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第3話 下界を見おろす天使
アンディと会うようになってから、こちらの気持ちまで波が激しくなったような感じがする。スパーリングをやったときに相手の攻撃を貰いすぎたり、逆に新人相手に加減し損ねることもある。集中力が落ちているようなので、気を紛らわせるために縄跳びに切り替えた。早く汗を流して帰りたかったんだ。
僕は彼と仲良くしたいのか、それとも試合がしたいのか自分でもよくわからなくなっている。今の環境とは無関係のことがしたいのかもしれない。こんな気持ちで試合に勝ち続けることが出来るのだろうかと不安になった。
今日はアンディの居室で寝技をしていた。さすがのアンディも気分転換がしたくなったようだ。このワンルームで激しいスパーリングはもちろん出来ない。2人とも打撃技の専門家だけれども、この場所を考慮して寝技の技練でもやろうということもあった。
あお向けの僕に跨ろうとする彼に対してガードポジションの体勢に入った。両足を使って胴体を締めると深くホールドした感覚があった。もがいてエスケープするアンディを手前に煽ると力なく僕に倒れかかり、伸びた髪が胸をくすぐった。
「だめだ、体幹が衰えて踏ん張りが効かないな」
「もしかして寝技、未経験?」
「技をかけてもらったことくらいはあったけど、自分でやってみるのは今日初めて。意外と面白そうかも」
「そりゃ勝てないはずだよ。またやろう」
「直、試合近いでしょ?」
「ああ、再来月にやるよ」
「だったら今度は打撃の練習もやろうよ」
「アンディがパートナーなら心強過ぎる」
しばらくホームの生活を続けて慣れてきたのだろうか、彼のポジティブな姿勢に嬉しくなった。
夕方になるとアンディの様子は一変した。BGMに流していた曲が、天界からのメッセージだと言うのだ。
「直、きみはガブリエルから人間に転生したんだろう。下界を見おろす天使さん、僕を迎えに来てくれたんだね」
「僕は天使じゃない」
「そういうこと、言うなよ。悪魔に盗み聞きされないためだね。大丈夫だよ、ほら」
彼の指さした方向には切り裂かれたぬいぐるみがあった。
「ね、大丈夫だから。僕がなんとかしておいたから」
彼は世界一を賭けた死闘のような剣幕で詰め寄ってきた。はじめから夜になるまでには帰ろうと思っていたので僕は帰ろうとした。そう説明したものの、すぐには納得してくれなかった。帰ろうとすると『逃げるなー!』と言って怒鳴ったり、一転して泣きはじめて寂しそうにしたりした。
「ごめんね、本当に帰らないといけないから」
玄関で別れ際のキスをする。続けてハイタッチをしたら、ぱちんと乾いた音が鳴った。
アンディとの心の向き合い。それは並大抵のエネルギーでは出来ないことだ。緊張から解放されてほっとした気持ちと、別れの寂しさが絡み合っていた。
僕は今度の試合、絶対に勝ってやる。君も良い詩を書くんだよ。僕との衝突、僕のリング上の姿、そして繰り返される日々のリハビリも詩の血肉にして。共に戦い、それぞれが目指す栄光の舞台へいつか立とう。
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