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23 お伽噺に思いを馳せる
ユンファ殿は何か、おもむろに顔を上げ――ふ、と顔を横へ向けた。…彼の顔が向いた方向には、寝台の隣に置かれた机がある。その上には皿に山盛りの果物や、水入れなどが置かれているのだが。
するとユンファ殿は、そちらを見たまますっと立ち上がり――その机の上から、…一冊の本を手に取って、また寝台に腰かけ直した。
「…………」
彼はその本を腿の上に置き、それを見下ろしながら本の表紙を、ぱかりと捲る。
…しかし、俺はドキリとして、瞳が揺らいだ。
「………、…」
あれは…あの、本は…――。
…見覚えがある。――俺は今にもユンファ殿の近くへ行き、その本は…と話しかけたい衝動に駆られた。
が…――もちろん、この場で踏みとどまる。
「…………」
「……、…」
いや…俺たちは――む し ろ 、狼族と蝶族なのだ。
…本当に俺のこれは、同 情 の み なのだろうか――?
これは狼の里に伝わる、お伽噺 である――。
むかし、むかし――虫どもが暮らすお里のなかで、ひときわ綺麗な蝶々がおったとさ。
踊りの上手な蝶々、はらりはらりと綺麗な羽を、いつも華麗にはためかせて飛ぶ、秋の満月喜んで、あんまり綺麗に踊った蝶々――ほかの虫ども嫉妬した。
「あぁ嫌だ嫌だ、お前の鱗粉 が俺たちを汚すよ、お前なぞあっちへおゆき。」――「あっちへおゆきよ、あっちへおゆき。この里から出て行け、出て行かないならお前ら蝶々、俺たちみーんな殺しちまうよ。」――嫌な虫ども、可愛い蝶々、追いかけ回す。
蝶々、蝶々は必死に、逃げたとさ。
ぱたぱた、ひらひら、逃げた先――満月の夜、寂しき狼、眠ってた。
「何事だ、うるさいぞ。お前らこそが、あっちいけ。」…眠りを邪魔されイライラ狼、得意の怖い顔をして、うるさい虫ども追い払う。
すると蝶々、涙した。「あぁ狼、狼、神様の犬。あぁ大神、大神よ。ありがとう、ありがとう。」…蝶々の涙は月の雫、びっくり狼あわあわと、蝶々はクスクス笑ったとさ。
「助けてくださったお礼に、僕らの知恵をお授けします。」
それからか弱い蝶々と狼、力をあわせて共に暮らした。
綺麗で賢い蝶々は、だけれどか弱く儚くて、いつも意地悪な虫どもにいじめられていた。
強くてたくましい狼は、だけれどみんなに怖がられ、いつも寂しくひっそり暮らしていた。
しかし、狼を恐れぬ優しい蝶々は、それきり安心して暮らせたそうな。――寂しい寂しい狼は、それきり平和の素敵さ、学んだそうな。
それきり狼、男も女も、どちらも持った蝶々とだけつがうそうだ。――蝶々もまたそれっきり、強くて優しい狼のそばでしか、可愛い卵を生まぬそうだ。
春も夏も、秋も冬も、蝶々と狼、共に暮らす。
夏には涼風おくりあい、秋には食べものおくりあい、冬には体を寄せ合って、いよいよ雪がとろとろ溶けた。やっとほかほか陽の光、狼の毛皮がきらきら光る。綺麗な綺麗な狼の毛皮、いつしか陽の色に染まったそうだ。――蝶は綺麗だ、綺麗だと、きらきら光る狼の毛皮を、櫛でやさしくといたとさ。
月も微笑む春の日に、ひらりひらりと目の前で、春の日を祝い、舞い踊る蝶を見た。蝶のお羽は月の色、蝶は舞い踊るたび銀色の、きらきらやさしい、月の光を振りまいた。――狼は見たそうだ。綺麗だ、綺麗だと狼は、にこにこ笑ったそうな。濡れたお鼻は真っ赤に染まり、月の光にきらきら、きらきら。
