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第1話

『久しぶり、元気ですか? 毎日茹るような暑さが続きますね。夏になると萩亥佐で過ごした日々を思い出します。またあの川で青葉と泳ぎたいな』 ーーー 「深海〜、どうした〜?練習行くぞ」 ドアの外から声をかけられ、深海道耶はそれまで見つめていたスマートフォンの画面を消した。 「あぁ・・」 小さな声で返事をすると、手に持っていたそれをスポーツバッグに放り込み友人の高尾が待つ寮の廊下へと出た。 ガチャガチャと部屋の鍵をかけていると、高尾がチラリと道耶のスポーツバッグに目を向ける。 「さっき、すげー真剣な顔してたけどスマホで何見てたんだ?」 「・・・別に。天気予報とか」 道耶はぶっきらぼうに答える。 「マジで?全然そんな感じしなかったけど。なんか不機嫌そうな、ブスっとした顔だったけど」 「・・悪かったな。俺はもともと不機嫌そうな顔してるんだよ」 「え〜、それは否定しないけどさぁ。まぁいいや、早く行こうぜ。今年の一年みんな来るの早いんだよ。偉いけどさぁ・・その分俺らの方が遅いと一年に示しがつかないって部長怒るんだもん。勘弁してほしいわ」 高尾が両手を頭の後ろで組みながら言う。 「真面目なのは良いことだろ。それに去年のお前の行いを見てたら部長が厳しく言うのもわかる」 「だってこんなに寮生活が細かくて厳しいなんて思わないじゃん。強豪校なんて入るんじゃなかったってホームシックになったわ。最初は朝起きるのも嫌で仕方なかったなぁ」 「だから俺が起こしに行ってやってたんだろ」 「へいへい。深海君には感謝しかないよ。まぁ、それでも一年ちゃんと耐えて進級したんだから俺偉くね?!」 なぜだか自慢げに高尾が笑う。 それが普通だろうと、道耶は内心思った。 「そういや、深海は春休みも里帰りしなかったん?」 「・・してない。だってほとんど練習だっただろ」 「まぁ、そうだけど。でも俺みたいに日曜日だけ帰った奴とかは何人かいたよ。俺は隣の県で近いからってのもあるけどさ」 「・・俺は、冬に両親には会ったから良いんだよ。それに普段は二人とも海外飛び回ってるから日本にいないし」 「え、マジで?初耳。じゃあ深海も中学までは海外?あれ、でも出身校はたしか四国の方だよな?」 「・・・親が海外転々として落ち着かないから、中学は祖父母の家から通ったんだよ」 「あぁ、なるほどね」 「ほら、いいから早く行くぞ。本当に遅刻する」 道耶はそう言うと小走りを始める。寮の中で走ることは禁止されているからだ。 「ちょ、待てよ!元はと言えば深海がダラダラと怖そうな顔でスマホ見てたからだろ〜」 少し後ろで慌てて走り始める高尾の声を聞きながら、道耶は待つことなく進んだ。 タイムだけでいえば、高尾の方が速く一年生の時から良い成績を収めている。 今年こそは自分も結果を残さなくては。 そうしなければ、強がってあの地を離れた意味がない。 それに、もしかしたら自分の結果を『あいつ』もネットなどで見ているかもしれない。 今の時代、スマートフォンがあれば遠く離れた人のこともちょっと調べればわかってしまう。 SNSなんてもっと最悪だ。 芸能人でもスポーツ選手でも政治家でもない、ただの人間のプライベートな姿が平気で晒されている。 恐ろしい世の中だと思う。 けれど、そう思いながらも結局自分だって見てしまっている。 画面のどこかに『あいつ』が写っていることを期待して・・ ——— 「はい!みんな写真撮るから集まってー!SNSに写真載せるのNGな人は後で先生に教えてくださいー!」 担任の園部先生がスマホを片手に叫んだ。 「先生ー、ちょっと待って。志朗がまだきてないですー!」 そう言って、民屋青葉は周りを見回す。 新学期が始まったことをSNSで知らせるために、桜が綺麗に咲いた校門の前で全学年で集合写真を撮ることになった。 