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第1話 たとえばこんな、いつもの朝
カーテンの無い窓から朝日が差し込んでくる。眩しい。唸りながら目を開くとヒビ割れた天井が目に入った。手に触れる髪の毛の感触。ああ、同居人がまた俺のベッドに潜り込んできてるみたいだ。何か濡れる感触がしたから手のひらを見てみると、赤黒い血で染まっていた。
「うわぁあっ!!」
【たとえばこんな、いつもの朝】
「テメ、おいふざけんなよ!!」
「んん……ちゃた、うるさい」
朝、ボロいアパートの寝室で目を覚ましたら同居人が血だらけの格好で|同衾《どうきん》している……モチロン、それだけでもこの上ない悪夢だが、これが初めてじゃないって事もまた悪夢だ。
「くそ、シーツが……! 汚ねえな、これ誰の血なんだよ」
どうせこのバカにはわからないだろうが、一応聞いてみる。
「おれ……」
「はあ?」
そうしたら意外な答えが返ってきたから一瞬ぽかんとしちまった。「おれ」って、それは……つまり。
「おまっ、ケガしたのか!?」
慌ててどこだと尋ねても、このバカはそんな俺を無視して「ねむい」と布団を被りやがる。
「おい待て、どこケガしたんだって! これ全部お前の血か? 結構な量だぞ!」
「んー」
分かったもういい。とにかく見せろと袖を捲ってみるが腕は無傷、腹も無傷。
「なあケガしたのどこだ?」
尋ねながら顔を覗き込んで異変に気が付いた。左眼が"なくなって"る。
「おい、おいどこで落としてきた」
黙ったままイヤそうにふいと顔を逸らされたから、血のついてる頬に手を添えてこっちを向かせる。閉じられた瞼を指で持ち上げて改めて確認しても、やっぱりない。
「けがした、あたま」
「わかったから、よく見せてみろ」
確かに頭と目からも出血したみたいだ。でもこの大量の血はやっぱり他の原因があるだろう。次に足を触ってみた瞬間に頬を思いっきり殴られた。
「っぐ!」
その勢いのままベッドから転がり落ちて、サイドボードの角で額を打つ。クソ野郎。いや、まあ殴られたというか……本人的にはちょっと押し退けたぐらいのつもりなのかもしんねぇけど、力加減ってのを知らねえからコイツは。口の中が切れたみたいでジワ……と血の味が広がった。
「いってえなテメ!」
ケガ診てやろうとしてんだろうが、と怒鳴るとバカはまさにションボリという顔になる。
「……」
「とりあえず左眼! それ"替え"持ってくるから、お前はズボン脱いどけ。 どうなってんのかちゃんと見せろ」
朝っぱらからまったく、世話の焼けるやつ……。そうは言っても放ってはおけない。だってこいつがいねえと俺は"この街"で生きていけねえワケだし。ため息をついて立ち上がり、棚から銀色のアタッシュケースを取り出した。この中にはいくつもの義眼が入ってる。何でこんなにあるんだか。まあ一種のコレクションってやつなのかな。
「あれ……? もしかしてお前アレ無くしたのか」
確か「これすき」と少し前に言ってたヤツだけがない。だからなんとなく機嫌悪いのかな。仕方なく適当なのをひとつ選んで戻るとベッドの上はますます殺人現場みたいになってた。
「おいこら、起きろよ」
ズボン脱いでねえし。面倒だからナイフを取り出して膝下を裂いてみると足首からふくらはぎにかけて派手な切り傷が現れた。切られたというよりは、どこかに引っ掛けて抉っちまったような荒い傷だ。鉄のニオイがムッと襲ってきて、見てるこっちがゾワゾワするくらい痛々しい。どこでこんなケガしてきたんだか。
「痛そうだな……大丈夫か? おい、ショット」
不満でもあんのか、返事もせず仰向けに寝転がって天井を見たままぼーっとしてる頬をペチペチと叩く。
「んー、目、はやく」
「それは後でな。 まずこっち止血するから」
ひとまずシーツを足に巻きつけて処置しやすいように寝返りを打たせようとした時、バンッと銃声がして俺の頬を何かが掠めた。いや、"何か"じゃない。銃弾だ。
「ぎゃあ! 何アブねぇもん持ったまま寝てんだ! 外して寝ろって言ってんだろ!」
人に対して使うべきじゃないド派手な威力のデザートイーグルを素早く奪い取ってホルスターごとサイドボードに置かせる。
「はぁ……あれ? お前……あっちのデカい銃は?」
いつもコイツが後生大事に背負ってる"俺には理解出来ない変な趣味の銃"がどこにも見当たらない。今日は大ケガして、大事にしてた義眼も銃も落としてきたっつーのか。
「うー……」
「ショット?」
グズる金髪の頭を慰めるように撫でてやる。こんなヤツでも長く一緒にいりゃ、情も湧くってモンだ。色々あって落ち込んでるから不機嫌だったのかもな。
「なあ、どこで失くしてきたんだ?」
「みち」
「お前は本当にバカだなぁ」
きっともう見つからない。不法建築に次ぐ不法建築で折り重なったバラックと、舗装なんかずっとされてない歪んだ道だらけのこんな街じゃ、落とし物なんか一瞬で失くなっちまうんだから。
ショットの瞳に合わせられた青緑の義眼をその手に持たせておいて、俺は消毒液を取った。薄めてお使いくださいって書かれてるけど、面倒でそのまま足の傷にぶっかける。
「う……!」
「おいじっとしてろ」
いつも鈍いコイツでもさすがに痛かったようだ。ジタバタする足を全身で抱えるように押さえつけて、更に消毒液を染み込ませた。
「ばか、ちゃた! ばか!」
「ああ? バカはてめぇだろこの野郎、喚くな!」
適当に拭いて包帯を巻くとすぐ白い布に赤が滲んできた。意味ねえなこりゃ。後で剥がしたらかさぶたごと取れちまうだろうな。
「はい終わり、よく頑張ったな。 他のはかすり傷か?」
拗ねてる背中をポンポンと叩いて聞くと振り向きザマに睨まれた。
「ほら目入れてやるから。 こっち向け」
持たせてた義眼を受け取ってグイッと肩を引くとそのまま腰に巻きつかれる。最近のコイツは妙にベタベタと距離が近くて鬱陶しい。
「離れろ」
「はやく」
「この体勢じゃ無理だってば」
引き剥がすとショットは文句ありげに唸った。
「なんだ文句あんのかこら」
「はやく」
ったく、デカい子供だな。
ショットの左頬には|歪《いびつ》な傷跡がある。と言っても、それはもう随分古い傷だからよく見ないとわからないくらいのものだ。よく見れば二本、額から顎にかけて肌が線状のケロイドになって薄赤く盛り上がってる。
「ちゃた、いっしょねる」
「こんな汚いベッドで寝られるか」
ああ、シーツを通り越してマットまで血が染み込んでるに違いない。買い換えるか、ショットの部屋のと交換するか……そんなコトを考えながら、とりあえず朝メシを作るために寝室を出てキッチンへ向かった。
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