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43 ならば死にます

               しかしユンファ殿は、何か思い違いをしてしまったようである。――俺が抱き締めたから、あるいは、とでも思ってしまわれたか。  ユンファ殿は今にも泣き出しそうな、弱々しく余裕なさげな声を絞り出し、俺へこう切実に頼み込んでくる。   「……ソンジュ様…ですが、やっぱり…お願いいたします、どうしても…――どうしても僕は、貴方様に…貴方様だからこそ、接吻を、していただきとうございます……」   「………、…」    ならぬ…――たとえどれほど必死に願われようとも、これで俺がユンファ殿に口付けてしまったら、…俺はいよいよ彼のことを、しかと拒む威勢を失ってしまうと直感している。…それこそこれまでとて、ほとんど虚勢に近しかったのだ。  俺は、なけなしの威勢を腹の底から捻り出し、声を、体をなんとか動かして、「それはできませぬ」と、ユンファ殿の肩を押し、そして体を離した。――そもそも接吻の代わりとして、せめてと抱擁を交わしたつもりの俺は、更に接吻まで求められる義理はないはずだ。  しかし――すると彼は、虚ろな顔をしては俯いて。   「……ならば死にます…」――ぼそりと、そう。    俺はハッと目を見開いて焦る。   「な、何を、…戯れをおっしゃってはなりませぬ、…」   「…戯れではありません」    俯いているその顔は虚ろ…しかし目元は険しく、危ない決意を宿していた。「あの高台から飛び降りて、いまに死にます」――そう言いながら、ふっと素早く体を返すユンファ殿に、…俺は咄嗟、彼の手首を取って制止した。   「なりませぬ、っお気持ちはわかるが、…」   「……、……、…」    すると、…するすると…威勢を失い、とすん――また寝台に腰を下ろしたユンファ殿は、…ぽたん。…薄桃色の装束に、ひと雫涙を落とした。   「……貴方が…旦那様だったら、…よかったのに……」    いつの間にやら、ユンファ殿の白足袋を履く足下に落ちていた白い浴衣と、転がる赤い林檎――。  ユンファ殿はうつむき、そのままひくひくと泣きじゃくる。   「……っ、…っ、…どうして…? なぜ僕は、こんなにも貴方に惹かれてしまうの、…貴方がいい、…どうしても、貴方がいい……」   「………、…」    そう言われても、困る。  これはきっと…きっと、おそらく、きっと、多分、    そう…およそ、あのジャスル様のご側室となることへの不安から、血迷ってしまっただけ――そうに違いない。    うなだれ、ぽと、ぽとと涙を落とすユンファ殿を眺めながら俺は――可哀想に、とぼんやり思う。    そのジャスル様と並び立っていた俺が、年若く似たような格好をしていた俺が、たまたま…――ユンファ殿の目には、どこか美しいように見えた。という、きっとそれだけのことだ。  きっとそうに違いない。――いや、そうに違いないのだ。    そして、そんな俺に――下手な気遣いをされたから。  …だからユンファ殿は、ジャスル様と比べて俺が、何か魅力的に見えたのだ。そう…それだけのこと。   「…ユンファ殿は、私のちょっとした気遣いに、ほだされてしまわれただけです…――しかし、あれは何ら他意のない、本当にちょっとした気遣いでございました。…」   「……っ、…はい、…」    ユンファ殿は泣きじゃくりつつも、俯いたままでコクリ、俺の言葉に頷いた。   「…しかもその私の気遣い…主人たるジャスル様の、ご側室となられるユンファ殿へ向けた…いわば、自分よりも身分の高い貴殿に、相応の気遣いを……」   「……ええ、わかっております…」    ユンファ殿はうなだれたまま、ず、と鼻を啜り、それからそう静かに言った。  …俺はどうしたものやら。何か、嫌な予感がこの胸をざわつかせる感覚は、ユンファ殿のこの返事ではどうも取り払われないが、しかし――とにかく、釘を刺しておこう。   「…ならば、もう接吻をしないなら死ぬなどと、そうしためちゃくちゃな我儘を申されるのは……」   「…はい…、もう、そのようなことは言いません……」    ユンファ殿はうなだれ、こくりと頷いた。  …そして彼は、ぺこりと俺へ頭を下げられたのだ。   「…ごめんなさい……」   「……い、…、…とにかく、もう休まれよ…」    いや、と。その実謝られることなど何もないと、そう言うことすら何か――優しさと、なってしまうか。   「…はい…、…」    ユンファ殿はそう返事してから、…先ほどご自分が床へと落とした林檎を、身を屈めて取り――薄水色の羽織り、それの袖口で林檎の表皮を拭くと…その薄桃色の腿の上、彼はその真っ赤な林檎を、じっと見つめはじめた。        

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