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22 歪な婚姻
「…………」
「……は、……」
息をするのさえ忘れていた。――ユンファ殿の、物憂げな切れ長の白いまぶた、その伏し目があまりにもお美しい。
これほどお綺麗な方が、あの醜男ジャスル様のご側室か。――言わせてもらえば、全く不釣り合いだ。
しかし狼の俺ならば、これほどに美しいユンファ殿であっても、まず惚れぬ――。
いや、仮に惚れてしまったとしても、主人であるジャスル様の側室であらせられるユンファ殿に、まさか俺が手を出すはずはない。
ジャスル様はそうお考えだからこそ、俺に、このお方の護衛を命じられたのだ。――しかし、そうであっても念には念を、俺たちはたったひと言言葉を交わすことさえ許されておらず、…また俺は、この出入り口から一歩も動いてはならぬ、と。
そうして狼の俺を信じていながら、それでも、それほどにジャスル様が警戒しているのは、あの人がそれだけ独占欲の強いお方である、ということの証でもあるが――しかし今までの側室のときより、いくらも厳しいようには思う。
それはやはり、ユンファ殿がとびきり美しく、また大変珍しい蝶族であるために――よほどユンファ殿には、下手な貴石よりも価値があるのだろう。
「…………」
「……、…」
しかし――境遇が、よく似ているからだろうか。
俺は、この暗い顔をして俯くユンファ殿を見ていて、正直、同情を禁じ得ないでいる。
可哀想に、と思うのだ。
遠方からはるばるこのノージェスへやってきているのだから、どっと重たい旅疲れだってあるだろうに。――ましてや慣れないこの国の、この見慣れぬ洋式の部屋に閉じ込められて…――その辛さ、俺にはよくわかる。
だというのにいまだ、男も女も、この蝶族のユンファ殿を一目見たいと外ではやし立て、その人への遠慮や配慮の欠片もなく、全く騒がしくしている。
「…ソーンジュうぅぅ! 頼むよお!」
「ユンファ様、ユンファ様? いらっしゃるんでしょう?」
「ケチケチするなよ、っとに、これだから堅物は……」
「…蝶のお方をちょっとだけ見たいってだけじゃない。何よそんな、意固地になって。」
「すんごい優しい方なんだって? 腰が低くてさぁ」
「やっぱりお顔が美しい方は、心もお綺麗なのよ〜」
「他の側室も見習ってほしいよなぁ」
「しっ…滅多なこと言わないの。どうなることやら…」
「なあなあ、ジャスル様には言わないからさ、ちょっとだけ、なあソンジュ…」
「……ふぅ…、…」
眠るにしたって、これではあまりにも騒がしすぎる。
それこそ…これではあの大きな窓から、のんびり月を眺める自由さえなく、疲れた体をゆったりと休ませるも叶わず――付け加えれば、不安を紛らわすために俺や、誰かと会話を交わせるような自由もない…、ともなればユンファ殿は今、このようにただ寝台に座り、孤独に俯いているしかできないのだろう。
「…………」
「…………」
まさに彼は、籠へ押し込められた蝶のようだ。
どんな蝶よりもひと際に美しいが、しかしだからこそ、誰よりも美しいが故に、外で自由に羽ばたくことさえ許されていない。…珍しい蝶を見せて見せてと集まる観覧客に、ただ怯えて籠の中、外を見る自由すらない。
さながらこれでは、…やっと己を囚えていた籠から出られた――そう思ったら、その美しい羽根をちょんと摘まれて、また別の籠へと押し込められ、また囚われたというようだろう。
それどころか、今度の籠は――その美しい蝶を見せびらかし、自慢し、進んで見世物にするような持ち主の籠だ。
これでは、あまりにもこの方が哀れである。
ましてや――いくらジャスル様が、この国ノージェスの英雄とはいえども、だ。
ご身分で見れば一見、釣り合いが取れているようであっても、なのである。
俺にはどうも、父親とその子どもほどに離れた同士の歪 な婚姻――そのようにしか思えぬ。
それこそ中年男の元へ嫁いだうら若き彼が、こう悲観するのはなんら、無理もない。
年の差、推定でも二周り以上か。
この国でだってそれが普通、なんてことはないのだ。
大概は同年代同士の恋人、あるいは配偶者が普通の、このノージェスの基準から見ても――これほど年の差のある婚姻は、正直歪ともいえる。
まして…両性具有とされる蝶族とはいえ、ユンファ殿は男であり――当然女ならよいというわけではないが、政略結婚でもまだ女のほうが、世継ぎへの覚悟をいだきやすいように見受けられるものの――男が子を産むためだけに、この遠く離れた国へ連れてこられたようなものなのだ。
付け加え、あのように大勢の目の前で汚辱を味わわされ、しかもそれで勃起するような変態男の赤子を、孕め、孕めと。
あまつさえ、ユンファ殿のその美しい容姿、その蝶族の肉体にばかり、一方的に下劣で淫猥な目を向けられている、この婚姻――男の尊厳どころか、人としての尊厳さえも危うい婚姻ではないだろうか。
俺にいわせてみれば――全く気色悪い、婚姻だ。
己の子のような歳の若者と夜伽がしたい。…ひいてはその年の人に、自分の子を孕ませたい、何人も何人も産ませたいという下心を、まるで隠しもしないジャスル様。
――いや、たとえ年の差があろうとも、それが双方の恋心に基づく婚姻であれば何も、俺だって気色悪いとはいわないが、…中年の男に、それも、あの不潔そうな脂ぎったジャスル様に、自分の子を孕ませたいからと見初められ、この屋敷へ連れてこられたユンファ殿の心中たるや、だ。
まあしかし、とはいっても――この国じゃ、ジャスル様は英雄なのだ。
まずこの婚姻に疑問を呈す者など、この国にはいない。いや、たとえ疑問に思っていたとしても、誰もそれを口にすることはないだろう。
それどころか…これほど年若い美青年、それも他民族との交流を絶っていた蝶族――更にいえば、その蝶族の長、五蝶のご子息を娶った、…お披露目はユンファ殿が妊娠してから…すなわち、その美しい蝶族の御子と、醜い中年のジャスル様が想い合っている格好ともなれば、おおよそ世間じゃ祝いの雰囲気が濃くなり、あるいは語種 にでもなるのが関の山だろう。
つまりこの婚姻はまた一つ、ジャスル様の“戦利品”が増えたようなものなのである――。
「…………」
「…………」
お可哀想に――そうして哀れなこのユンファ殿は、どうしたら少しでも笑ってくださるのだろうか。…どうしてやったらホッと安堵し、ゆったりと羽を伸ばして、そっと、その美しい切れ長のまぶたを緩めてくださるのか。
きっと…その方と境遇が似ているばかりに、ユンファ殿のお気持ちが、よくわかるような気がしている――この俺ばかりが、この世の中でこの方を、哀れがっているに違いない。
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