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第29話 MOVE
東京に行く。プロを目指す。
龍臣に連絡した時には指が震えていたのに、急に、気持ちが定まった。
(ベースを弾こう。……バイトと、家の手伝いだけやってる生活より、苦労して、食うに困っても、ベースで飯を食った方が、絶対に良い)
もし、夢に破れることがあったとしても、夢に挑んだことは、光希の糧になるはずだった。
しばらくの間待っていたが、龍臣から連絡は無かった。
仕方がないので、ベッドに横になる。
興奮していて寝付くことが出来なかった。
大きな会場で、沢山の観客の前で、ベースを弾く。歓声とライトを一身に浴びながら。天国のようにまばゆい、ステージの上で、光希は一心にベースを弾く。
その夢に、ほんの一ミリかも知れないが、近付いたのだ。
(桜町を、出よう)
その気持ちに、後悔はなかった。
翌朝は、朝からバイトだった。隣町のファストフード。電車に揺られながら、光希は考える。東京に出るのならば、いつ行くか決めなければならない。バイトを辞めなければならないからだ。
(まあ、そんなにすぐ、東京行きが決まるって訳じゃないだろう……)
東京で生活する場所も探さなければならない。アパート代、水道高熱費。そう言うものは、幾らになるのか、考える。
(東京のアパートとかって、十数万とかするんだよな……)
朝から晩までアルバイトを入れれば、なんとかなるだろうか。
わずかな貯金のことを考える。引越費用で消えるくらいの金額しか、貯金もない。だが、少ない稼ぎから、必死に貯めた貯金だった。
何かにしがみつくような気持ちで、必死になってお金を貯めた。それは何のためだったのだろう。今では、思い出すことも出来ない。ただ、本来の目的は達成出来ず、そして、何のためのお金なのかも解らなくなってしまった。だが、今、そのお金に手を付けることは許されるだろう。
(むしろ、今の為に、貯金してたんだよ……)
今、この瞬間の為。
貯金をして居たのだと思う。少なくとも、東京へ出ることは出来る。その後、必死で生きなければならないだろうが―――。
桜町で、死んだように生きているより、マシだった。
そう―――桜町では、自由がなかった。
なにをするにも、健太郎や母親のことが頭をよぎる。その為に、出来ないことと言うのも、沢山あった。
健太郎とは、身体だけの付き合いだから、それをなくしたところで構わないだろう。今まで、光希のほうは、健太郎に少なからず気持ちがあったが、健太郎には、ない。だから、この不毛な状態は、早めに解消しておいたほうが良いのだ。
そして、母親も、光希が居なくても寂しがることはないだろう。
(むしろ、俺がいたら邪魔だったかも知れないな……)
女手一つで育てて来たのだ。苦労もあっただろう。本当ならば、光希はまっとうに働いて、母親を楽にしてやるべきなのだろう。だが、それは出来なかった。高校を出て―――まっとうな就職先がなかった。
桜町のある木花市は、古くさい町だ。
高校に来ていた求人票から、何社か面接に行ったが、履歴書を見るなり言われたのは、
『なんだ。母子家庭か』
『しかも、スナックって……』
という、どうしようもない言葉だった。シングルマザーで育てられた子供は、『父親が居ない』というだけでイジメに遭い、こうして、会社にも入れないのかと思ったら、就職活動も本腰が入らなかった。
担任は親身になってくれたので悪いことをしたと思っているが、見事にハゲ上がった学年主任に『大学にも行かなければ、就職もしないとは。これだから、マトモじゃない家で育った子供は扱いにくいんだよ』と言われた。
今まで蓋をして、見ない振りをしないでいたものが、一気に吹き上がってきた。
桜町を離れる理由を、心が並べ立てている。
今は、それに従おうと、心に決めた。隣町の駅にたどりついた時、ふと、丁度、龍臣からメールが届いた。
『連絡ありがとう。じゃあ、お前も一緒にトライアルに参加するって連絡する。
くわしいことは、あとでまた連絡するから。
それと、決断してくれてありがとう』
動き出した。もう、止まらない。
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