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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第2章:クルーズ編 第1話
パチリと目を覚ました時、圭はベッドに寝かされていた。キョロキョロと首だけで辺りを見回せば、隣にはまだ寝ているアレクの端正な顔がある。そして、その奥に見える窓から差し込んでくる朝日。
ガバリと起き上がり、窓辺へと駆け寄った。バルコニーに出る。
「うっわぁ」
朝日に輝く海と、既に活気づいている港。空には数多の海鳥が飛び回り、港町の朝に圭は目を輝かせた。
「今日も早いな」
「おはよう! アレク!」
背後に立っていたアレクへと笑顔を向ければ、チュッと頬に口づけられる。
「朝の港も綺麗だね!」
「ああ。帝都とはまた違った良さがあるだろう?」
「うん!」
バルコニーの手すりに肘を乗せ、頬杖をついた。いまだ嗅ぎ慣れない潮風の匂いが旅の良いスパイスになっている。ボオォと音を立てながら出港していく大きな船。高台のここまで聞こえてくるのだから、港ではもっと迫力があるのだろう。
「ねえねえ、やっぱり市場とかも朝は賑わうの?」
「そうだな。活気があって良いぞ?」
「そっかー。そういうのは俺の世界とも変わらないんだな」
わしゃわしゃと髪を撫でられる。肩に手を回され、部屋の中へと誘われる。
「そろそろ朝食が用意される頃だろう。身支度をして向かおう」
「うん!」
顔を洗い、派手についていた寝癖を整える。今日の服も動きやすい格好だった。肩ひじ張らなくて良いのは楽で助かる。この格好なら、今日もまたいろいろとどこかへ連れて行ってもらえるのだろうかと期待に胸が膨らんだ。
昨夜と同様に領主夫妻と共に朝食を摂り、礼を言って城を後にした。荷物は全て行く先々に用意されているようだ。手ぶらで移動できる楽さはありがたい。
「今日はどこ行くの?」
「それはまだ秘密だ」
馬車の中で問うも、アレクはフフッと笑うばかりだ。次が分かっている旅も楽しいが、何が起こるか分からないのもワクワクする。
アレクのことだから、綿密に計画を練ってくれているのだろう。そう思えば、その旅程を全て全力で楽しみたいと思えてくる。
港で馬車を降り、朝の活気ある市場を少しだけ見学させてもらった。前日よりもたくさんの魚が並んでいる。店主と交渉する客たちの姿も多く、大いに賑わっていた。
「なんか、見てるだけでこういうのってウキウキするよなー」
アレクと手を繋ぎながらキョロキョロと市場を見回していた。今日も変装しているため、周囲からジロジロ見られることはない。強いて言えば、後ろをひっそりとついてきている護衛の視線くらいだ。これは昨日からのことだから少しだけ慣れた。べったりと周囲を囲まれている訳ではないので、まだ気が楽だ。
市場を一周して、外に出ると日差しが更に強くなっていた。今日も好天が続きそうだ。それだけでも嬉しくなる。
「そろそろ行こう。出港の時間が近づいている」
「出港?」
「ああ。次は船での移動だからな」
「船!!」
圭の顔が輝いた。港町も楽しかったが、船に乗ってどこかに行ったことがない。遊覧船程度ならば乗船したこともあるが、そのまま別の場所へというのは初めてだった。
「どれ? 俺たちの乗るやつ!」
「そりゃ、一番大きくて豪華なのに決まってるだろう」
アレクの指さす先に見えるのは、マンションかと見まごうくらいの大きな客船だった。早く近くで見たくてアレクを引っ張って駆け出した。
「おおおおおお」
すぐそばで見ると、その大きさに圧倒される。昨日はなかったから、今朝到着したのだろうか。見上げているだけで首が痛くなるほど巨大な船。たくさんの人たちが荷下ろしや荷物の搬入などを行っている。
「これでヘルボルナ大陸行くの?」
「2泊はこの船になる。ケイとゆっくり旅をしたことがなかったから、こういう移動も良いかと思ってな」
「さいっこー!!」
早く乗りたくてウズウズする。外観だけでもこんなに大きくて豪華なのだ。中もきっとすごいに違いない。
「もしかして、もう荷物は中に入ってるの?」
