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第2話 It’s a long road

 アンディは一躍有名詩人の仲間入りを果たしたというのに、全身の毛穴から欠乏感を発しているかのようだ。 「だめだ。どうやったら良い詩が書けるんだろう」  深い溜息をついている。そしてうろうろして落ち着きがない。 「絶対にまだ書けていない。代表作と言えるような一遍を。こんな未完成の詩集は世に出さない方が良いのかも」  彼は眠剤をまとめて口に入れるとウォッカソーダで飲み込んだ。そんなことをしたものだから、あっという間にふらふらになっていた。   「相手してよ」  こちらに向けて拳を振ってきたけれど、明け方の酔っ払いよりも酷い動きでとても練習にはならなかった。倒れそうになったので抱き寄せると、早口で何かつぶやき始めた。 「すごい詩を書きたい……。美しい詩、世界一の詩が書きたい!」 「書けるよ、きっと」  別になぐさめで言ったわけじゃない。アンディくらいの集中力と地頭の良さを兼ね備えた人間なら大体のことは成功するだろうと思えた。    僕との試合の実現はすでに諦めている。彼はすでに別の世界の住人なのだ。僕がミットを100回打っている間、彼は100回文字を打っている。パスン、パスン、と打つたびに神の称号へと一歩ずつ歩を進めている。  しばらく彼とは面会しないでおこうと思った。文芸世界だなんて、僕にはとても近寄りがたい世界だった。    夜中になるとアンディのことばかり思い浮かべていた。彼は劣勢に立たされたクライマックスにおいて笑う人なのだ。喜怒哀楽の感情とも心理的な計算とも言い難い、無敵の人となって周囲の人々をざわつかせる。  あの鳥肌が立つような表情がもっと見たい。勝負事抜きで君のトランスした巫女のような姿が見たい。僕は純然たるファイターで、ぞくぞくする刺激がなければ生きていけないのだ。    ホームへと吸い寄せられるようにまた訪問してしまった。  彼はげっそりと頬が痩けていた。むかし脱水症状で入院した計量のときよりもずっと軽い。驚くべきことに40kg台の後半を切っているそうだ。本当にずっと書いているそうで、見事に小さくなっていた。    押し寄せる書評や締切に彼は抜け殻のようになるほどの心の負荷を受けていた。 「締切だなんて、それどころじゃないよ」  昨夜も出版社の人とのメールのやりとりが苦しかったらしくて、オーバードーズをしていたそうだ。ファイターでしかない僕にはわからないことだけど、命を削って書いた文章を否定されるのは芸術家にとってそれほどまでに苦しいらしい。    彼はモニターの前で服を脱ぎ出した。部屋にあえぎ声が響いたかと思えば僕のことを紹介し始めた。視聴者を増やすことで収益になるらしく、顔に補正をかけて別人に見えるようにした上で性的な動画を配信しているそうだ。 「彼、僕とこの前キスした相手だよ。好きなんだけどまだ付き合ってくれないの」 「おかしいよ、まともな告白なんてそもそも受けてないしさ」  視聴者のコメント欄がざわつき始める。彼は生活保護を受けずに生活出来るほどの収益を得ているのでかなりの視聴者がついとぃる。そんなたくさんの観衆による性的な目がアンディ向けられていて、恋人候補みたいな扱いを僕が受けている。あまりに非日常的な環境に飛び込んだ事で僕はすっかり混乱していた。 「僕って肉体関係だけで繋がっている人とばかり接してて。なんかすぐ距離を詰めた気になるんだよね」  彼が何を言っているのかよくわからなかった。  そして彼はモニターの前で『今夜の相手募集中。ホテル代のみ参加者持ち』と文章を打った。 「直、ホテル行ってくるね」 「ああ、行ってらっしゃい」 「止めてくれないの?」  止めたらもっと過激なことをするような気がした。    彼は快楽のためだけに無茶苦茶なことをしているとは思えなかった。きっと取材やセラピーっぽいことも意識した上で性的なことをしているのだろう。    僕には彼の目が誰よりも燃えているように映っている。必ず歴史に残るような物凄い詩を書いてくれると確信していた。
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