全学年といっても全部でたった二十五人だ。 それでも今年は一年生が十一人も入ってくれたおかげで、去年よりも生徒数は多い。 「いや〜、嬉しいね。自然留学制度がだいぶ浸透してきてくれたおかげかね〜」 副校長が校門の前に集まってきた生徒を見ながら嬉しそうに言う。 「寮を新しくしたのも良かったんですよ、きっと」 園部先生は学校の横に建つ二階建ての綺麗な水色の建物に目をやった。 それは巳千高校萩亥佐分校に隣接する、学校の寮『清流寮』の建物だ。 『清流』と言う名前なのはここが一級河川の巳千川の上流近くにある場所だからである。巳年の巳に千と書いて『みせん』と読むのだが、由来はよく知らない。 以前この辺りは萩亥佐村という村だったが、隣の市と吸収合併して巳千市となった。 しかし大きな市と合併したからと言って、この萩亥佐地区の人口が増えるわけではない。 青葉が通っていた中学校も同級生は八人ほどだった。 さらに高校となればほとんどが市の中心にある巳千高校の本校か、隣の市の学校へと通う。 青葉のように親の仕事を手伝うためや、早起きがキツイと言ってこの地区に残されていた巳千高校の分校に決めたのはわずか三人だった。 そんな生徒数減少の中でも、この分校が成り立っているのは都会に住む生徒を受け入れる『自然留学制度』があるからだ。 その制度を始めたのは今から五年ほど前だと聞く。 この寮は元々山間の方から通う生徒のための寮だったそうだが、人口減少で使用人数は減っていった。そこで寮を建て替え、『自然留学』という名目で都会からの生徒を募ることにしたのだ。 その狙いは当たり、生徒数は右肩上がりになっている。 「あと守月君だけよね。椎名君、今日守月君見かけた?」 園部先生が困った顔をして椎名に声をかける。 椎名は『自然留学』を利用して九州からやってきた寮生だ。入学当初は大人しく警戒心の強い雰囲気だったが、一年が経った今ではずいぶんと自然に話せるようになった。 「姿は見てないです。一応寮を出る前にドアの外から声をかけたら返事は返ってきたんですが・・」 「うーん。じゃぁ起きてはいるのかしら」 「先生、俺寮まで見てきます。志朗もしかしたら二度寝したのかも」 青葉はスマホで電話をかけながら園部先生に手を上げる。 呼び出し音は鳴るが電話に出そうな気配はない。 「そう?じゃぁ民屋君にお願いしようかな」 「了解です!」 青葉は元気よく答えると、寮の方へと走って行った。 玄関から中を覗く。特に物音はしない。 一階に食堂、風呂と、女子が使用する六個の個室、そして二階には男子用の十四の個室がある。トイレはそれぞれの階にあり、テレビは食堂にしかない。 今年の寮生は三学年合わせて十八人。 寮の定員は二十人なので二部屋余っている。 守月志朗の部屋は二階に上がり右手側の一番奥だ。 青葉は玄関で靴を脱ぐと迷うことなく、志朗の部屋を目指した。 入学して一年、何度となく志朗を起こしに来たのでもう慣れたものだ。 コンコンと少し大きめの音でドアをノックした。 中から返事はない。 今度は手を拳にし、ドンドンと強めに叩いてみる。 すると微かに物音が聞こえた。 「はぁい。中入っていいよ〜」 のんびりとした声が聞こえたので、青葉は勢いよくドアを開く。 「おはよう、青葉〜」 半袖シャツに短パン姿の志朗がちょうどベッドから立ち上がるところだった。 「志朗!今日は授業の前に写真撮るから、いつもより早く学校来いって先生言ってたろ!?なのになんでまだ制服も着てないんだよ?」 青葉は眉を吊り上がらせて言うと、ドカドカと部屋の中に入る。 それからハンガーラックに掛けてある制服を手に取ると、シャツから順に志朗に渡していった。 志朗は先ほどまで着ていたシャツと短パンをベッドの上に置くと、青葉から渡された順に制服を着ていく。 志朗が最後のスラックスに足を入れている間に、青葉は充電器に繋がれたままのスマートフォンを抜き黒のリュックサックに入れた。 「ほら!