「当然、準備万端だ」
「じゃあ、早く行こうよ! 俺、中を探検したい!」
「そんな急がなくても船はまだ逃げないぞ」
アレクは苦笑していたが、こんなすごい船を前にしてお預けを喰らっている場合ではない。興奮しながら乗船手続きを行い、いざ、船の中へと入って行った。
「うわわわわわ」
豪華なシャンデリアが設置された大階段。映画の中に迷い込んだようだ。どこもかしこもピカピカで、城内にも見劣りしない。
手すりも全て金色で統一されていて、触れてしまうのが申し訳ないくらいだ。指紋一つなく手入れの行き届いた船内に圭は終止目を瞬かせていた。
「ほら、あんまりキョロキョロしているとまた足を引っかけるぞ」
「だって、すっごいじゃん! こんなの、人生で乗ったことないし」
「ケイが気に入ったというのなら、いつでも乗りに来れば良い」
「だーかーらー、贅沢ってのはたまにするから良いんだってば。いつもだったら見飽きちゃうし、新鮮味がないじゃん。それに、アレクには他にも海にも山にもいろいろ連れてってもらわなきゃいけないんだから、そのためにちゃんと仕事調整してよ?」
「ケイのためなら、いくらだって都合くらいつけよう」
チュッと額に口づけ、満面の笑みを浮かべるアレクに圭もほほ笑んだ。
どこもかしこも贅を尽くした造りの船内をキョロキョロしながら辿り着いた場所は船の中でも最も高い位置にある部屋だった。
「おおおおおおおっ!」
広い船室に興奮が収まらない。アレクと一緒だから最高級の部屋を用意されているであろうことは分かっていたが、この豪華な造りは多分スイートルームに相当する客室だろう。ベッドも大きければリビングも広い。窓もたくさんあって外光がふんだんに取り入れられるのも嬉しい。
部屋専用のデッキも広くてここだけでも一部屋分くらいはありそうだ。
「こっから手振ったら城からでも見えるかな?」
「さすがに距離があるから人影まで見えないだろうが、船自体は見えてるだろう」
分かってはいるが、城の方へと大きく手を振った。一日の感謝の思いを込めて。
部屋の中をいろいろと見回していると、船の出港を告げる汽笛が鳴り響いた。再びデッキに出ると、眼下にはたくさんの見送りの人たちが手を振ってくれている。それに大きく振り返していると、ゆっくりと船が進み始めた。
「わーっ!」
風を切って進む船によって、みるみるうちに港が小さくなっていく。洋上へと出た船はまっすぐに水平線へと向かって行く。
「アレクもこれ乗ったことあるの?」
「いや、船は時間がかかるから基本的には乗らないな」
「じゃあ、アレクも初めてだ! なら、早く船内の見学に行こうよ」
グイグイとアレクの腕を引っ張り、部屋を出た。苦笑しながらついて来るアレクと共にぐるりと船内を一周する。たくさんの客席を有した大きなステージにダンスホール、それにカジノやプールまで数多の施設が目白押しだ。
「プール良いなぁ。俺もプール入りたい」
「ケイが入るのなら、貸し切りにして、周囲を立ち入り禁止にせねば……」
「えー、じゃあいいよ。みんなの楽しみ俺たちが奪っちゃうって思ったら絶対楽しく入れないし」
「いっそのこと、船ごと貸し切りにした方が気兼ねなかったか?」
「だからー、そうじゃないんだって! こういう風に、みんながワイワイやってるから楽しくなんの! 俺たちだけだったらシーンとしてて絶対つまんないよ」
「……そういうものか」
納得したような表情をするアレクを見上げた。
彼はこういった娯楽の類をせずにここまできたのだ。分からなくても仕方がない。そもそも、経験がないのだから。
プールを眺めながら思いに耽る。小さい頃、兄や姉に連れられて小学校のプール解放日に遊びに行ったり、祖父母や両親らと共に近所のプールなどへと足を運んだりした。ビーチボールでバレーをしたり、流れるプールで浮き輪に乗ってプカプカ流されたりしたことは良い思い出だ。遊び終わった後にはかき氷やアイスを買って涼を取ってから帰宅する。中学生になってからは友人らと行くようになったが、こんな当たり前のようなことがアレクには経験がない。圭と行っていくことがアレクの思い出のページにやっと記されていくのだ。
