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第7話

 母も父も傍にいない薔太を幼い頃から何かにつけて甘やかしては逞しい腕に抱き上げ、暖かな親愛のキスをしてくれた紫央。いたいけな薔太はくすぐったいとけらけらと笑ってばかりいた。  あの屈託ない気持ちが、いつのころからか彼に触れられると静かに、だが確かに心臓の鼓動が高まり早まるようになっていった。  思春期には紫央にこんな気持ちを抱くのはいけないことのような気がして、わざと避けようとしたことがあった。だけど駄目だった。  距離を取った分、紫央の方から距離を詰められた。この家に来る回数が増えて、先ほどのようなちょっと強引なスキンシップで腕の中に誘い込まれることもしばしばだった。  好きな人から一心を向けられたら堪らない。諦めて避けるのを止めたが、その後から今まで、学校への送り迎えや休みごとのお出かけも増えて、過保護と溺愛に拍車がかかってしまった。 (俺、紫央さんのこと大好きだけど。ああいうの人前でされると、すごくどきどきするから困る。紫央さん的には弟をからかうようなつもりなんだろうけど、あの人自分の容姿の素晴らしさを分かっててやってるのかな。ああいうところ、質が悪いと思う)  先ほどもそうだ。薔太の気も知らないで、紫央はまるで恋人のように甘い仕草で薔太を誘惑してきた。その度薔太の心は乱れ、頬はおろか耳の先まで赤薔薇の様に染まってしまう。 (でも俺以外を紫央さんがあんな風に触れるのは嫌だ)  これは恋なのだろうか。だがそれを尋ねられる程に親しい友はいない。  思慕とか敬愛とか家族愛とかすべてがごちゃ混ぜの感情に何と名前を付ければいいのだろう。世間一般にいうと『ブラコン』という言葉がしっくりきそうだともわかっている。  逞しい紫央に背後に立たれ抱きしめられると、足元に温かい大きな影が落ちる。腕の中で漂うのはホワイトティーからムスクへと変化する、彼が好んでつける香水の薫りだ。気品あふれるそれが彼自身の香りと混じって、若い薔太をくらくらと惑わす。  振り返って彼に自ら縋りついて、これ以上の愛を求めてしまいたくなる。  清涼感と気高さのどちらも感じる香りに全身で包まれながら、あの形よい唇で、頬や額ではなく自分のそれに触れて貰いたい、そんな風に願った。薔太はその甘い柔らかさを思い起こしながら、無意識に指先で下唇をそっとなぞる。 (しぃちゃんの、バカ)  大人の男性らしい彼の色気と無意識の手練にかかれば、恋に疎い薔太なぞ赤子の手でもひねる様に簡単に彼に落ちてしまうのに。  男同士だとか年の差とか雇用主と従業員とか。そんなすべての身分の差を分かっているのだろうか、からかうのはよして欲しいとたまに泣きたくなる。 (俺はしぃちゃんのこと、欲しがっちゃ駄目なのに)  急にびゅうっと冷たい風が吹き付けてきた。前髪を乱され、思索は中断される。 (夜には雨が降るといっていたから……。空気がひんやりしてきた)  まだ日差しが陰ってはいないが雲がすごい勢いで流れていく。  見学者たちは思い思いの立ち位置に移動して、心地よさげに春の終わりの赤や緑の鮮やかさを目に焼き付けている。 「わあ、綺麗! 向こうに見える薔薇のアーチ、本当に可愛い。庭は和風なのかと思ったけど、洋風にも見えるし、なんだか不思議なお庭ね。和洋折衷のこのお屋敷にあってる」   テラスの上に置かれた薔薇のモチーフが透かし模様になっている白いガーデンテーブルと椅子に女性陣は競うように腰を掛け、うっとりと庭を見渡した。テラスの上は天井の代わりに藤棚になっていているので、木漏れ日がキラキラと落ちる。少し前までは白い藤の甘い蜜の香りとくまばちの羽音が賑やかだった。 「そうですね。先ほど、ちらっとみていただいた通り、生活していたのは和風のお部屋を中心にですが、全体的には洋風でアトリエは板張りで天井も高く洋風です。二階もありますが、物置的な使い方になってしまっているのでそのうち整備をして二階に展示物をおけるようにしていこうと、館長の葛城と共に考えております」  「さっきの素敵な葛城さんがここの館長なのよね。すごいね、お若いのにすごいね」 「紫央さんは本当にすごいんです。ここだけじゃなくて、葛城紫仙美術館の理事や、紫仙が所蔵していた美術品、生家の不動産の管理もされてます」  紫央のことを褒められるとただひたすらにうれしい。薔太が可愛らしく微笑んだので周りの人々にもさざ波の様に笑顔が伝播した。 「ここも彼の持ち物なの?」 「ええ。そうです。ここはまだあくまで私設の資料館の域を出ませんが、ゆくゆくは葛城紫仙美術館と連携した展示を行ったり、紫仙の愛用品や所蔵していた国内外の美術品の展示もしていく予定です」 「君が大学を卒業したら、ということ?」 「はい。今は臨時職員としての勤務ですが、卒業後はここで正式に学芸員として働きます」

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