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心音

「で、今、届いたのが三体目か」  近くまで来たからと、家を尋ねてくれた實川が仏像を手にして呟いた。  久しぶりに会う恩師は、色んな理由を作って真里也に会いに来てくれる。  きっと、元生徒が過去に犯した愚行を心配しているのだろうけれど、就職も決まって、あとは卒業を待つだけの年齢になったのに、ちょっと過保護すぎて恥ずかしい。 「そうなんです。今日のが作品の中でも一番大きいものです」  せっかくなので夕食でもと實川を引き止めた真里也は、カレーをかき混ぜながら言った。  大学二年の時、土師に教えてもらった店で見かけた羽琉。そのあとに届いた仏像から数ヶ月経って二体目の仏像が届き、そして今日、三体目がまた届いたのだ。 「で、送られてきた住所は全部バラバラか。初めは埼玉県、で二体目が──」 「二体目は四国、徳島からでした。で、今日のが……」 「静岡からか。東京からじゃ飛行機だと一時間ちょっとで着くけど、旅費と手間はかかるだろう。でも、一体目は埼玉なんだし、会いに行ってみたのか?」  實川の質問に、真里也は無言で首を横に振った。 「ここまで徹底してるんです、だから羽琉は探されたくないんだろうと思って……」  自分で言ってて悲しくなった。  カレー鍋に落とした言葉は、實川に聞こえていないかもしれない。愚痴ったみたいで聞かれなくてよかったとも思う。  反省を噛み締めていると、背中に気配を感じ、振り返ろうとした真里也は、實川に背中を抱き締められていた。 「せんせ──?」 「なあ、射邊。俺がこうやってお前を気に掛けて家まで訪ねるのは、元担任だからって思ってるのか」  背中を包み込むように、實川の両腕に閉じ込められた真里也は呆然とした。  身動きできずに腕の中でもがいていると、實川の腕の力が増し、頬擦りされて吐息が耳朶に触れてきた。 「せ、先生、どうしたんですか。何かあったんですか」  今、自分の背中にいる男は教師の實川とはかけ離れ、見知らぬ人の空気を纏っている知らない男のように思えた。  真里也が戸惑っていると、両肩を掴まれて体を反転させられ、二人が向き合う形になる。 「射邊……。高校の頃、部員でもないお前を美術部の準備室に誘って、彫刻をさせていたのはなぜだかわかるか」  實川の質問で、彼の言いたいことがわかった。  高校生の時みたいに、もう恋愛初心者ではない。羽琉を好きになって、苦しい恋を知った。だから實川が口にした言葉の意味は分かる。けれど真里也はわざととぼけて、首を横に振ってみせた。 「──先生。もしかして、桐生先生と何かありましたか?」  ここ最近、大学で桐生と顔を合わしても、いつもの毒舌もなければ、普通の会話も減っていた。大人しいと言うか、彼の方も別人のように静かだった。  真里也はそのことがずっと気になっていたから、實川が作ろうとしている甘い雰囲気を誤魔化す材料に持ち出してみた。 「……桐生の話はしなくていい。俺は今、射邊を口説こうとしているんだから」  気持ちを身体中に刷り込むよう、真正面から強く抱き締められた。  實川の言葉も態度も、どこか自暴自棄になっていると思うのは気のせいだろうか。 「く、口説くって、先生は俺のこと──」 「射邊が高校生の時から、可愛いなってずっと思ってた。だから、側に置いておきたかったんだ」  可愛い──。言われたくないこの言葉を、告白の科白(せりふ)にするのは違うと思った。相手を知るきっかけになったとしても、可愛いだけで人を好きになるわけではない。  腕が解かれると正面から見据えられ、「玉垣のことはもう忘れろ」と、告白なのにまるで教師が生徒を叱るように言われた。  愛は感じるけれど、實川の言葉は心がときめくものではない。どこか、師弟愛のように感じる。  返事をできずにいると、腕を掴まれ、實川の胸に引き戻された。顔ごと胸に到達すると、實川の鼓動は凪のように静かなリズムを刻んでいる。  