そうと決まったら存分に遊ばないという手はない。この旅行における圭の役割は重要だ。アレクに楽しい旅の思い出を存分に作ってもらわねばならない。
しかし、それは圭自身も同様に一緒に楽しめるものでなければ実現しないだろう。どちらか片一方だけなんて、絶対楽しくない。どちらかが気兼ねしているような状態というのは相手にも伝わるものだ。
だから、2人共に思い出を作れるようなことでなければ。
「……あ、そうだ! プールとかジャグジーって、夜も普通に入れるのかな?」
「いや、確か安全面の問題から利用ができなかったはずだ」
「それなら、ジャグジーの場所だけ、夜、ちょっと借りるようにお願いできないかな?」
プールは確かに深いし危険が伴うかもしれないが、ジャグジーならそんなに危なくない気がする。この船のジャグジーは家庭用の子供プールの2倍程度は広さがあるし、露天風呂のようで楽しそうな気がする。夜ならそんなに目立たないし、アレクの魔法を使えば見えなくすることも可能だろう。船の端にあるから、そこだけ少しの時間お邪魔する形なら、他の乗客にもあまり迷惑をかけないで済む気がする。
何でもかんでも不可では圭も正直楽しくない。だから、ちょっとだけ。折り合いの付きそうな時間帯に、少しだけ我が儘を通すくらい許してもらいたい。
「それくらいなら大丈夫だろう。後で聞いておこう」
「ありがとう!」
アレクが言うのなら、危険さえなければ大抵のことは通るだろう。大国の皇帝陛下の頼みを断れる人などそうはいないはずだ。例え旅程を狂わせるような寄り道を提案したとしてもまかり通るだろうし、それこそ途中で乗客を全て下ろせなんて無茶を言っても許されてしまう気がする。
施設の中を探検し終えた頃にはすっかり昼になっていた。軽く2~3時間も経過していたとは驚きだ。
しかし、少し足が疲れていることを思えば、それくらいは歩き続けていたのだろう。休憩も取らずにずっと探検していたのだから。
昼食は部屋の中で摂り、午後からはのんびりと過ごすことにした。よく考えたら、アレクはこの旅のために仕事を前倒しにしてこなしてきたのだ。それなのに、昨日はルレヴェックの街の散策に付き合ってくれた。お疲れなのはアレクの方だと気付いた。
とはいえ、部屋の中で何もしないというのもつまらない。普段から室内に籠り切りになってばかりいる圭にとっては、外でいろいろとしたくて堪らないのだ。
「ねー、ここにさー、ハンモックとかって出せたりする?」
圭たちの部屋専用の広いデッキに出て空いているスペースを指さした。デッキにはウッドチェアが2脚と小さなテーブルが1つ置かれているにすぎなかった。
「欲しいのか?」
「うん。船の動きと合わせて、なんか気持ち良さそう」
思い付きで言ってみたものの、アレクに魔法で出してもらったハンモックは予想以上に快適だった。アレクと二人で乗ってもビクともしない頑丈な造りで、ユラユラと揺れて心地良い。
「すっげー! 俺、ハンモック初めてー」
「ケイも初めてか?」
「うん! こういうのって、キャンプとか行かなきゃできないし、行っても作るの大変だし」
あまり山に縁がなく、小学校で行った林間学校くらいでしかキャンプをしたことがない。林間学校ではそんなもの作ってもらえるはずもなく、テントを立てて飯盒炊飯をしたらもうあっという間に夜になり、すぐに寝かされる。みんなで日中はしゃぎ過ぎたため、恋バナをする間もなく熟睡し、気付いた時には朝になっていた。
2人でユラユラ揺られていると気持ちが良くてウトウトしてきてしまう。こっちの世界に来てからあまり運動する機会がなく、午前中歩き回った分、昼食を食べた腹の満腹具合と相まって眠気に襲われる。
「なんだ、ケイはまた寝てしまうのか?」
「う~……寝たくないけど、眠い……」
「ゆっくりすれば良い。船の旅は明後日の朝まで続くからな」
アレクの胸に凭れかかりながら頭を撫でられると、もうダメだった。あっという間に睡魔がやって来る。アレクが何か言っているような気もしたが、もう耳に入って来なかった。
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