行くぞ!」 「おっけー、ありがと」 ゆっくりと靴下を履きながら志朗がお礼を言う。 青葉は志朗が履き終わらないうちに部屋を出ると、先に玄関へと向かった。 志朗は去年、東京から『自然留学』で入学してきた生徒の一人だ。 初めて志朗を見た時、『やっぱり東京の人は違うんだな』と思うくらい青葉には彼が眩しく見えた。 細身だがスラっとした体型に、焦茶色に染められた髪はキレイにセットされ中性的な顔立ちはまるでファッションモデルのようだった。 実際志朗に「モデルとかやってた?」と聞いたこともある。志朗は鼻で笑い「まさか」と言って首を横に振った。 しかし初めの印象こそ眩しいものだったが、入学して次第に彼のマイペースな性格がわかってきてその輝きは薄れていった。 朝起きるのは苦手らしく、寮の朝食を食べ逃すのは日常茶飯事だ。お腹を鳴らして授業を受けていることが気になり、青葉は家からおむすびを作って志朗に渡すようになった。 青葉の実家はこの辺りで唯一の食堂を営んでいる。親族経営で、父母それに父の妹の叔母二人で店を回している。 青葉は一人っ子だが小さい頃から叔母達の子ども、つまり青葉のいとこの相手をすることが多く、気がつけば面倒見のいい性格になっていた。 志朗の世話をつい焼いてしまうのもそのせいだ。 わざわざ東京から一人でやってきた、マイペースな志朗のことがほっとけないのである。 「先生お待たせ〜」 青葉が園部先生に手を振る。 「あー、やっときた。じゃぁ民屋君と守月君はここ並んで!」 園部先生に指示され、青葉は志朗の腕を引っ張って生徒達が並んでいる列の後ろについた。 「守月先輩おはよございまーす」 「今日もかっこいい〜」 入学したばかりの一年生の女子達が志朗に話しかける。今年の新入生の女子生徒は全員寮生のため、すでに志朗とは顔見知りだ。 志朗はニコリと笑うと軽く手を振って正面を向いた。 —— 「守月先輩かっこいい〜だって。いいよなぁ、本当」 集合写真の撮影を終えて各教室に入るなり、クラスメイトの栄一が大きな声で言った。 「だって実際かっこいいもんね〜。素直な一年生達じゃん」 風香が腕を組みながら笑う。 栄一と風香は青葉と同じ、ここ萩亥佐の人間で小学校からの同級生だ。 二年生は全部で八人、この三人を除いた五人は皆寮で暮らしている。 「守月君、春休み明け東京から戻ってきたら綺麗な髪色になっててビックリ!そういうの何色っていうの?」 風香は自分の机にダランと座り込む志朗に目を向けた。 「これ?なんだっけ・・ミルクティーベージュとか言ってたかなぁ」 志朗は灰みがかった明るい茶髪の先を、指でクルクルとさせながら首を傾げる。 「髪型もマッシュヘアでめっちゃ似合ってる!でもちゃんとセットしないとすぐボサボサになるよ〜。私が朝やってあげようか?」 寮生でもある辻井という女子生徒が志朗の髪を撫でながら言った。 「あはは。いいよ、別に。どうせすぐ伸びちゃうし」 志朗は笑って言うと、栄一の隣にいる青葉に視線を向けた。 「青葉、お腹空いちゃった」 「今日は何もないぞ。さすがに新学期くらいはちゃんと起きて来ると思ってたから」 青葉が口を尖らせて言うと「えぇー。そっかぁ」と落胆の声を上げて志朗は机の上に腕を伸ばした。 せっかくのイケメンもこのだらしなさでは台無しだ、と青葉は思う。 そして、よくこれで家を出て寮生活をしようなどと考えたものだ。 去年、入学してすぐ志朗になぜわざわざ東京からこの萩亥佐の分校に来たのか聞いてみたら、『田舎生活をしてみたくて』というありきたりな答えが返ってきただけだった。 実際、志朗はここでの暮らしを楽しんでいる。しかし本心はいまいち分からない。 いつものんびりとマイペースに過ごし笑っているが、どこか自分には踏み込ませない雰囲気を持っている。 それでも人当たりの良さでこの二年の教室は志朗を中心に回っていた。 「あー。俺も東京のオシャレな美容室とか行ってみて〜!