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第46話 弟として、そして子として
「セティ、今日は誰にも邪魔されず二人っきりで過ごせますね」
「はい姉上、セティは嬉しゅうございます」
「わたくしもよ。セティは可愛い弟。そなたが星の国の王妃になってもそれは変わりません。よいですか、それを決して忘れないで」
「もちろんです。姉上はわたくしのたった一人の大切な姉上です。それは生涯変わりません。今まで可愛がってくださってありがとうございます。そして、どうかこれからもよろしくお願いいたします」
「ええ、もちろんよ。父上母上、そしてウシルスは立場上国を空けることは難しいが、その点わたくしは気楽な立場。星の国へも行くことができるから。セティに、会いに行きますよ」
「結婚式にも出席下さり心強いことです」
「行かれない父上母上の代わりにつぶさに見ておかねばならない。お二人に良い報告ができるようにと。わたくしも楽しみですよ」
星の国で執り行われる結婚式にはアティスとウシルスが、出席することが決まっている。二人は両親の名代としての立場で式に臨むこととなる。
その決定はセティには嬉しい事だった。
星の国へ発つ前に、ケトメでも結婚式を行う。その折に皆には晴れ姿を見ていただける。しかし、その後の星の国での結婚式には両親が欠席なのは、立場上やむを得ない。だからせめて姉兄には出席いただきたいと思っていたのだ。
二人の話は時を忘れるようにその後も尽きることがない。セティの幼い頃の話。そして、ハーデスがネフェルとしてここにいた頃の話にも及んだ。
「今でも信じられないくらいよ。あのネフェルが星の国の王様なんて」
「わたしもです。本当にネフェルはハーデス様なのかと、時折思うのです」
「ふふっ、ほんとよね。星から落ちるなんて少しドジな王様。でもそれくらいセティを求めていたのでしょう。あなた方はやはり運命の仲なんでしょうね」
そうなのだろう。星から落ちてまで求めたのだから。
「セティは運命に導かれて星へ嫁ぐのですよ。必ず幸せになるでしょう。わたくしには分かります」
「姉上、ありがとうございます。姉上にそう言っていただけるのが何より力になります。わたしはいつも姉上の言葉に助けられてきました。本当にありがとうございます」
姉と弟、この国において二人っきりで過ごす最後の晩は穏やかに過ぎていった。
「兄上、本日はお時間とっていただきありがとうございます」
「そのような堅苦しい挨拶はいらぬ。私的な場だ、兄さまでいい」
「兄さま」
セティはウシルスに抱きつきながら見上げて言う。全く邪気のない顔。可愛らしい。
妃にと望んだ弟、その思いは破れた。しかし、可愛い最愛の弟には違いない。そして、間違いなく自分はセティの兄。ただ一人の兄。
「そなたとこうして過ごすのも最後になるな」
「兄さま……」
二人の間に物寂しい空気が流れる。セティもしんみりとする。
兄はいつも優しかった。そして憧れの存在でもあった。
セティは兄の奥底の思いを知らない。純粋に兄として慕っていた。別れは辛い。そして淋しい。
「セティ、そなたはわたしのたった一人の弟だ。それは、そなたが星の国へ嫁ぎかの国の王妃になっても生涯変わらぬ」
セティはこくんと深く頷く。セティにとってもウシルスはたった一人の頼もしい兄だ。それは生涯変わらない。
「結婚式には父上の名代で星の国へ行くが、その後は行くこともないだろう。が、そなたに何かあればすぐにわたしが助けに行く。それだけは覚えておくのだぞ」
セティはやはり深く頷く。兄の自分を思う深い気持ちが嬉しい。やはり、頼もしい兄だ。
「兄さま、ありがとうございます。セティは兄さまの弟に生まれて幸せ者です。兄さまに助けていただかなくてもいいように、星の国で幸せになりたいです。王妃として自分が務められるか不安もありますが、ケトメ王国の王子の誇りを忘れず励みたいと思っています」
「ああ、セティなら大丈夫だ。ハーデス殿にもセティを必ず大切に、幸せにするように強く要請するからな」
これは事実だった。もし、セティを泣かせるようなことがあれば、承知しないと、ウシルスはハーデスに直接申し渡すこととなる。相手が国王でも遠慮しない気構えだ。
その後も二人は、様々に語り合った。幼い頃のこと、視察に行った時のこと。楽しい、幸せな思い出話は限りなくある。一日では語りつくせない兄と弟の語らいは、時を忘れるように続く。
最後の夜を、セティは兄の胸に抱かれて眠る。
邪気なく甘えるように眠るオメガの弟。ウシルスは、セティの頭を撫でながら、アルファとしての性を抑え込んだ。それは、苦行ではなかった。
この時、ウシルスは初めて同母の結婚が禁忌とされた意味が分かったように思えた。
両親共に同じ血の濃ゆさ。それは親子の情愛に近いものがある。今のウシルスの心境は、子を思う親のそれに近い。
セティはただ一人の弟だ。可愛い最愛の弟。これでわだかまりなく、嫁がせられる。
今日は母である王妃と二人きりで過ごす。上宮の王妃の私室に出向いたセティを、母は優しい笑顔で迎える。
「今日はセティが来るので、そなたの好きな菓子を用意して待っておりましたよ」
