23 / 38
会いたい
「射邊君、今日ってバイトだっけ?」
キャンパス内にあるカフェテラスで土師 に声をかけられた真里也は、彼の姿に驚いて珈琲を溢しそうになった。
「バ、バイト──だけど、どうしたんだよ、汗だくになって」
目の前には白いTシャツに土をつけ、汗まみれで息を切らしている土師が三白眼を細めて笑っていた。
「さっきまで陶芸用の土を練ってたんだけどさ、射邊君が学祭用の展示物に何を作るのか急に気になって君を探してたんだ」
「そ、それだけの理由で汗だくになんのか? 相変わらず土師君は唐突だな。高校の時も、俺がグランドでデッサンしてた時、急に声かけて来たもんな。同じクラスだったけど話したことなかったのに、いきなりでびっくりしたよ、あん時は」
高二になって間もないころ、真里也はグラウンドの隅で土師に声をかけられたことがある。こ一度も話しをしたことがなかった相手に驚いて、思わず逃げてしまったっけ。
あの頃の真里也は、親しい人としか会話をしない、空に閉じこもったところがあった。けれど、大学生にもなってもそんなことを言うのは情けなさすぎる。
それに高校とは違い、大学は人数が多い。
様々な性格の人を見て、自分なりに進んでいけばいいのだと言い聞かせ、二年になった今では幾分かマシになって顔見知りも増えた。
中でも土師とは気が合って、今では大学の中で一番の友達になっている。
「僕ってダメなんだよな、そう言うとこ。一度思いついたらすぐ行動に移さないと、気になって次に何すればいいかわからなくなるからさ」
おっとりした口調の土師との付き合いは、大学の入学式で声をかけられたことがきっかけだった。話してみればとても気さくで、目指すものが違っても、お互い切磋琢磨し合える関係はいつしか心地いいものになっていた。心の中にぽっかりと空いた穴を、土師は理解してくれるし、悲しみも紛らわせてくれる。
高三の夏休みが終わってから知った、羽琉の退学。何も聞かされていなかった真里也は、始業式だと言うのに、式にも参加せずそのまま早退をした。
学校を飛び出して羽琉の家に向かったけれど、荷物はほとんど残っておらず、家はもぬけの殻だった。
すぐ羽琉のスマホに電話したけれど、機械音が使用者のいないことを虚しく告げただけだった。何度かけても同じメッセージしか告げないスマホを壊したくもなった。
羽琉を失った真里也は片方の羽をもがれた鳥のように羽ばたくこともせず、ふらふらと彷徨う毎日で何もする気力がなかった。
心配した實川に大学のオープンキャンパスに誘われたけれどその気になれず、これまで以上に他の生徒と関わることを避けて過ごしていた。
不甲斐ない自分の尻を叩いてくれたのは桐生で、今ちゃんと考えないと後悔すると言われた。おまけに實川からは、羽琉みたいに夢を追いかけないのかと、雷のような目の醒めるトドメを刺されてしまった。
羽琉がいないとダメダメなまま何とか受験をし、合格発表の日に横でガッツポーズをしていたのが土師だったのだ。
合格した? と聞かれたことがきっかけで、キャンパス内で出くわす度に声をかけられるようになった。
最初は警戒していた真里也だっけれど、高二の時に話しかけたのは、真里也が彫刻をやっていることを知っていたからだと聞いて、徐々に親近感が沸いた。
地元にある大学とは言え、芸術工芸を専門とする大学に進学する顔見知りは、真里也も土師もお互いしか知らない。
心許ない環境で、同じ高校ということもあり、二人の距離は自然と近くなっていた。
「土師君って初めて俺に声をかけて来た時も、思い立ったら吉日なんて言ってたもんな」
「だって同じ高校で、しかもクラスも同じ人が絵画以外で、芸術目指してるのかと思ったら、早く話したくて仕方なかったんだよ。しかも彫刻なんて、僕には未知の世界だったからね。それに絶対、射邊君とは気が合うと思ってたんだ。けど、いつも君の側には玉垣君がいたから声をかけづらかったんだよ」
玉垣──。自分以外の人から名前を聞くと、改めて羽琉がいないことを実感する。
「……そっか。あ、でも俺も同じだよ、陶芸と言えば土をこねて窯で焼くってことしか知らなかったし。色付けとか絵付けとかして焼くなんて、もの凄く興味は沸いた」
向かいの席にリュックを置き、土師が座る仕草を見せたかと思うと、突然、腕を挙上 した土師が、真里也の顔面に勢いよく振り下ろし、殴る既のところで腕を止めた。
一瞬、息を呑んで目を閉じようとしたけれど、何とか踏みとどまり、土師の攻撃を凝視してみせる。
「射邊君凄いじゃないか。目も閉じなかったし、体も後ろに引かなかったよ。だいぶん進歩したんじゃない?」
「ほんと? 俺、目を閉じてなかった?」
閉じてない、閉じてないと、土師が和かに伝えてくれた。
「でもさ、この修行? みたいなことをやって欲しいって言われた時、びっくりしたよ。何でそんなことする必要があるのかって、めちゃくちゃ疑問だった」
「だよね、ごめん……」
「いや、別に僕はかまわないんだよ。ただ運動神経がいいわけじゃないから、いつか本当に射邊君を殴らないかなって心配なだけ」
当たっても文句は言わないよ、と真里也は笑って答えた。
この奇妙なことを彼に頼んだのは、入学して半年ほどたった頃、少しずつ土師に対して警戒しなくなったからだ。
自分のこの癖のせいで、羽琉を傷付けてしまった。
