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第1話
ある日、それはいつもと同じ青空で、白い雲が浮かんでいて、本当に平凡で平穏な、普段であればなんとなく過ぎ去っていくような、そんな日だった。
帰宅が遅くなったルイスは、はぁっと溜息をつき、今日の王立学院の宿題は量が多すぎると思いながら帰宅した。両親と兄はまだ帰っていない。優秀な兄は、既に騎士団で働いていて、ルイスもまた将来は騎士または魔術師になることを嘱望されているが、本当は戦うこともあまり好きではない。とはいえ、騎士団長の息子だ。世間体もあるし、家族に怒られるのも嫌だったから、なんとなく今日だって学院の宿題をこなす。
「あ」
その時、ふとルイスは思い出した。昨日兄が、物置に何かをしまっていたことを。
兄は善良なので、あまり隠しモノをしたりしないのだが、する時は挙動不審になるから、すぐに分かる。ルイスは好奇心を抑えきれず、物置に入った。黴臭い。そこにあった箱を開けてみると、中には――俗に言うエロ本が入っていた。少なくともエロ本だとルイスは思った。だが実際には、ワンピース姿の女性の写真集であり、エロ本ではないが、胸が強調されているので、ルイスの認識が完全に間違いということもない。ルイスはその本を捲ることに必死になった。時間を忘れた。
『きゃぁぁぁあ』
母親の悲鳴が聞こえてきたのは、どれほど経過してからのことだったのだろう。ハッとしたルイスは、物置の僅かに開いている戸から、外を窺う。そして目を見開いた。血溜まりの中に、父の首が落ちている。そこにはすぐに、母の首も加わった。
『なっ』
そこに兄の声が響いてきた。父がくれた腕時計を見れば、時刻は午後五時。兄がいつも帰宅する時間だ。
『どうしますか、ワルツ様』
『殺せ』
そこへ、冷ややかな声が響いた。地を這うような低い声とは、こういう音を示すのだろうかと、瞬時に背筋に怖気が走ったルイスは、両腕で体を抱く。
『まだ子供ですが』
『子供は将来仇討ちをするからと、全員殺せというのが殿下の指示だ』
『はい』
ワルツと呼ばれた男は、黒い髪をしており、鋭い切れ長の眼をしていた。その瞳にはなにも映ってはおらず、ただ血溜まりを見下ろしている。直後、そこに兄の首も加わった。ワルツが、すいっと物置を見たのはその直後のことである。
――気づかれた。
――僕も殺される。
――いいや、殺されても構わない。家族を殺害した奴らなんか、絶対に許せない。
――殺してやる。
――それこそ、仇討ちがしたい。
そんな感情が廻ったルイスは、目が合ったワルツをまじまじと見た。するとワルツは目を眇めてから、またすいっと顔を逸らした。
『隊長? いかがなさいましたか?』
『別に。撤収するぞ』
こうして――ワルツと呼ばれた男と、大勢の部下達が出て行った。しん、っと家の中が静まりかえる。ルイスは、ほっと息をついてから、震える体で戸を開ける。そして、血溜まりの中にある三つの頭部を見た。次第にルイスの瞳からは、光が消えていき、そこには言い知れぬ暗い闇が宿る。
『――復讐してやる』
これが、ルイスが十歳の頃の記憶だ。
その後、騎士団長夫妻と後継者が殺害されたというニュースは、王国中を駆け巡った。そしてその日から、次男の行方が知れないという話も、それは同様だった。
ルイスはといえば、父が嘗て一度招いたことのある老人を探して、貧民街へと訪れていた。ルイスの父は、そこに住まう情報屋と懇意にしていた。目印の林檎が載る樽を見たルイスは、それを片手にとって、奥の扉をノックする。
『ああ、ここへ来たのか。ルイス様』
嗄れた老人の声がした。顔を見せる前に名を呼ばれて、一瞬ルイスは怯んだが、意識を切り替え、扉を開ける。すると目深にローブをかぶった老人が、手を差し出した。枯れ木のような指をしている彼の掌に、ルイスは林檎を載せる。
『どんな情報をお求めで?』
『俺の家族を殺した奴らを、倒す方法が知りたい』
『率直に言って、なにも出来ない陽の下を歩くガキに、出来ることなんざぁないですよ』
『なんでもいい、なにか、なにかないか?』
『――なんとかしたいんなら、まずは口の利き方を改めろ、坊主』
『っ』
『王宮に行って貴族として生きることが、まだ叶う。だが、それを捨てても復讐したいというのであれば……犯人達に見当はついているからな。お前に暗殺術を仕込んでやる』
これが、ルイスの新たなる第一歩となった。情報屋は、暗い目をしているルイスを見て、それが闇に近しいと感じ、いい殺し屋――捨て駒になるだろうと内心で考えていた。
こうしてルイスは、暗殺術を仕込まれ、実戦訓練として、情報屋をトップとした犯罪組織の仕事を請け負い、頭角を現す。しかし顔を見せないローブ姿のルイスは、寡黙で、誰とも打ち解けない。ローブの下の瞳は、どんどん暗さを増していく。