セティの好きな焼き菓子が並べられており、美味しそうな香りを放っている。母の心遣いが嬉しい。
「母上ありがとうございます。嬉しゅうございます」
「ささっ、早速いただきましょう」
母心尽くしの菓子を堪能する。ひょっとしたらこの菓子を食べるのも最後かもしれない。そう思うとセティは心が詰まり、菓子を食べる口が止まる。
「どうしました?」
「……すみません……これを食べるのも最後かと思うと」
「セティ……。陛下からハーデス殿にセティを時には里帰りさせていただけるようにと要請しております。正式な返事はこちらへ来られた時になりましょうが、おそらく大丈夫でしょう。そなたの里帰りの時は、こうして用意して待っておりますよ」
そうか、そのような折衝もされているのだ。頻繫でなくとも、たまに里帰りできれば嬉しい。
「そうでしたか。父上にはお骨折りいただいて、ありがたく思います。セティも時折里帰りできれば嬉しゅうございますから」
菓子を食べ終わり、セティは母と隣り合って座る。母はセティの手を取り、その両の手で包み込む。
「セティ、今から申すことは母としてというよりも、同じ王妃の立場になるそなたへ、王妃として申す」
セティは母の眼を見つめて頷いた。
「国王の立場は重い。国の命運を一身に背負っているからじゃ。その重圧は計り知れない。そして国王とは孤独でもあるとわたくしは思います」
全てを想像することは出来ないが、そうだろうと思う。そういう重い立場に父は何年も就いておられる。心から尊敬できる。そしてセティは思う。その重い立場にハーデスも就いているのだと。
「セティよいか、国王の立場を誰よりも理解し支え、孤独を癒して差し上げるのが王妃の役割じゃ。唯一弱みを見せられるのも王妃だけと思うのじゃ」
セティは真剣な顔で深く頷く。母はそれを長年されてきた。自分もそれをしなければならない。
「そしてね、王妃は国母じゃ。全ての国民の母としての振舞いもいる。国民に慕われ、その手本にならねばならぬ。王妃を華やかな立場と憧れる者もおろうが、実際は大変なのじゃ」
「母上……そんな大変な立場を長年……心から尊敬します」
母は優しく微笑んだ。
「セティなら大丈夫。わたくしはそう信じておる。そなたも己を信じて、強い意志があれば大丈夫」
母は強く言い切った。
このようなことをセティに話す日が来ようとは、つい最近まで全く想像しなかった。アティスになら、近隣諸国の王妃になることもあるかもしれないとは思ったが、セティはオメガなのだ。
思えば、不思議な子ではある。そもそも正嫡の王子として育ったのも異例ではある。何か類い稀な運命をもっているのかもしれない。
この晩セティは母王妃の私室で、母にその身を寄せて眠った。それは、穏やで温かい眠りであった。
最後は父国王である。
セティが上宮の国王の私室へ出向いた。
「昨日はイリスと共に良い時を過ごせただろう」
「はい、母上には良い話を沢山していただきました」
「そうだろう、イリスの事だから王妃の心得を沢山聞かせたのだろうと思ってな。余が改めて話すことはないだろう。余から言えるのは、余がこうして国王としておられるのは王妃であるイリスのおかげなのだ。王妃の支えなくて国王の務めは果たせぬ。それだけ王妃の立場は重いのじゃ。本音を言えば、そなたにはもっと楽な道を進ませたいと思った。しかし、そなた自信が選んだ道じゃ。迷わず真っ直ぐ進むがよい」
父の言葉にセティは深く頷いた。昨日は母の温かい愛に包まれた。そして今日は父の深い愛に包まれる。
「はい、父上のお言葉胸に刻み精進いたします」
「ああ、セティなら大丈夫じゃ。心配はしておらぬ」
トトメスにとって、王妃と子供たちは等しく守らねばならぬ存在だが、中でもセティは特別である。親鳥が小鳥を守るよう大切に守り慈しんできた。オメガであることもその庇護欲を増大させた。いつまでも手元に置いておきたいとも思った。
そのセティが一番早く自分のもとから離れていく。感慨深くもあるが、淋しくもある。今は、その成長を喜ばねばならぬだろう。
父との最後の一日は、昔話に花を咲かせた。様々に語り合って、時には笑いあった。父と二人だけでこんなに楽しく過ごすのは初めてかもしれない。
セティは父の懐に抱かれて眠りながら、自分の幸せを身に染みて思うのだった。
「明日はいよいよハーデス殿が参られる。明日は何かと慌ただしいだろう。セティとゆるりと過ごすのも今日が最後になる」
ハーデスが来たら、直ぐに大神殿で結婚の儀を執り行われる。ケトメ王国の作法に則った儀式。その後セティはハーデスに伴われ星の国へ行き、改めて星の国での結婚式になる。それには国王王妃の名代として兄のウシルスと姉のアティスが出席すると決まっている。
「セティ、竪琴を奏してくれぬか。最後にセティの琴の音を聞きたい」
父の言葉に皆が頷く。セティも最後に奏したいと準備していた。
最後に奏するのは、ケトメ王国に古くから伝わる妖精の曲。妖精が森の中を楽しく遊び回るさまが愛らしく、喜び事の折に奏される曲。
セティが軽やかに奏でると、まるでセティが妖精になったよう。皆、うっとりと聞き惚れた。
可憐な琴の音は、長く長く皆の耳に残った。
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