俺は……と言いかけたとき、實川に顎を捉えられ、顔に角度をつけられると、唇を重ねてこようとしたから、「俺でいいんですか」と、咄嗟に言った。  真っ直ぐに實川を見据え、真意を探るように見つめた。 「……いいに決まってる。射邊のことは、高校生の時から見ていたって言ったろ。俺はゲイだし、お前も同じじゃないかと思ってた。お袋さんに酷い目にあったお前が、女性を好むとは思えなかったからね。今まで思いを伝えなかったのは、高校生だったこともあるし、何より射邊の側には玉垣がいたからね。あいつはいつも俺のことを警戒してたし」 「羽琉が? そんな素振り一度だって──」  言いかけて思い出した。  放課後に實川の所へ行く度に不機嫌になった羽琉。  初めてコンクールに挑んだ時も、結果を實川が先に知っていたことに酷く怒っていた。 「あいつは射邊のことが好きなんだろうなって、ずっと思ってた。なのに、玉垣はお前のもとを離れて行っただろ? 正直、あれはずるいって思ったな」 「ずるい、か。そうかもしれませんね。羽琉が急にいなくなって、俺はずっと寂しかった。今だってそうです。仏像だけ送ってくるけど、住所は教えてくれない。お礼を言いたくても、俺からは何もできないんですから」 「それがずるいんだ。お前の心ごと持っていってあいつは消えた。お陰で射邊は抜け殻みたいになっちゃうし、おまけにそれ」  實川が指差したのは、真里也の右手だった。  小指の先を曲げることもできない歪んだ指を見る度に、真里也は羽琉のことを考える。いや、見なくても考えていたけれど、曲がらずに伸びたままの小指に羽琉を投影し、この歪さえもが愛しいとさえ思える。  元気にしているかな、とか、夢に向かって頑張ってるかなとか。  一日二十四時間のうち、要所要所に羽琉を思い出す。  忘れたことなんて一度だってない。  幼馴染以上に好きだと気付いた時から、羽琉だけが真里也の全神経を支配していた。 「……曲がらない指は、羽琉がいた証なんです」 「だろうな。俺はそう思ってたから射邊を生徒として扱った。けど、最近のお前は元気がない。玉垣がいなくても、ちゃんと前を向いて歩いていたのに、一年。いや、もっと前から覇気がなくなったと真人が言ってたな」  實川の言う通りだった。  去年から就活を始めても、真里也はどうでもいいと投げやりなことを言って、桐生に激昂された。  大学の先生として、近しい大人として。  桐生の喝が効いたのか、それからの真里也は自分を奮い立たせ、自身の尻を叩き、彫刻も数々のコンクールに出品した。  その結果、なんとか博物館の学芸員に採用されたこので、失恋の傷は多少癒えたかと思う。  それでも家の隅々に羽琉の思い出が散りばめられているから、何度も泣いて夜を過ごした。誰かに癒して欲しくて、誰かに抱きしめて貰いたいとも思っていた。でも──。 「ねえ、先生。俺は正直、誰かに側にずっといて欲しいって思ってます。でもさ、先生は苦しくなるほど、俺のことを好きじゃないでしょ? 俺だってそうです。寂しさを埋めて欲しいけど、誰でもいいなんて思っちゃダメだって思ってる。それに今の先生の心臓は、静か過ぎて冷静だもの」  そっと實川の胸に手を添えると、二人の間に距離を作って真里也は微笑んだ。 「でも俺はお前がやっぱり心配だ。玉垣との思い出の詰まったこの家で、ひとりで暮らすお前を想像するとたまらなくなる。可愛いお前が泣いてるんじゃ──」 「ほら、それですよ」 「……どれだよ」 「可愛いと、好きは違うでしょ。それに例え好きだと思っていても、泣きたくなるほど先生は俺のことを思ってませんよね。俺は結構、いや、ほぼ毎日泣いてます。羽琉に会いたくてたまらない。だからずっと羽琉を探してるんです」  自分で言って、また泣きそうになった。  探して会ってくれるなら、探すことはやめない。けれど、羽琉にはもう別に守る人ができたのだ。それなのに、羽琉を好きだと言う、自分みたいな男が現れたら、あの女の人にも迷惑極まりない存在になる。 「お前がそれならそれでいい。