葛藤がなかったわけではない。結局の所己は人殺しであり、それはワルツと呼ばれたあの男と同じではないかと考える。だから、殺し屋として情報屋のもとで働く際、最後の仕事は決めていた。ルイスは、情報屋の首を刎ねた。そしてゆっくりと路地裏を歩き、久しぶりに太陽の下、街中へと出た。
現在、騎士団長は王弟殿下が務めている。副団長は、ワルツだ。冷静沈着で、冷徹に任務をこなすと評判の、優秀な右腕。それがワルツの評価だ。記憶をただせば、父達が殺害された時にも、『殿下』という言葉が出た。犯人は、情報屋も教えてくれたが、彼らである。騎士団長の位ほしさに、ルイスの家族は暗殺された――と、ルイスは考えていた。
――騎士団の団員は、常に募集されている。
この王国は平和で、身分差別もあまりない。だから、平民だと偽り、ルイスは独学で魔術を身につけたとして、騎士団へと入った。受け取った紫紺のローブを羽織り、シャツの首元のリボンを締め直す。騎士団の装束は、ゆったりとしたローブに慣れていたルイスには、少し堅苦しく思えた。
「ん?」
その時、不思議そうな声が聞こえた。ルイスが顔を向けると、そこにはワルツが立っていた。復讐の対象だ。ルイスは殺気を抑えることに躍起になりながら、上辺だけは頭を下げる。
「先日から魔術師部隊でお世話になっているルイスと申します」
名乗ったルイスを、まじまじと見ているワルツ。その切れ長の瞳が、どのような感情の色をしているのだろうかと、チラリとルイスは見上げた。ワルツは長身で、二十代後半の外見だ。ルイスより五つは年上のようだが、実年齢は調べても分からなかった。現在ルイスは、二十三歳である。
「――ルイス、ルイスか……そうか」
ぽつりぽつりと呟いたワルツの目は、値踏みするように冷徹だった。圧倒的な威圧感がある。長身だからではないだろう。何人もを手にかけてきた目だ。自分と同じ、死臭が染みついた空気がある。
「励むように」
そう言うとワルツは立ち去った。頭を暫くの間下げていたルイスは、それから背中を見送った。
――以降、ルイスはワルツの監視をした。そんなある日。ワルツが王宮の庭園に入って出てこない。入るところから見ていたが、他に人の気配もない。ワルツが一人でいるのならば、好機かもしれないと判断し、ルイスは何食わぬ顔で庭園へと入る。すると巨木の幹に背を預けているワルツが、白いものを抱いていた。片手には、ナイフを持っている。
「誰だ」
そこへ低い声がかかった。一瞬で気づかれたことに、気配を消すのが甘かった己を呪いつつ、ここは素直に出て、疑いを晴らすべきだと考える。
「魔術師部隊の者です。なにをなさっておいでなのですか?」
「――ああ」
虚ろな目を、ワルツが白いものに向ける。よく見れば、そこには仔猫がのっていた。前足の部分が紅色に染まっている。歩けないだろう。
「猫を保護したんですか?」
「――いいや。もうじき冬が来る。この足では、この猫は生きてはいけないだろう。治る前に雪が降る。だから……可哀想だから、殺してやるかと思ってな」
それを聞いたルイスは、思わず眉間に皺を寄せた。嘆息してから歩み寄り、杖を前に持つ。
「治癒魔術の心得があります」
「なに?」
するとワルツが驚いた顔をした。そして、猫とルイスを交互に見る。その時には、ルイスは思わず治癒魔術を使用していた。何故なのか、猫の死を見たくはなかった。元来のルイスは、死を忌み嫌う。依頼や実力磨きに人を暗殺するのと、無意味な殺生は、意味が違う。治せるものは、治す。それはルイスの数少ない偽善心だった。偽善だが、やらないよりマシだと、ルイスは判断した。
「……」
「治りましたよ」
ルイスが声をかけると、ニャアと鳴いて、猫が庭園の奥の茂みへと消えた。
「難易度が高く、一日に一度しか使えない上に、魔力の消費量が大きい治癒魔術を……猫に、か。そうか……」
ぽつりと、ワルツが言った。ルイスは我に返って、顔を背ける。
「――猫が、きちんと今後餌をとり育つか心配だ。ルイスだったな?」
名前を覚えられていたこと、顔と一致されていたことに、ルイスは驚く。
「明日もここへ、この時間に。俺も都合があえば、ここへ来る。餌の用意を」
「……畏まりました」
頷いたルイスは、だがこれもまた好機だと考える。二人きりになれば、それだけ首を刎ねる機会も増えることだろう。
こうしてルイスは、毎日休憩時間でもある午後四時に、庭園へと行くようになった。六割ほどの確率で、ワルツも顔を見せる。やはりワルツの方は、多忙らしい。猫は、ワルツによく懐いていて、餌を与えるルイスよりも、ワルツの膝の上を好む。
そんなある日のことだった。ワルツが不意に、唇の両端を持ち上げて、ニッと笑った。
「ワルツ副団長、どうかなさいましたか?」
「俺が笑っては変か? それと……ずっと言おうと思っていたんだが、呼び捨てで構わないぞ」
