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第3話 コロッケ
健太郎とは、別に時間を指定はしていない。
彼の仕事が終わったタイミングで家に来ることになっている。
光希の家は母親と二人暮らしなので、今の時間、母親は、店に出ている。従って、光希しか居ない。健太郎を連れ込んでも、問題はなかった。
いつ来るか解らないので、傍らからベースを取りだして、少し練習する。深夜になるとさすがに怒られるが、この時間ならば、まだ、弾いていても問題ない。
後ろのご隠居からは、『たまには知ってる曲を弾いてくれ』という文句が飛んでくるが、それは無視している。
(そういえば、龍臣さん、何だったんだろう……)
光希のバンドは、しばらく、人前で演奏をしていない。最低限、月に一度は集まって練習しているが、それだけだった。昔は、もっと、頻繁にライブに出ていたものだった。
大体、ライブハウスの対バンで。チケットの割り当てがあった。光希は、さほど友達は多くない。だから、いつも、チケットをはくのは大変だった。
『プロを目指すんだったら、この程度のチケくらい、捌けなくてどうするんだよ』
他のバンドから言われたことがある。それは正論だった。そのバンドは、レコード会社にスカウトされて、有頂天になっていたが―――別に、デビューしたという話も聞かない。
全国に、どれくらいライブハウスが現存しているか解らない。
今時、インターネットだけで音楽が出来る。
けれど、ライブハウスには、時々、レコード会社の人が顔を出している。地方の、対バンでも見に来て、青田刈りをしているのだ。そこでスカウトされるのは一握り。スカウトされてデビューするのはさらに一握り。そして、そこから売れるのは本の一握り。
途方もない数のプロ志望の人間がいる中の、突出した一人―――に憧れるが、そうなれるとも解らない。
今日は、練習に身が入らない。音が、ばらけているような感じがする。譜面をなぞっていても、気持ちがぴったり乗るときと、そうではない時というのがあって、今は、音に気持ちが乗らなくて、気持ちが悪い。
「はあ……」
ベースを放り出して、床に転がる。床は、冷たい。
現実と夢の距離が遠い。
本当は、何がしたいのかも、よく解らなくなっている。
(桜町にいて……、ここで……)
ずっと、ここに居て良いのか―――それが解らない。居たいのかも、よく解らない。ただ、漠然と、今のままではいけないような気がしている。
「おーい、上がるぞー」
声がした。下からだった。健太郎が来たのだった。桜町では、古い人たちは鍵を掛けないで居ることも多い。光希も、家の鍵を掛けないで居ることが多かった。
「あー……」
健太郎は、勝手知ったる様子で上へ上がってきた。途端に、揚げ物の匂いが漂う。
「どーせ、メシまだだろ?」
「うん」
「俺もまだだから、コロッケとメンチと唐揚げ揚げてきた」
肉屋の惣菜で人気の品々だ。光希にとっては、中学高校と、帰り道にたまに買い食いしたのが、このコロッケだったので、懐かしい味でもある。
「すごいな、揚げ物祭りだ」
「すごいだろ?」
へらっと健太郎は笑う。
「|二十《はたち》すぎた男が二人で食べるには、ちょっとわんぱくなメニューだね」
「ま、良いだろって。……ご飯も持ってきた。どうする? インスタントの味噌汁も持ってきたけど」
「あるなら飲む」
電気ポットは一階にある。それに、味噌汁用の椀も。とりあえず、アルミパックに入ったレトルトの豚汁を持って、一階へ降りた。電気ポットには、お湯が入っている。それで味噌汁を作って、慎重に二階へ運ぶ。
「凄いボリュームだな……」
「まあ、食べられるって」
腹具合的には、食べられそうな気がする。だが、揚げ物というのが問題だ。
「まあ、とりあえず、食べるか……」
頂きます、と手を合わせて、食べ始める。
肉屋の揚げ物は、良質のラードで揚げてある。だから、上がった時の風味が違う。サラダ油とはちがって、なんとなく、コクがある、甘い上がり具合になる。それに、大きめのパン粉を纏ったコロッケは、噛むとザクッとした音がして、口に|衣《ころも》が刺さるくらいに、カリッとサクサクに揚げてある。そして、中の具は、とろんとホクホクが同居した感触だった。味付けは控えめで、ひき肉とタマネギを炒めたものは入っているが、ジャガイモのおいしさが口いっぱいに広がる。
「あー……うまい……。やっぱ、お前の所のコロッケ、一番美味いわ」
「そりゃそうだよ。これは、俺が頑張って仕込んでるんだから。特に、光希の家に持ってくるときは、一番良い状態で食べて貰いたいから、気合い入れて作ってるんだよ」
「えっ、そうなの?」
今まで、聞いたことがなかった。
光希に作るモノだけは、特別―――だとしたら、嬉しい。けれど、それが、どういう意味なのか、解らない。解らないのに、なぜか、光希はその理由を、聞きたくはなかった。
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