ。今週末どこ行こっか』
「え? 今週末?」
『ラインに書いたじゃん! 遊びに行こうって』
そういえば、そんなことが書かれていたような気もする。あまりにも大量にメッセージを送られてきていたため、すっかり忘れてしまっていた。
『……まさか忘れてないよね?』
「もちろん覚えてる! 当たり前じゃん! は、初デートなんだから!」
『そうだよね~。初デートかぁ……うわっ、圭ちゃんに言われると何かすっげードキドキする!』
苦笑するも、顔面ではドン引きだ。顔が見えなくて良かった。
『どこ行きたい? 何したい?』
「えーっと、え、映画! 映画観に行きたいです!」
『映画ね~、OK! 何か見たいのあるの?』
「淳一のオススメが観たいな。ほら、お互いの好きなものとか知っていきたいし、まずは淳一のオススメから知りたいなって」
『あ~、も~、圭ちゃん可愛すぎか~! 大ちゅき~!!』
スマホの向こうからリップ音が聞こえてきた。気持ちが悪くなって軽く吐き気がする。弁当を食べる気が一気に失せた。
映画を選んだのは、話す時間を極力少なくするためだった。咄嗟に浮かんだものの名案だと思う。
「あと、ちょっと離れた場所が良いかなって。誰かに見られたら恥ずかしいし」
『え~、圭ちゃん、俺と一緒にいるの見られるの、嫌なの?』
「ち、違うよ! ほら、手とか繋いでるの見られるの、何か友達とかだと恥ずかしくて。淳一と一緒にいるのを見られるのが嫌とかじゃないよ?」
『そっか~。そーだよね、デートだもんね。分かった。じゃ、ちょっと離れた場所の映画館探しとくね』
喜々とした声になり、ホッとした。
思わずアレクとの生誕祭でのことを思い出して手を繋ぐことを提案してしまった。今思えば、別にあのお忍びで出かけたこともデートという訳ではなかったのに。
胸がキュウと切なく痛んだ。あの日のことは忘れられない。あまりにも楽しすぎたから。
少し遠い場所をお願いしたのも、友人たちと遭遇するという危険性もあるが、それだけではない。遠ければ遠いほど移動にも時間がかかる。そうすれば一緒にいる時間は少なくて済むだろうという算段だ。
『じゃあ車で迎えに行くから、後で時間とかまた送っとくね』
「え?」
『やば、そろそろ俺、授業始まりそう。ごめんね圭ちゃん。愛してるよ』
チュッと音がした後、通話が切れた。「通話終了」と書かれたスマホを握りながら放心する。
(うわ、やっちまった……!)
その場にへたり込んだ。確実に失敗した。これで、道中共にすることが確定ではないか。移動時間までずっと一緒にいることになった上、車内という密室に二人きりだ。何をされるか分からないだけでなく、ずっと警戒しなければならないため、大いに気を遣う。
(やっばぁ……い、行きたくね~!!)
ウンザリしていると、予鈴が聞こえてきた。
「え、ちょ、やば、弁当食ってね~!!」
ガッカリしながら教室へと向けて走り出した。誰もいない場所を求めて特別棟の端まで来ていたため、地味に遠い。
(あ~! それもこれも! 全部アレクのせいだ! 弁当食べれないのも、よく分かんねー外出で一日潰されるのも! 全部アレクのせい!! アレクの馬鹿野郎!!)