「そういうわけには」
「ルイス、今日、夜は空いているか?」
唐突な問いに、飛んで火に入る夏の虫とはこのことだと、ルイスは考える。
「ええ」
「食事に行かないか?」
だが、何故食事に誘われたのか、意図はいまいち掴めなかった。何故、笑っているのかも分からない。とにかく、普段は冷徹な人物だ。命令が下れば、なんでも成す。しかしこれは、好機だ。
「お供させて下さい」
「敬語じゃなくていい」
「そういうわけには」
「そればかりだな。では、待ち合わせをしよう。街外れのシチュー屋を知っているか?」
ルイスの脳裏には、王都全域の地図がたたき込まれている。
「位置は分かりますが、入ったことはありません」
「だったら、俺が最初に連れていくんだな」
何故なのか、ワルツは誇らしそうにそう言った。それから二人で庭園を出る。ワルツが歩いて行く。暫くの間見守っていると、無表情に戻ったワルツは、部下になにか指示を出していた。だが、すいっとルイスを見ると、不意に満面の笑みを浮かべた。ルイスは奇っ怪なモノを見てしまったと思ったが、それはワルツの直属の部下達も同様だったようで、その場に沈黙が降り、それからすぐに困惑のざわめきが起きた。ルイスは顔を背けて、立ち去ることに決める。視線が痛い。あまり目立つことは、仇討ちに支障が出るからしたくないというのに。
――夕暮れ時、ルイスは待ち合わせをしているシチュー屋へと向かった。すると既にワルツが来ていた。そしてルイスが扉を開けると、とても嬉しそうに微笑んだ。
こんな表情もするのか、と、そう思った時、ドクンとルイスの胸が一度激しく啼いた。そして気づけば、ドクンドクンと心臓の音がうるさくなっていた。まるで、こんなのは、親しい間柄のようではないかと考えてしまう。冷や汗が浮かんでくる。殺害する相手と親しくなってどうする? と、理性が囁いた。いいや、これは油断させるためにすぎない、と、理性は続いてまた嘯く。
「来てくれてよかった。この店は、キノコのシチューが絶品なんだ」
「お待たせしました。では、それを」
「ああ、絶品なんだ」
微笑したワルツの顔に、ルイスは惹きつけられる。何故なのか、見入ってしまった。嫌な汗が再び浮かんでくる。
「緊張しているのか? 表情が硬いぞ」
「……っ、その」
「慣れてくれ。これが、俺だ」
注文を手際よくワルツが終える。運ばれてきた水のグラスを傾けながら、ルイスは気を取り直して隙を探したが、ワルツにはどこにも隙が無かった。
この日から、時折庭園で約束をし、二人で食事をするようになった。
「はぁ……」
ルイスはその日、悩ましげな吐息を吐いた。どんどんワルツと、二人の時間が増えていく。先日など、騎士団の寮の部屋へ来ないかと誘われて固辞した。
「どうしたんだよ? 美人に溜息は似合わないぞ」
そこへ声がかかった。ルイスは顔を向ける。そこには、ルイスは名前を把握していなかったが、シモが緩いことで評判のちゃらっとした男がいて、へらりと笑うと、ルイスの頬に手を伸ばした。振り払おうとルイスが手を持ち上げる。だが、その直前。
「俺のルイスになにか用か?」
ぐいっとルイスは気配なく腰を抱き寄せられた。するとちゃらっとした男が真っ青になる。その場に殺気が溢れかえった。それにはルイスまで怖気が走る。ぎょっとして低い声の下方角を見れば、そこにはワルツの姿があり、射殺すような眼光を男に向けていた。
「とっとと鍛錬に戻れ」
「は、はい!」
男が走り去る。するとワルツが、より強くルイスの腰を抱く。そして耳元で囁く。
「大丈夫だったか?」
「ッ」
カッとルイスは赤面した。耳に触れた吐息と、もう聞き馴染んだ声音に、ゾクリとした。こんなのは、おかしい。
「ワ、ワルツ副団長、誰かに見られたら――」
「ん? みんながこちらを注視しているが」
「!」
その言葉に、慌てて周囲を見れば、ぎょっとした顔をしている騎士団の者だらけだった。
「俺には都合がいい。ルイスが俺のモノだと周知出来るからな」
「なっ……ど、どういう意味ですか……?」
「ああ、まだ伝えていなかったな。とっくに気づいているかと思っていたんだが」
「なにを、でしょうか?」
「俺は……ルイスが好きだ。結婚して欲しい」
ルイスはそれを聞いて唖然としてから、さらに赤面してしまった。この王国では、同性婚が認められている。だが――……と、ルイスの瞳に陰りが差す。確かに夢想すれば、ワルツとの結婚生活はきっと楽しく穏やかで心が躍るだろうが、そんな未来は来ない。何故ならば、この手でワルツを殺すのだから。
けれど――自分に果たして、それが出来るのだろうか?
力量という意味ではない。今、ルイスは自身の鼓動が煩い理由に、気づきつつあった。
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