それでかっこいいって言われて〜!」 栄一が叫びながら両手を上げる。 「そんなこと言っていいの栄ちゃん?凪ちゃんに栄ちゃんがかっこいいって言われたがってるって伝えとこうかな」 青葉が揶揄うように言うと、栄一は慌てて手を振った。 「げっ!やめろよ!また凪ちゃんに子供扱いされる!」 凪とは栄一の二つ上の彼女だ。と言っても付き合い始めたのは先月からで、凪の高校卒業の時に栄一から告白をしOKをもらったのだ。 「栄一がまさか凪ちゃんと付き合えるとはね〜。人生わからないわ」 風香は肩をすくめる。 「フーコだってそのうちいい出会いあるって」 青葉が机の上に座って言った。 「・・青葉は本当適当だなぁ。って言うか、もうフーコって呼ぶのそろそろやめてほしい〜」 「えぇ。今更風香って呼ぶ方が違和感あるじゃん?」 「でも私のことフーコって呼んでんの青葉だけだし。っていうか青葉、昔全員にあだ名付けてたよね」 「そうそう!こいつ、とりあえず仲良くなるためにあだ名をまずつけんの。俺は速攻で栄ちゃんだったけど」 栄一も横から話題に入ってくる。 青葉はギクリとしてこっそり志朗の方を見た。この話題はできたら志朗の前では避けたいのだが、当の志朗は聞こえているのかいないのか、よくわからない顔でスマホを見ている。そんな青葉の気持ちを知らない栄一が笑いながら話しを続けた。 「青葉すげぇなぁって思ったのがさ、中2の時に東京から転校生が来たんだけどそいつがとっつきにくい奴でさ。無愛想だし会話続かないしでみんなどう接していいか迷ってたら、青葉がいきなりそいつのことあだ名で呼んだの。本当急に。あの時一瞬クラスの空気固まったよな」 「あはは!固まった!青葉が『みっちゃん!』って叫んで、みんな『みっちゃんて誰?』って顔して教室見回して。それで、あの転校生のことかぁってみんな驚いてたよね」 風香も懐かしそうに話す。 「・・・」 「青葉?」 青葉が視線を落として無言でいるのを見て、栄一が声をかけた。 すると青葉は慌てるように顔を上げて、眉尻を下げて笑う。 「あ・・・いや、そんなことも、あったよなぁ〜、はは」 青葉から反応があったことに安心したのか栄一は再び話し始めた。 「てか俺東京の人って言ったらあいつのイメージになってたから、守月が東京出身て聞いて最初警戒しちゃったもんね」 「えぇ?俺?」 志朗が席に座ったままスマホから視線を上げて自分を指差す。 「でも守月が穏やかすぎて拍子抜けした。やっぱ東京だからって一括りにしちゃいけないな」 「そりゃそうでしょ。東京なんて人口多すぎて千差万別だって。いろんな奴がいるよ」 机に頬杖をついて志朗が言う。「それで、その転校生君はどうなったの?」 青葉の頬がピクリと動いた。しかし口は噤んだままだ。 代わりに風香が顎に指を当てて答えた。 「結局あんまり馴染まないまま卒業になちゃったよね。高校も広島県だかの陸上強豪校に行くとかで寮に入るからいなくなっちゃったし。だから青葉のあだ名付け作戦は失敗で終わり」 「あいつ、あんな無愛想で寮とかでうまくやれてんのかねぇ」 栄一と風香は顔を見合わせて、笑いながら首を傾げる。 その間も青葉は黙ったままだ。 志朗はよく知らない人物の話題に飽きたのか、笑顔を浮かべたまま窓の外に目を向けた。 そんな志朗を見て、青葉も釣られるように窓の外を見る。 もうすでに散り始めている桜の花びらが風に舞い上がっている。 この時期の萩亥佐は桜のピンク色と巳千川の濃い青が映えてとても綺麗だ。 —そうだ、写真を撮りに行こう。 そして早くSNSに載せなくては。 人口も観光客も減ってきている、この地域を少しでもアピールするために。 それから・・どこかで期待している。 あいつが今も『ここ』を忘れないでいてくれていることを。 だからせめて、画面越しに春を届けたい。

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