俺が忘れさせてやる。だから──」 「先生。本当にそれでいいんですか? 俺と一緒にいたら、ずっとメソメソ泣いてますよ、鬱陶しいくらいに」 「そんなの俺が慰めてやるよ。寂しいならずっと抱き締めてやる、お前が玉垣を忘れるまで」  熱っぽい眼差しで見つめながら、秀麗な男が頬を撫でてくる。  目の前の大人で優しい人に身を委ね、甘えさせてもらえたら楽になるのかもしれない。けれど、心が羽琉を求めている限り、自分にも相手にも嘘をつくことはできない。 「……無理です。俺が羽琉を忘れる日が来ることはありません。先生のことは大好きで、尊敬しています。馬鹿な俺を何度も助けてくれたし、だから先生にも幸せになって欲しいんです」 「……じゃあお前が幸せにしてくれよ」  両腕を真里也の背中に回し、抱き締めてくる実川に顎を強引に掴まれ、口付けをされた。 「──っん、……っだめっ、ダ……メです、先生っ」  渾身の力を込めて實川の胸を突き飛ばすと、真里也の力を軽くみていたのか、實川の足がもつれて畳の上に尻餅をついた。 「すっ、すいませんっ。先生、大丈夫ですかって、ちょっと、何を笑ってるんですか」  尻餅をついたまま實川が膝を立て、自身の腕をそこに置いたまま、肩を震わせて笑っている。 「いや、余りにも自分が間抜けだからさ。射邊にまでフラれるとは」 「 まるで他の誰かにフラれた後みたいな口ぶりですね」  つい、溢してしまったのか、實川が手で口を押さえながら目を逸らしている。  悲しげな横顔が気になり、真里也は「何かあったんですか」と、實川に手を差し伸ばした。  ジッと見上げてくる恩師の顔は切なげで、真里也を通り越して、どこか別の誰かの姿を探しているように思えた。 「俺でいいなら朝までだって話に付き合いますよ」  これまでずっとお世話になってたんですからと、真里也はとびきりの笑顔を向けた。 「射邊……。お前、成長したな」 「失恋して大人になりました」 「失恋? それって、玉垣に会ったのか。いつだ」  ここで羽琉の名前が出るということは、知らない間に羽琉に対する想いがダダ漏れだったんだなと恥ずかしくなる。もしかして、気付いてなかったのは自分だけだったのかと。  教師の顔に戻った實川を数秒見つめていたから、「何だ、さっきの続きをするか」と言われた。  もちろん、丁重にお断りしますと突っぱねてみせた。 「先生、本当は別に好きな人がいるんじゃないですか」  何となく浮かんだ言葉を言っただけなのに、どうやら図星だったらしい。  思い立って實川の胸に触れてみると、さっき真里也を抱き締めてきた時より心臓が跳ねている。 「や、やめろ。俺は射邊方がいいんだ。射邊の方が可愛い──」 「ほらまた言った。ずるいのは先生ですよ、俺を誰かの代わりにしてませんか」  当てずっぽうで言ったのに、明らかに動揺を見せる實川が「そんな奴はいない」と、髪を掻きむしっている。  これはいるでしょ。  こじれた大人は自分より厄介だな、と真里也は思った。 「……そういえば、ここ一週間、大学で桐生先生を見ないんですよね。出張じゃないみたいだし、どこへ行ったんでしょうね。俺、卒業作品のことを相談したかったのに」  チラッと實川を見ると、表情が変わらない。てっきり相手は桐生かと思っていたのに、違ったのかと思った。けれどよく見ると、實川の手がこぶしに変わっているのが見えた。  顔は涼しい眼差しなのに、何かに耐えるように、こぶしだけが固く握り締められ、小さく震えていた。  やっぱり、実川は桐生のことが好きなんだ。  桐生の気持ちはわからないけれど、真里也に救いを求めるくらいだから、相当しんどいことが實川にあったのだろう。  これ以上、未熟な自分が大人の恋愛に踏み込むことはやめなければ。  真里也は話しを逸らそうと、先生、あのさと言って、最後に羽琉を見かけた日のことから失恋した話を告白した。

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