狼、狼よ、若き狼。
どうだ、どうだ、お前の魂で惹かれる蝶かい。
蝶のお羽のもようはどうだい、美しいかい。
蝶のころころと笑う声はどうだい、心地よいかい。
蝶が振りまく鱗粉の、その甘い甘い香りはどうだい、いつまでだって、嗅いでいたいかい。
ならば愛の証 しに、蝶が喜ぶ果物をあげよう。
この愛の証しに、蝶が微笑む花々をあげよう。
さすれば蝶は、狼の鼻先来てくれて、喜びの舞いを舞い踊る。
ひらひら華麗に、ありがとう、ありがとうと綺麗な羽をはためかせ――ちょん。蝶は狼の鼻に、ちょんと留まる。
擽ったくて、くしゃみをなどするな、狼よ。
一つくしゅんとくしゃみをすれば、蝶は驚きたちまちひらひら、どこかへひらひら飛んでいってしまうぞ。
優しいあまりに擽ったいが、狼、若き狼、むずむずしても我慢せよ。――長いお鼻の、その先に留まった蝶を見つめ、蝶と狼、見つめ合う。
胡蝶のその瞳 を見られたら――胡蝶の夢を、見られるぞ。
あぁてふてふよ、僕のてふてふ。
可愛くか弱いお前のことを、このさき僕が守ってあげる。
僕の、僕の綺麗なてふてふ、てふてふ。
だからお前の甘い瞳 を、いつまでだって見させておくれ。
甘い、甘いてふてふ、僕のてふてふよ。
いつも食べてる甘い蜜、僕にもちょっぴり、分けとくれ。
僕の可愛い、可愛いてふてふ。てふてふ。
お前の甘くて良い匂い、僕にずうっと嗅がせておくれ。
笑っておくれよ、僕のてふてふ。
ころころ可愛い蝶の声、いつもたくさん笑っておくれ。
さあてふてふ。おいでてふてふ、こっちへおいで。
ひらひらか弱い蝶の羽、僕のまぶたを優しく撫ぜて、どうかそのまま蝶のそば、僕を毎晩置いとくれ。
僕にはお前、お前だけ。
お前もきっと、きっと僕だけ。
そしたら僕は、幸いだ。
永久 にお前に恋をして、次にもお前に恋をする。
冬にお前を忘れても、春にはお前を思い出す。
またお前に恋をして、次にもお前に恋をして、ずっとお前に恋をする。
狼の永恋 の誓い、蝶はぱたぱた喜んだ。
狼と蝶、見つめあう。
ただそれだけで、蝶と狼、つがいあう。
神が認めた蝶と狼、離れられない蝶と狼、運命 の決まった蝶と狼、永久 のつがいの蝶と狼――強く惹かれて蝶と狼、僕らはもう、永恋 のつがい。
蝶と狼、永恋 の誓いにつがい合う。
たくさん卵を生むけれど、蝶は長くは生きられぬ。
守っておくれ、僕らの可愛い卵たち。
守ろう、必ず守ろう、僕らの可愛い卵たち。
お互いしか求めあわない蝶と狼、他の虫ども嫉妬して、お互いしか見えぬ蝶と狼、他の獣が嫉妬して、ほかのあいつら、蝶々をみんな、攫っていった。
やがてそいつら、狼を殺した。
離れ離れの蝶と狼、けれど我らは永久なるつがい。
永恋 のつがいは、魂でつがい合う。
お前の瞳 を見られたら、僕はお前とわかるだろう。
我らは永久なる永恋 のつがい、胡蝶の夢で、お逢いしましょう――。
「…………」
その昔――狼族と蝶族は、たいへん縁 深い関係性であった、といわれている。
これは、狼の里に伝わる古いお伽噺ではあるが、あの五蝶の国――たしかに、俺の生まれ故郷の狼の里と、文化にしろ身なりにしろ、よく似ているようであった。
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