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【第2部 ヘルボルナ大陸】 第3章:入国編 第4話

 部屋に戻り、鼻を押さえたままソファで大人しく座らせられていた。鼻血自体はものの数分で収まったが、服に着いてしまった赤い染みはすぐにはどうしようもない。 「服を着替えて、メイクを少し直してもらってからまた行こう」 「うん……」  落胆したまま顔を上げられなかった。  みんなに合わせる顔がない。ルレヴェックの街や船の中だけでなく、ヴァラーラに来てからも失敗ばかりだ。何一つ上手くいかない。迷惑をかけてばかりの自分が嫌になってくる。 「どうした、いつもの元気なケイが見当たらないぞ」  両頬をアレクの掌に包まれ、ウニウニと小さく蠢かされる。傷心のまま放っておいたが、アレクが圭の頬を軽く引っ張ったり頬を掌で押し潰したりと遊び始めたため、大人しく落ち着いている場合でなくなってきた。 「こらー! 人の顔で遊ぶなー!!」 「ははっ、バレたか」  頬を膨らませながら涙目で睨んでいると、軽いキスが一つ降ってきた。 「ケイはいつもみたいに元気で明るい方が俺は好きだ」 「でも……俺、何にも上手くできない……。服もまた汚しちゃったし」  あんなに事前に色々と勉強もしてきたのに。おっちょこちょいな性格はそう簡単には直せないと分かってはいるものの、ここまで続くとさすがに自分でも呆れてしまう。 「またケイが新しい服を着るところを見られて俺は眼福だ。何なら、別に俺はずっとケイのファッションショーでも構わない。他の者と一緒にいるより、その方がよっぽど楽しいしな」 「そしたら、ここまで来た意味ねーじゃん」 「意味なら大いにある。ここまで一緒に船旅もできたし、城にいるばかりじゃ見られないケイの楽しそうな顔がたくさん見られた。それに、何よりもケイとこうして四六時中ずっと一緒にいられることが一番嬉しい」  ギュッと抱き締められる。アレクの優しい言葉に涙腺が馬鹿になる。  泣かないように我慢していたのに。アレクの言葉が胸に染みた。涙で落ちたメイクで汚してしまわぬよう、軍服から顔を離していたのに、アレクの方から胸元へと圭の顔を押し付けてきた。 「アレクの服も汚れちゃうよ……」 「そしたら、二人して着替えて行くか。次は何色でお揃いにしようか。どの色の服もケイに似合ってしまうから困る」 「そういう時は、アレクが着たい服に俺が合わせれば良いんだよ」 「いいや、違うぞ? こういう時でしかケイに着てもらえない服ばかりなんだ。それも、何度もチャンスがある訳じゃない。しっかり目と脳に焼き付けるために、何よりも重要な判断だ」  真剣な眼差しで力説される。そして、再び大量の服の前で悩み始めたアレクを見て呆れてしまったが、いつのまにか涙が止まっていたことに気づく。  ああ、この人のことが好きだ。とても……本当に心の底から大好きだ。  好きで好きで堪らない。  心の奥底から好きが溢れてくる。  パステルグリーンと真っ赤なワンピースを手に持って見比べながら苦悶の唸り声を上げるアレクの背に抱きついた。 「ケイ?」 「俺、アレクのこと……めちゃくちゃ好きだなぁって……」  アレクの背が小さく反応した。広くて暖かい背中は安心感がある。どうせ着替えるなら良いかとその背に頬擦りした。化粧をしている顔ではファンデーションが落ちるからとできないが、今なら許される気がしたから。 「……それは、お誘いなのか?」 「はぁ??」  顔を上げれば、真っ赤な顔をしながら耐えるような表情をするアレクと視線が合う。 「そんな可愛い態度で……いや、これからまだ挨拶が……でも、俺は今日一回顔を合わせているし……ケイの具合が悪くなったと言えば……」  ワンピースを手放し、圭を横抱きにしながら部屋を出ようとするアレクの頬をつねりながら半眼で説教する圭の目から既に涙は枯れていた。  ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  やっと準備が整い、玉座のある謁見の間の前に到着した頃には既に夜になっていた。