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第11話 麒麟 慶寿

 秘果が蜜梨の胸に手をあてた。  真っ白な神力が、ふわりと浮き上がる。  蜜梨の胸を包んで溢れた神力が、体を包む。 『やめ……、やめろ! 本当に……、ぁっ』  秘果の手の中で丸く絡まった神力が、蜜梨の胸を打った。  小さな断末魔の後に、声が消えた。  胸の奥に蟠っていた痞えが取れた気がした。  体から、どっと力が抜ける。 「蜜梨ちゃん!」  秘果が蜜梨の体を抱え込んだ。 「今、降ろすね。鎖の封印は、もういらない」 「待って、まだ……」  完全には消えていない。  とても小さな、米粒のような凶が、魂にこびりついているのを感じる。 「嘘じゃ、なかったかもしれない」 「え……? さっきの凶玉の言葉が? 蜜梨ちゃんが凶に染まっているって話?」  秘果の声が震えている。 「染まっては、ないけど。完全に消えてない。俺の中に、凶玉の欠片が、残ってる」 「だったら、もう一度、浄化を」 「魂にこびりついてる。浄化したら、俺、本当に死ぬかも」  理屈を知らないから、上手く説明できない。  けれど、何となく、そう感じた。 「そんな……」  秘果の抱く腕に力が入った。 「折角、見付けたのに。折角、また会えたのに」  抱き付いた秘果が蜜梨の体に縋り付く。  その姿が、夢に見る少年に重なった。 「泣かないで、秘果。俺はもう、いなくなったりしないから」  唇を寄せて、耳元で囁く。   「蜜梨ちゃん、俺は」  秘果が顔を上げた。  目を涙で潤ませて、顔を歪ませる。 「もう失いたくないんだ。今度こそ、俺が蜜梨ちゃんを守る竜でいたいんだよ」  優しいのでも、格好良いのでも、怖いのでもない。  不安と悲しみを隠さないその顔に、心臓が揺れた。 (この顔、知ってる。秘果は強くて才もあるのに、自信がなくて不安になってばかりで。だから、俺は)  側にいなきゃいけないと思った。  秘果の、黄竜の導仙になって、一番近くで秘果を支えたい。  そんな風に思っていた。 「秘果さん、俺……、俺も」  不意に鎖が緩んだ。  落ちる体を秘果が支えてくれた。 「どうして急に、封印が」 「随分と派手に壊したものだね、秘果」  壊れた壁の向こうに男性が立っていた。  成熟した大人の姿をした男は、神々しいほどに落ち着いた神力を纏っていた。 「慶寿様。申し訳ありません」 「普段は大人しいのに、蜜梨が絡むと途端に行動が過激になるのは、幼子の頃から変わらないな」  慶寿と呼ばれた男性が、秘果の頭を撫でる。  秘果が、ばつが悪そうに俯いた。  慶寿の目が蜜梨にむいた。  優しく微笑んだ目を懐かしいと感じた。  慶寿の指が封じの鎖に触れる。  総ての鎖が一瞬で、弾けて消えた。 「鎖が、なくなった……」  蜜梨は自分の手足を、まじまじと見つめた。 「もう必要ないからね。それだけ小さくなった凶玉では、今の蜜梨に悪さできない」  慶寿が蜜梨の前に膝をついた。 「おかえり、蜜梨。あの時、何もできなかった私に、これから償いをさせておくれ」 「あの、えっと……」  返答に困る蜜梨の手を、秘果が握った。 「この方は麒麟の慶寿様。桃源を統治する神獣の長だよ。蜜梨ちゃんも、何度も会っているんだ」 「そうなんだ」  慶寿の指が蜜梨の額に触れた。 「まだ記憶が曖昧なようだね。凶を祓いきっていない影響だろう」  秘果の顔が険しくなった。 「慶寿様、蜜梨ちゃんの中の凶は魂にこびりついているようで、祓えば蜜梨ちゃん自身にも影響が出るかもしれません」  蜜梨の額に指をあてたまま、慶寿の表情が険しくなる。 「三百年、凶玉を自分に封じていた蜜梨の体が無事であるはずがない。これで済んでいるのは、むしろ奇跡だ。しかし……」  慶寿の指が額から離れて、胸を滑る。 「凶と蜜梨の魂の一部が、融合している。無理に払えば、蜜梨も消えてなくなる」 「そんな……。どうしたら、良いんですか? 凶を祓う法はないのですか!」  慶寿の腕を強く掴んで、秘果が前のめりになった。 「少しずつ、浄化するしかないね。濃い神力を徐々に流し込んで、魂を包みながら凶だけを溶かすしかない。時間をかけてね」 「少しずつ、ですか」  慶寿の言葉に、秘果が残念そうに俯いた。 「方法がないわけではない。時間がかかるだけだよ。あれだけの大凶を抱えてくれていたんだ。死んでいても、おかしくはなかった」 「わかっています。だけど」  秘果の表情は晴れない。  困った顔で、慶寿が息を吐いた。 「あの……、凶玉の中にいた凶って、どんなやつだったんですか?」  何気なく聞いた蜜梨の言葉に、慶寿と秘果が振り返った。  びくっと肩が上がった。 「凶玉の中に封じていたのは、饕餮(とうてつ)。四凶の一角で、喰うほどに強くなる悪神だ」  どくり、と心臓が嫌な音を立てて下がった。

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