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第22話 いつもと違う

 ハイボールは、今まで飲んだどんなハイボールよりも美味しかった。  光希の仕事ぶりなど、初めて見た健太郎だったが、心のどこかで、光希を侮っていたのだということだけは、気が付いた。  母親の手伝いで、スナックの手伝い。バーテンダーのまねごともする、雑用の黒服。  けれど、翻って我が身を思えば、健太郎自身、実家の家業で働いているとは雖も、ちゃんとした給料は、出ているとは言いがたい。家のお手伝い、くらいのものだ。光希と、大差なかった。  桜町という、狭くて古い町にいるかぎり―――ずっと、一緒だ。  思わずため息が出たとき、光希が「どうしたの? 浮かない顔だけど」と柔らかく聞いてきた。家で会話するより、他人行儀で、すました顔の光希は、他人のようだった。 「……ああ……」  今日は、一緒に居たヤツは何なんだよ―――と言いたくなったが、言葉が出てこなかった。その代わりに出てきたのは、 「仕事で面白くないことがあってさぁ」  という、ありきたりなことだった。この店で、グチを言う男たちも、おそらく殆どの人間が、同じことをいっているだろう。 「仕事で? 珍しいね。健太郎は、お仕事は好きでしょ?」 「好き……っていうか、まあ、好きとか嫌いとか、そんなんじゃないな……」 「ふうん? なにがあったの?」 「えっ?」 「何かあったら、飲みに来たんでしょ?」  えっ、と健太郎は、考えて言葉に詰まった。父親に怒られた。けれど、これは、健太郎のミスでもある。それよりも、あの時、光希の姿を見てから、おかしくなっている自覚はある。 「なにが……って訳じゃねぇけど……」  からん、とハイボールの氷が音を立てた。綺麗な音だった。 「……まあ、なにが合ったわけじゃなくても、なんか、イライラすることってあるよね。……なんとなく、全部がうっすら、うまく行かなくなるっていうか……」  光希の表情が、幾らか曇る。強い、カウンターのライトのせいだけではないだろう。 「光希も……なにかあった?」 「えっ?」  光希が顔を上げる。視線がかち合った。 「なんていうか……ちょっと、いつもと違う?」  美味く言えないが、元気がないというか―――いつも、どちらかと言えば、陰気な感じのする光希だったが、それでも、多少、機嫌が良かったり、イライラしていたり……そういうのは健太郎には解っているつもりだった。  今は、いつもの光希ではなかった。 「そりゃ違うよ」  光希はくすっと笑う。 「俺は、今、お仕事中だしね……あ、ゴメン、杉山さんに呼ばれてるから、ちょっと行ってくる」  そう言って、光希はカウンターを出て、杉山の所へむかった。ソファ席で座っている地元のヤクザだ。チラリと視線をやると、飴屋の入江と一緒に酒を飲んでいる。  なにかやりとりをして居たが、カウンターへと戻り、支度をし始めた。  大きな氷を、アイスピックで砕いてそれを持っていく。ウイスキーのボトルも一緒に持っていった。杉山は、ボトルを入れたのだろう。グラスは二つだ。 (杉山さんと、入江さん……仲よさそうだな……)  健太郎は、ヤクザと聞いたら、近付きたくもないが、入江は平然としているというか、楽しそうに笑っている。  なんとなく、不思議な光景のようだった。 「あっちは……、お前が付いてなくていいの?」  戻ってきた光希に、健太郎が聞く。 「あー……あそこは、女の人は付かなくて良いって、杉山さん、最近、飲める店が少なくなったから、うちに来てるみたいで」  光希は微苦笑する。杉山は、ここに入り浸っているという話は聞いている。ヤクザが普通の出入りするのも、今時は、難しくなっているのだろう。これも、桜町のような古い町だから出来るのだ。 「ふうん……」 「……俺は、普通だよ。仕事は、ちゃんとやるよ。お客さんがいるんだから」 「そこはカネじゃないんだ」 「そうだなあ」  光希は一度言葉を切って、小さく呟く。「どうせ、今は、給料とかは出てないからね。だから……そうだな、お客さんがいるから、仕事をしているだけだな」  家の仕事、で給料が出ないようなことは―――良くあることなのだろう。  光希は、バイトも沢山入れている。自分で使うお金を自力で稼いでいるのだ。  好きだから、でも、仕方がない、でもなく、客がいるから―――ここに立っていると言われて、なんとなく、健太郎はいたたまれない気分になった。
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