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第24話 ハーデスが去って

 太陽が沈むとセティは夜空を見上げる。星が無数に見える。  どの星がハーデスの星だろう――。見ていると、一つの星がきらりと輝いた。  あっ! あの星だ! セティには確信できた。あの星がハーデスの星だと――。  セティはハーデスの星を見つめた。遠い……どんなに手を伸ばしても届かない。  ハーデスはあの星へと帰ってしまった。  会いたい、会いたい……ハーデス様。溢れる涙を堪えることはできない。  セティは毎夜星を見上げて涙を流すのだった。 「明後日からメンフィスへ視察に行くのだが、セティも同行しなさい」  兄の言葉にセティは戸惑った。メンフィスへの同行などあまりに唐突だから。  メンフィスは今の首都タァウイに首都が移るまで首都だったところで、往年の繁栄の面影はないが今も都市として機能している。王太子になって以降、ウシルスが定期的に視察に行っている。  それはセティも知っているが、なぜ自分が同行? 「兄上、なぜわたくしが同行するのですか?」 「そなたはわたしのたった一人の弟、正嫡の王子だ。今までは未だ早いと考えていたが、そろそろわたしに同行して、この国を知ることは大切だと思ってな。父上も同様のお考えだ」  実は国王王妃は難色を示した。遠いからだ。行って帰ってくるのに、最低二十日はかかる。そんな遠い所へウシルスが一緒とはいえ不安なのだ。両親のセティに対する溺愛も相当なものなのだ。  それをウシルスが押し切ったのだ。セティにとって気分転換になると。そして、セティの安全は兄として自分が全責任を持つと。  無論、セティにはその経緯は知る由もない。  セティは 確かに兄の言う通りだと思う。自分も王子なのだ。座学だけでなく、実地で学ぶことは必要だ。 「分かりました。出発は明後日ですか?」 「そうだ。準備はクヌムに申し付けておくので、セティは心の準備だけでよい」 「はい、かしこまりました」 「セティ様はメンフィスへの同行承知なさいましたか?」 「ああ、素直なところはあれの良い気質だからな」 「まさに、妃に相応しい美点でございますな」 「誰の妃を言っているのだ?」  尖って言う主に、メニ候は微笑む。 「言わずもがなでございましょう」  確かにメニ候の言う通りだ。セティを星の国の妃になどさせない。  悲しみに沈むセティの気持ちを変えるためにと、メンフィスへの同行を勧めたのはメニ候だった。  メンフィスへは、河をゆっくりと下って行く。大きな船旅を経験したことのないセティには、楽しいものになるのではとの提案だった。  同時に、王宮に集う上流階級には、セティの美しさは周知のことだったが、一般には未だ知られていない。この機会に美しさと、素晴らしさを周知させたい。  まさに一石二鳥で、ウシルスは改めて自分の第一の側近の頭の切れを認識する。最重要な己の片腕だ。 「うわー! 大きい船! こんな大きな船で行くのですか?」 「ふふっ、そうだ」  素直に驚くセティに、ウシルスは満面の笑みで応える。 「わたしは湖に浮かぶ船しか知らなかったので、大きな船といっても想像できませんでした。こんなに大きな船とは」 「着くまでこの船の中で寝泊まりするのだからな」  そうか、そうなのだ。湖で一、二時間遊ぶ船とは土台目的が違う。セティは、今までの自分の無知さを恥ずかしいと思いながらも、この先の旅程を思うとワクワクするのだった。  少しはハーデスを思う気持ちから離れらるかもしれない。忘れることは絶対にできないが……。 「セティ、よいですか、兄の側を決して離れるてはいけませんよ」 「母上、ご心配ならずともわたくしが付いていおりますから」 「そうは思ってもな、心配なのじゃ。何しろ一月以上も離れるのは初めてだから」  一月どころか、一晩たりとセティが一人で王宮を離れたことはない。例え兄のウシルスが一緒でも母の心配は尽きない。実は父である国王もそうなのだが、さすがにそれは表に出さない。 「心配の尽きないのが母親と言うものじゃ。しかし、セティが見聞を広めるのは良いことじゃ。楽しみつつ、よく学んできなさい。ウシルス、セティを頼んだぞ」 「はい、父上お見送りありがとうございます」 「父上、ご安心ください。では、行ってまいります」  両親と姉が見守る中、セティは兄のウシルスと共に大型船に乗る。そして甲板から見送りの人たちに手を振る。  ガタッとした音と共に船が動き出す。見送りの両親や姉の姿が徐々に小さくなる。セティは見えなくなるまで手を振り続けた。 「……見えなくなりました」 「そうだな、そなたが多くを学び元気に帰ることが大いなる土産になるのだぞ」 「はい、兄上」  両親と姉の姿が見えなくなった物寂しい気持ちは、その後の見るもの全ての目新しさで解消していった。  流れる大河の様子も、そこから見える景色もセティにとっては初めての経験だった。  セティの発する感嘆にウシルスは、一々応えてやる。そして質問には丁寧に答える。 「兄上、時折他の船が行き交いますが、皆この船よりは小さいですね」 「そうだ、これは王室専用船だからな。国で一番大きいのだ」 「大きさに驚いたのも当然なのですね。これより大きい船は無いのですね」 「我ら王族の移動には護衛も必要だからな。このくらいの大きさが必要なのだ」  確かに今回もかなりの数の近衛兵が同行している。ウシルス一人の時よりも数が多い。クヌムとアニス母子をはじめとしたセティの側仕えも多数同行している。セティに常と変わらない世話を焼くためであった。  セティを溺愛しているのは王室一家だけではない。側仕えの者たちの、セティへの愛も溺愛と言ってよかった。  セティは皆の溺愛に包まれて船旅の後、メンフィスを視察した。兄に付いているだけではあったが、行く先々で歓迎された。皆、第二王子の可憐な美しさに半ば興奮状態で歓迎の意を表した。  若い美丈夫な王太子に、可憐な弟王子。国の先行きに明るさを感じさせる。 「王太子殿下、そしてセティ殿下のご来訪、まことにありがたいばかりでございました。是非とも、またご一緒にお越しくださいませ」  メンフィスの統治を任されている長官の言葉に、ウシルスは鷹揚に頷く。ウシルスにとっても期待通りの成果であった。  セティが夜になると、空を見上げているのは知っている。しかし、涙は流していないようだ。気持ちが癒されている証拠。急ぐことはない。セティの心の傷は時間が薬になるだろう。 「セティにとって初の来訪。皆の歓迎まこと心に残ったことだろう。わたしも嬉しく思う。父上にも良き報告ができる」  隣でセティが大きく頷く。セティも嬉しかったのだ。  セティの初の視察同行は成功裏に終わった。  出迎えた両親と姉は、少し大人びたセティに心から喜んだ。同時にウシルスの手腕に感心した。  セティのことはウシルスに任せておけば安心、そんな思いになっている。  まさにそれは、ウシルスの思惑通りにことが運んでいる証左でもあった。  そして、その前からも、その間も星の国の調査は続いている。しかし、しかと分からないのが現状。つまり、未だ大いなる謎の世界。それが星の国であった。  謎が解けぬほど、ハーデスのセティへの求婚は半信半疑になる。より疑問が大きくなるのだった。  もちろんのことセティは違う。皆が、全く星の国やハーデスの話題を出さない中、一人ハーデスを信じている。  夜ごと夜空に輝く星を見つめるセティには、ハーデスに対する疑問、そして疑惑も全くないのだ。

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