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プロローグ
─── 2028年2月某日。
黒崎遼 はリビングでひとり、2人掛けのソファに腰掛けていた。いつもは隣に座っている恋人が帰って来るのをぼんやりとスマホをいじりながら待つ。
───今日の夕飯はいらないし明日の朝用の食パンもあるよな。明日は朝飯食べたらふたりで出かける予定だから昼と夜の心配する必要もないし………あー……でも来週の弁当の食材あったっけな……
そんなことを考えながら立ち上がり、冷蔵庫の中を確認しに行く。
見てみると野菜は十分あるものの卵と肉が思ったよりも少ないことに気付き、遼はスマホのメモアプリをたちあげ【買い物:豚肉・卵】と入力した。
これで良し、と冷蔵庫を閉めソファに戻る。
再びスマホの画面に目を向けた時、反射した自分の姿を見て前髪が意外と伸びていることに気付いた。
スッと通った鼻筋に薄い唇。目自体は特別大きいわけではないものの人形のように長いまつ毛がくっきりとした二重瞼に柔らかな影を落としている。
一般的に端正とされる容姿だが遼自身にとってこの容姿は特別な意味や価値を持たないものだった。髪型や髪の長さにも特にこだわりはなく、伸びた前髪を細い指でいじりながらいつ切ろうかと考える。
───来週にでもいつもの床屋に行って切ってもらうかな。いやでも全体的なカットならともかく前髪だけだし……自分で切ってもいいか。それかこの際ばっさりショートにしても……
そんなことを考えながらスマホでメンズヘアの一覧を調べていると、玄関の鍵が開く音と共に「ただいまー」という恋人の声が遼の耳に届いた。
「ただいま。悪い、帰りがけにこれ買ってたらちょっと遅くなった」
恋人である白上朔 はそう言いながら遼の隣に腰掛けた。その両手にはコンビニで買ったと思われるホットコーヒーがあり、蓋の隙間から微かな湯気がたちのぼっているのが見えた。
「あぁ、おかえり……ありがと」
スマホから顔をあげ温かいコーヒーを受け取る。一度目の『ただいま』が聞こえた時点で既に遼の意識はその声に全て向けられておりスマホはただの電子板でしかなかったが、口にするのは恥ずかしく二度目の『ただいま』が聞こえるまでスマホに集中してて気づかなかった風を装った。
「今夜の食事会、19時からだったよな。何時ごろに出る?」
コーヒーを口につけながら朔が遼に尋ねる。
「18時半くらいでいいだろ。荒木 先生が予約してくれた店、調べたらうちから徒歩で10分もかからない場所だったし」
朔の日本人離れした青い瞳と金色の髪が自分のほうに向いているのを視界の端に捉えながら、遼はあえて正面を向いたまま答えた。高校卒業と同時に始めた同棲はもう10ヶ月になるというのにいまだに近距離で正面から顔を見ようとすると妙に緊張してしまう。けれど男2人で座るには少し狭いソファでお互いの肩が触れ合うほどくっついて座るのは心地よく、遼にとっては最も安心できる場所の1つだった。自分の感情と行動の矛盾に内心で苦笑する。
「A組もB組も先生達も全員来れることになって本当に良かったな」
今夜は朔の元担任である荒木行きつけの居酒屋で食事会───もといプチ同窓会が行われる予定だ。朔の言葉に頷きながら遼は改めて今日のメンバーを頭に思い浮かべる。
自分が所属していたA組の元クラスメイト3人、朔が所属していたB組の4人、それぞれのクラス担任を含めた計10人。4名ずつのクラスが2つ、それぞれ担任がひとりずつという学年だったためこの10名で全員が揃っていることになる。
卒業からまだ1年経っていないのに、懐かしさすら感じる。それと同時に、朔が言うようにこうしてまた顔をあわせる機会があることがたまらなく嬉しい。遼の19年間の人生の中で朔や同級生達と出会い過ごした1年半の高校生活はそれほどに特別なものだった。
「………!やばっ、もうすぐ17時じゃん。俺買い物行ってくる」
ふと目に入った壁掛け時計を見て、ぼんやりと感傷に浸りかけていた意識を慌てて現実に引き戻す。コーヒーも一気に喉に流し込んだ。
「え、買い物?今から?」
「さっき冷蔵庫確認したら卵と豚肉がそんなに残ってなかったから、いつものスーパー行ってくる。明日は朝から出掛けるし今のうちに行っておいたほうが来週楽だからな」
「待って、外寒いから俺が行くよ」
そう言って朔は、立ち上がりかけた遼の左手に自分の右手を重ねた。それだけで付き合いたての頃のように遼の心臓は大袈裟に跳ねる。
「い、いいよ、帰ってきたばっかりなんだから休んでりゃいいじゃん」
繋がった手から自分の心臓の音が伝わりそうで怖かった。でもこの手を自分からは離したくない。
「別に休むほど疲れてない」
「じゃあ代わりに明日の準備でもしといて」
「昨日の夜ふたりでやったじゃん」
「………………。」
返す言葉がなくなり少し沈黙した後、遼は諦めたように「………一緒に行く?」と尋ねた。 想定外の提案だったのか朔は一瞬きょとんとした表情をしたものの、すぐに笑顔になり重ねられた右手にぎゅっと力が込められた。
「……いつも言ってるけど手なんて繋いで行かないからな」
そう言って繋がれてた手をパッと離し、朔から顔を背けた。一緒に行くと決まった途端、さっきまでの自分の甘えた態度が急に恥ずかしくなってくる。
後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくるのを無視して遼は上着を取りにクローゼットのある部屋へ向かった。
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