羽琉から告白と共にキスされた時、真里也は自分に向かって差し出された羽琉の腕を怖がって避けてしまったのだ。
あの時の羽琉の顔……。
悲しそうに見つめていた眸が忘れられず、真里也はずっと悔やんでいた。
他の誰よりも平気だった相手に対し、怯えた態度をとってしまった。
そのことを謝ることも出来ず、羽琉は消えてしまった。
馬鹿な思い付きだけれど、何度も不意打ちにされたら、いつかは慣れるだろうと、土師に頼んだことだった。時々、殴るようなフリをして欲しいと。
いつか羽琉に会えた時、同じようなシチュエーションになっても、二度と怖がらないように。いつだって羽琉を受け止めて、笑顔を向けられるように。
「何でもない会話の途中とか、射邊君が油断してそうな時に、急に目の前で腕を振り上げて欲しい──なんて、言われた時は正直、はあ? って思ったよ」
「だよね、ほんとごめんな」
珈琲が入っていると思い、カップを口にしかけて中身のないことに気付いた真里也は、土師君もいる? と聞いて二杯目の珈琲を買いに行こうとした。
「大丈夫、僕にはコレがあるからさ」
五百ミリリットルの水筒を掲げて、土師が得意げに笑った。
「そっか、お母さん特性の、蜂蜜紅茶があったね。でも、土師君のお母さんって、料理上手だよな。お弁当がいっつも美味そうだ」
魔法瓶式の水筒の蓋を開けて、旨そうに紅茶を飲む土師が、母さんってさ、と嚥下し終えてすぐに話し出した。
「料理作るのも好きだけど、食べ歩きも好きなんだ。家の近所じゃ、行ってない店はないんじゃないかって思うほど、食べ歩きしてる。けど、ごめんね。射邊君に頼まれてることには、まだたどり着けてないみたいだ」
コレも馬鹿なことを土師にお願いしていた。しかも土師だけじゃなく、土師の母親まで巻き込んでの我儘だった。
「……ほんと、さっきのことといい、ごめん。お母さんがカフェに行った時、羽琉が店員として働いているからどうかチェックして欲しい──なんて」
「玉垣君はカッコいいから、スタッフにあんなイケメンがいたら絶対噂になるよな。一応、母さんには彼の写真を渡してるよ、もし似た店員さんを見つけたら、速攻教えてくれって。イケメン探しなんて最高っ、て言ってるくらいだから、射邊君は気にしないでバイト頑張ってよ。お客さんからの情報ゲットしなくっちゃ」
僕もたまに同行してるから、見つけたらすぐ連絡するよ、と土師が笑ってくれる。
三白眼を細めて微笑んでくれるから、真里也はつい、甘えてしまう。
大学一年の後半、その頃には土師とも仲良くなっていて、真里也は羽琉が消えたことを聞いてもらった。
会いたいのに会えないと、つい、涙を零してしまったから、土師はどうやって探そうかと、一緒になって考えてくれたのだ。
カフェでバイトすれば、と言ったアドバイスも土師からだった。おしゃれな店に来る客は、きっと他の店にも通っている確率は高いと。だからお客さんの方が、情報を知っているはずだとも、土師が教えてくれた。
土師の母親は食べ歩きがが趣味で、よく流行りのカフェやらレストランに行くんだと教えてくれた。この話を聞くまで、真里也は地道にカフェ巡りをしていた。羽琉を探すために。
タウン雑誌やネットのグルメ情報を、時間があればチェックし、羽琉が働いていそうな店を見つけると足を運んだ。けれどそれはいつも不発に終わっていた。
大学生になり、人付き合いが必須となってくると、環境にも慣れてきたからか、過去に裏切りを味わったからか、強くならなければと、積極的に人と話すようにした。
努力の甲斐あってか、持って生まれた人懐っこい性格が如実に現れたのか、高校生の時よりは随分と人との付き合いも心得て来た。初対面の客にも話しかけることに慣れ、何とか羽琉の情報を得ようとしたけれど、そう簡単にはいかない。
「……不純な動機だよな、俺がバイトする理由って」
二杯目の珈琲を買いに行きそびれ、ペットボトルの水をカバンから出して喉を潤したあと、反省を口にした。
「不純じゃないと思うよ。射邊君と玉垣君が大親友ってことは、みんな知ってたくらいだし。なのに、その相手が急にいなくなったんだ、射邊君が何が何でも探そうって気持ちわかるよ。僕なら理由を聞きたいって思うし」
蜂蜜紅茶を飲みながら土師が言った言葉を、素直に嬉しいと思った。
ただ、大親友と思っていたのは自分だけで、羽琉はそうじゃなかったことが、真里也の心を複雑にさせる。
高三の夏休み、最後になってしまった二人で過ごした日。この時に聞いた、羽琉が自分へ抱いてくれていた想い。
幼い頃から一緒に過ごし、真里也が誘拐された時は、優しい羽琉は自分を責めて泣いてくれた。
自分が一緒にいたのに、真里也が連れて行かれてしまったことを泣いて詫びていたと、後に博が教えてくれた。
あの事件以降、今まで以上に羽琉が過保護になったのは、もう二度と真里也を怖い目に遭わせないようにという、固い決意から生まれた唯一無二の愛だった。
それを俺は、友情からだと思っていた……。
羽琉を失ってから、もうひとりの自分が囁くことが増えた気がする。
本当に友情のままでいいのかと。
目を閉じれば、ずっと側にいてくれた羽琉に出会える。それなのに、現実には大好きな人に触れることもできない。
記憶の中で羽琉に与えてもらった熱に触れ、たったひとつの愛おしさを何度も反芻する。
この感情の名前を確かめるために、真里也は羽琉を探していた。
ともだちにシェアしよう!