イライラをここにいない相手へとぶつける。八つ当たりだと分かっているが、誰かのせいにしないと物などに当たってしまいそうで怖かった。
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あっという間に週末を迎えた。その間も嫌になるくらいのメッセージや電話攻撃の数々。一昨日には、どうしても会いたいと言って聞かず、自宅にまで押しかけてきそうになるのを何とか宥めすかして止めた。あの時は本当に気が気でなかった。
自宅前まで迎えに行くと言って聞かないのを言いくるめるのにも苦労した。自宅に来られたら、淳一のことだから少し早く来て家の中で待つなどと言い出しかねない。そうしたら家族に何と説明して良いか分からないし、あることないこと吹き込まれても困る。
「デートの待ち合わせ気分を味わいたい」などと適当な理由をつけて何とか諫めた。
少し分かってきたが、淳一は圭が「好きだから●●したい」などということに弱い気がする。好意があることを匂わせることで自分の思う方向へと向けさせる。はなはだ面倒くさいことではあるが、それが自衛に繋がるのだから仕方がない。
少しずつ「好き」という言葉に抵抗がなくなってきた。そう言っておけば、淳一は満足してくれる。その言葉に何の意味がないとしても。
立川駅から少し離れた場所を待ち合わせ場所として指定した。自宅からも離れているため、特定されづらいだろうという期待も込めて。
「……圭ちゃん、その格好、何?」
「格好? え? 何かおかしいですか?」
普段の外出着を着てきたにすぎない。少し大きめの淡いブルーのカーディガンも白いシャツもベージュのスリムパンツも、どれも自分ではおかしなところがあるとは思わなかった。
むしろ、文句をつけられないように少し気を遣ったくらいだ。あのファッションにはうるさい姉でさえ、朝会った時に「悪くない」と言ってくれたくらいだ。あの厳しい姉がそう言うのだから合格点は間違いないはずだった。
「男の娘だから期待してたのに」
「あっ……」
淳一に口から出まかせで言ってしまった言葉を思い出して顔から血の気が失せる。
すっかり忘れていた。その設定があったからこそ姉の服を着ていてもおかしくなかったのだ。ここであの日のことを蒸し返されて問い詰められても困る。
「えっと、俺、あんまり女の子の服、持ってなくて。バイトとかもしてないし、お小遣いも少ないから、あんまり買えないっていうか、あれも実は一張羅で……」
しどろもどろになりながらそれらしい理由を並べ立ててみる。心臓はバクバクとうるさい。バレるのではないかと気が気でなかった。
「そっか……。そんなことも知らないで責めちゃってごめんね」
淳一が眉尻を下げて申し訳なさそうな顔をする。こんな嘘を信じてくれるとは思ってもおらず、逆に圭の方が慌ててしまう。
「あの、そんな謝らないで……」
「でも! 大丈夫! そんなこともあろうかと、俺、用意しておいたから!!」
「え?」
一気に淳一の顔が輝いた。車の後部座席から大きな紙袋を取り出して圭に手渡す。
「車の後部座席使って良いから着てみて」
「い、今ですか!?」
「当たり前じゃん。今着なくていつ着るの!」
某有名予備校講師のお決まりのポーズを取りながら迫られ、思わずコクコクと首肯してしまった。
「あの……着替えてるとこ、絶対見ないでくださいね? 絶対ですよ?」
「分かってるって」
渡された紙袋を抱きながら後部座席の扉に手をかける。何度も念を押すと、淳一は満面の笑みのまま車に背を向けた。自分のセリフがまるで鶴の恩返しのようだと苦笑しながら車へと乗り込んだ。
「うわぁ……」
紙袋の中を取り出して圭は顔を盛大に歪めた。中に入っていたのはワンピースだった。フリルをふんだんにあしらった白い襟元。そして、首元には大きな黒いリボン。バーバリーチェックのワンピースはスカートの裾にも同色のフリルが施されている。
紙袋の中には服に合わせたこげ茶色のショートブーツまで入っていた。サイズは圭の足にドンピシャの24.0。
(え、何で知ってんの? 体型から換算……とかだよね?)
苦笑しながらショートブーツを箱から出した。よく見ると、箱にはプラダのロゴが書かれている。未使用の靴にドン引いた。
(待って!? 今日、俺が女装して来てたら、これどうするつもりだったんだ!?)
顔面が蒼白になる。服と靴を合わせて一体いくらになるのだろうか。ブランド物に疎い圭には金額なんて想像もつかない。ただ、相当高価であることだけは確かだ。
それに、この車だってBMWである。まだ新しい車の匂いがする。きっと最近購入したのだろう。
外車が高いことくらいは知っている。特に円安の今、相当値が張ったはずだ。金銭感覚の違いに冷や汗が止まらない。
「圭ちゃん、まだ~?」
「す、すいません! すぐ着替えます!」
車の中から淳一を見た。きちんと車に背を向けてくれている。どうやらちゃんと約束は守ってくれるようだ。
急いでワンピースに袖を通す。嫌がっている時間などない。
「お待たせしました」
着ていた服をワンピースの入っていた紙袋の中へと押し込み、後部座席から慌てて出た。
圭を見た瞬間、淳一が両手で顔を覆ってその場に座り込む。そんなに似合っていなかっただろうか。あまりの醜悪さに不快にさせてしまったなら申し訳ない。
「あの、そんなに似合ってませんか?」
「………………かっわいいに決まってんだろうがァ!!」
「ひっ!」
鬼の形相で立ち上がった淳一に両肩を掴まれる。萎縮していると、聞いてもいないのにベラベラとワンピースの特徴やこだわりなどについて話し出した。赤面しながら熱弁する淳一に内心でウンザリしていた。
まだデートは始まってすらいない。今からこれでは先が思いやられる。
「と、いう訳で、最高です! ありがとうございます!!」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます……」
ハハハと半眼で苦笑しながらやんわりと肩を握る手を離してもらった。地味に痛い。もしかしたら手形が痕になっていないか心配するくらいに。
「じゃあ行こうか、俺のお姫様」
助手席のドアを開けてもらい、お辞儀をしながら乗り込んだ。
これから始まる悪夢のデートに向けて大いに気を落としながら。
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