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第26話 麒麟の啓示
「蜜梨は次代の麒麟が選んだ瑞希、この桃源を守る存在だ。自信を持ちなさい」
秘果に選ばれたといえば、そうなのだろうが。
実感も何もなくて、自信なんて、どう持てばいいのかさえ分からない。
「でも俺、何をどうすればいいのか、何もわからなくて」
「時期にわかるよ」
慶寿の手が蜜梨の胸に触れた。
「瑞希とは、その世代に一人しか現れない特別だ。先代が去り、次代が桃源の要を引き継ぐ。唯一無二の特別、故に凶に好まれる。特に蜜梨は歴代の瑞希よりその傾向が強い。今の状態は、致し方ないね」
慶寿が残念そうに呟く。
魂に絡まった饕餮と契約を交わした話を、慶寿にはしていない。
蜜梨の神力が戻るまでの期間限定だから内緒にしようと、秘果と決めた。
(バレてそうな気がする。そもそも慶寿様に隠し事とかできるのかな)
桃源そのものである慶寿に、秘密になどできるのだろうか。
「慶寿様、俺……。昨日、怖い夢を見て」
「夢、か。秘果と心惟に聞いても、何も教えてくれなかったのかな」
心惟という名が慶寿の口から出て、ドキリとした。
(やっぱり饕餮と契約したの、バレてる。心惟って名前は、三人しか知らないはずだもんな)
慶寿に隠し事は無意味だと悟った。
蜜梨は静かに観念した。
「……二人が俺に何も言わないのは、俺が知らないほうが良いと判断したからだと、思うんです。けど、俺は、知らないままでいいとは、思えなくて」
秘果の気遣いを無碍にするようで申し訳ないとは思う。
過去なんか思い出さないほうがいいのかもしれないとも、思う。
(でも、納得できないんだ。ちゃんと知らないと、受け止めないと、秘果さんに自分の気持ち、伝えられない)
慶寿の手が、蜜梨の髪をさらりと撫でた。
「何で俺は、今までの瑞希より凶に好まれるんですか? 饕餮が、心惟が魂に絡まっているからってだけじゃない、ですよね?」
歴代の瑞希より凶に好まれるからこそ、蜜梨の魂には今、四凶の饕餮が絡まっているのだろう。
三百年前の事件とも、昨晩の夢とも、きっと無関係ではない。
「そうだね、事情はある。それは蜜梨が失った記憶の中にもあるし、今の桃源でも探せるよ」
慶寿の手がやんわりと蜜梨の頭を抱いた。
ふわりと胸に抱かれる。部屋に薫るのと同じ香が鼻先を掠めた。
「秘果の気持ちが、わかるね。何も知らないまま、今の蜜梨のまま、瑞希の儀式を済ませてしまいたい。けどそれを、蜜梨は望まないだろうね」
「慶寿様でもそう思うくらい、知らないほうが良い事実なのですか?」
皆が蜜梨の記憶が戻るのを望まない。
だとしたら知りたいと願うのは、ただの我儘だ。
「自身の過去を知った時、蜜梨がどう感じ、どう判断するのか。秘果は、それを恐ろしいと思うのだろう。私も同じだ」
慶寿が強く、蜜梨の体を抱き寄せた。
「私たちの可愛い蜜梨を、手放したくないんだよ。変わってほしくもない。ただの我儘さ」
「過去を知ったら俺は、慶寿様や秘果さんにとって必要ない存在に、なるんですか?」
もういらないと言われるのは、蜜梨だって辛い。
慶寿が目を合わせて、首を横に振った。
「蜜梨の価値は変わらない。過去を取り戻そうと、私たちは蜜梨を望む。しかし蜜梨にとって、私たちが無価値になるかもしれない」
「……え? そんなとこ、あるわけ」
慶寿も秘果も、心惟だって、蜜梨にとって無価値になるなんて、有り得ない。
何を知ろうと、変わらないはずだ。
「沈んだ意識に侵食してきたとあっては、時間の問題だ。避けては通れないだろうね」
蜜梨の頬を撫でる慶寿の手つきが悲し気で、蜜梨は何も言えなかった。
「霊亀がちょうど中津国の真北に差し掛かる。蓬莱山の花窟の魂と、北国に安置される冥界箱の中の凶玉が、最も近づく時期だ」
「蓬莱山、花窟……」
ドクリ、と心臓が下がった。
動けなくなったあの時と同じだ。
「ぁ……、俺、あの時……」
知らないはずの景色が頭の中に浮かび上がる。
大きな窟、白い岩窟、無数の魂とたくさんの凶。
秘果に伸びた、黒い魔手。
水音がまるで忍び寄る足音のように蜜梨に近付いた。
「いや、だ……。怖い、でも、秘果、が……」
怖くて、慶寿にしがみ付いた。
額に慶寿の唇が押し付けられた。神力が流れ込んできて、怯えて震えた心が凪いでいく。
慶寿が蜜梨を抱き寄せた。
「記憶を取り戻すなら、今のような感覚と、蜜梨は対峙し続けないといけない。できるかい?」
すぐには返事が出来なかった。
気持ちは落ち着いても、体の震えが消えない。
慶寿の腕に抱かれて、安心しているはずなのに、怖さが消えない。
「蜜梨が望むなら、記憶を辿る道を示そう。今のまま、この邸宅で神力を高めて、瑞希の儀式に望んでも構わない。選ぶのは、蜜梨だよ」
選ぶのは、自分。
与えられた選択を噛み締めて、蜜梨は慶寿にしがみ付いていた。
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