豪奢な紋様の描かれた巨大な扉を前に生唾を飲み込む。シルヴァリアの城も世界一の大国を体現したように豪華な内装や調度品などで溢れているが、ヴァラーラもまた国の風格を表した見事な造りとなっていて、ただただ圧倒されるばかりだった。  ガチガチに緊張していると、隣に立つアレクに頭を撫でられた。見上げてみれば、優美に笑んだ顔が圭を見下ろしていた。 「そんなにかしこまらなくて良い。ヴァラーラの国王夫妻は穏やかで気の良い方たちだ。余程失礼なことをしなければ気を悪くするような人たちではない」 「ええ、そうですよ。我が国の陛下たちは非常に寛容で、国民思いのお優しい方々です。国民からも常に慕われておりますし、ぜひともケイ様にも気軽に接していただきたいものです」 「そっか」  アレクとマリーの言葉にホッとする。そんな穏やかな人たちなら怖くはなさそうだ。目を閉じて大きく深呼吸をしてからゆっくりと瞼を開く。  大丈夫。隣にはアレクがいる。何かあったとしても、きっと助けてくれるだろう。何の心配もいらない。大船に乗ったつもりでいれば良い。  目の前の巨大な扉が重厚な音と共にゆっくりと開かれていく。広間には中央の玉座へ続く赤い絨毯。両側に頭を垂れた文官や武官などが並んでいた。その光景に緊張の糸が張り詰める。 (ひぇぇぇぇっ! え、映画の世界まんまじゃんかよぉ~~~~~~!!!!)  目をまん丸に見開いたまま動けなくなっていた圭をアレクが目で合図してくる。ギクシャクとした動きでアレクの一歩後ろを着いて行く。 (え~~~~~っとぉ…………………玉座の前に着いたら…………どうすんだっけ……………)  あまりの緊張から学んできた全ての記憶が抜け落ちた。もはや呆けた顔をするしかできない。玉座の前まで辿り着き、アレクが優雅に礼をしたのを見て、とりあえず圭も90度まで腰を曲げたお辞儀をしておいた。 (わー、わー、ど、どうすんだっけ!? や、やばい!! やばいよ、やばいよ~~~~!!!!)  もはや気分は出川状態だ。脳内は勉強してきた様々な知識がしっちゃかめっちゃかになってグルグル回っている。 「ケイ?」 「ひゃ、ひゃいぃぃ!!」  アレクから声を掛けられて勢い良く頭を上げる。広間にいる全員の視線が圭に集まっている。まだ何分も経っていないというのに、もう既にやらかしてしまったのだろうか。カーッと顔に熱が集まるのを感じていた。 「御無沙汰を致しておりますね、ケイ殿」 「あっ……」  玉座に座るヴァラーラの国王夫妻の顔を見て、思わず声が出てしまった。  ニコニコと穏やかに笑んでいる老夫婦には見覚えがあった。婚姻の儀の際、一番に挨拶に来てくれた人たちだ。名前や肩書などは一切伝えられず、アレクと親し気に話していたことしか覚えていない。教えられたとしても、あの何十組もの謁見を全て覚えることなど圭の頭では無理だったが。 「えっと、あの節はありがとうございました。改めまして、ケイ=フォン=トイテンヴェルグです」  ワンピースのスカートを少し持ち上げ、礼をする。頭を上げると、相変わらず柔和な笑みを湛えている国王夫妻と視線が合い、ホッとした。とりあえず無事に自己紹介はできたようだ。まだ名を名乗っただけではあるが、少し肩の荷が下りた気がする。  そして、感極まった表情をしているアレクにギョッとした。 「あ、アレク、何? 俺、また何かやらかした!?」 「いや……ケイがきちんと自分からフルネームを名乗っているところを聞くのは初めてだったから、胸に来るものがあってな……」 「あっそぉ……」  小声でやり取りをしていたが、あまりにもしょうもない理由に呆れてしまう。名前を名乗るだけで感動するなど、幼稚園児扱いだ。  しかし、確かに今までフルネームを名乗る機会というのはなかった。アレクの伴侶になったということを改めて実感する。相変わらず隣で涙を流しそうになっているアレクを見ていると、何だか少し緊張が解れてきた気がする。 「ささやかですが、食事を用意しています。是非とも今晩は共に語らい合いましょう」

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